待てばいいか
本ができあがると著者はまず見本を数冊いただけるのです。
今回も十冊もいただき、その上編集担当の方がわざわざご挨拶に来てくださいました。
見本を送ってくればそれだけというところが多いのですが、ご丁寧な応対にこちらも恐縮しました。
一冊の本を制作するのはたいへんなことであります。
今回は、すでに文章にしていたものを出版するので、それほどのこともないように思われるかもしれませんが、それでもかなりの作業が必要であります。
いったん文章に書いたものとはいえ、一冊の本にするとなると、もう一度引用した語句が正しいかどうか、出典や原典を確認しないといけません。
それから、この表現はよくないというところは訂正しないといけません。
昨年の暮れ頃に、校正作業をしていたのを思い出します。
それから更に誤字脱字がないかを確認します。
本の紙、レイアウト、文字の大きさなどを決めてゆきます。
それから大事なのがカバー、オビなどのデザインもあります。
何度もやりとりをしてようやく六月の出版になるのでありますから、手間暇のかかるものなのです。
それだけに担当した編集者にとっては、一冊の本になると感慨が深いと察します。
応接室に見えた編集の方が、丁寧に新しい本を取り出される、その手つきを拝見していて、思い入れが感じられました。
草思社という出版社のことはよく存じ上げませんでした。
一九六八年の設立ですから、私よりは少し若いのであります。
応接室で、草思社の方としばらくお話ができました。
この本を作るために、引用されている『臨済録』や『盤珪禅師語録』やそして『禅海一瀾講話』などを調べてくださったようであります。
どれも岩波文庫になっています。
それら岩波文庫の本をお持ちくださっていました。
そしてしみじみと言われたのが、こんなすばらし書物があることを知らなかったということでした。
よほど仏教や禅に興味でもないと触れることはないでしょう。
特に盤珪禅師の言葉に感銘を受けたというので、その場で私がこの『盤珪禅師語録』を解説した本『盤珪語録を読む』(春秋社)を謹呈しました。
それから『禅海一瀾講話』にもとても感銘を受けられたとのことで、うれしくなりました。
この本については出版から関わっていますので、私も思い入れがあります。
その出版の苦労やこの本の素晴らしさをお話させてもらいました。
本の出版などについては、一人でもいいので、仏教や禅の教えに触れてもらえればという思いで携わっていますので、今回はこの編集の方お一人がこうして『臨済録』や『盤珪禅師語録』『禅海一瀾講話』に触れて感動してもらっただけでも十分有り難いことだと思いました。
本ができると、その本に関わった方に謹呈しないといけません。
今回の本にも駒澤大学の小川隆先生のお名前は何度も出ています。
それからちょうど塩沼亮潤大阿闍梨様とも対談した頃でしたので、阿闍梨様にもお送りしないといけません。
そう思っていたら、それら、本の中に名前が出ている方には、出版社から謹呈していただけるそうなのです。
これは有り難いと思いました。
ただ編集の方がおっしゃるには、本の中に藤田一照さんのことが出ているのですが、藤田さんの住所が分からないというのです。
そこで私は「一照さんなら、明日お目にかかりますので、明日お渡しします」と答えました。
その次の日に、円覚寺で西園美彌先生の講座があって、一照さんにもお目にかかる予定だったのでした。
翌日、本の扉に署名をして一照さんに差し上げることができました。
『無駄骨を折る』の中に、「待つこと」という一章があります。
一部を引用します。
「教育や指導と言いますと、どうしてもあれこれと説明し、更に手を加えて、いろいろ手段を講じることを思いますが、究極は「待つこと」になると思います。
じっと、ただ待つのです。気がついてくれるまで待つのです。
気がつくように仕向けることなどは、かえって不親切になってしまいます。
じっと待つのです。
そして、きっと気がついてくれると信じて待つのです。……「信じて待つ」これこそ、究極の教育だと思うこの頃であります。」
と書いています。
この春にもいろんな修行僧が入門してくれています。
それぞれにいろんな課題を持っています。
この頃はあれこれと教えるよりもじっと待つことに力を注ぐようにしています。
身体のとても硬い青年がいて、これは時間がかかるなと思っていました。
大摂心の間などは毎日一時間体操などの指導もさせてもらっているのですが、三ヶ月か半年くらいかけてほぐしてゆかないとならないと思っていました。
ところが、西園先生の講座でなんと大きな変化が見られました。
私はもとより修行僧達も皆驚いたのでした。
今回その修行僧は初めて西園先生の講座を受けることになります。
今回は、足よりも肩など上半身を調える講座でありました。
足や足の裏はほとんど触れることは無かったのでした。
しかしそれでも足まで変わるのであります。
特に肩のアライメントを丁寧に調整しました。
アライメントというのは「整列」という意味であります。
言葉で表現すると指を曲げ、手首を曲げ、肘を曲げ、そして肩を回すのであります。
それがひとつひとつ厳密に丁寧に行います。
方向や角度なども重要なのです。
手を握るだけでも丁寧に行います。
自分一人では無理なので二人一組になって行いました。
時間をかけて肩のアライメントを調えると、それだけで手が伸びたように感じるのであります。
お互いに両方の肩を調えるとそれだけでかなりの時間がかかります。
肩をきちんと調整できただけで身体全体が変化したのが分かります。
骨が正しい位置に調うと筋肉の方は余計な力が抜けてよい姿勢になるというのです。
つま先立ちを何度も行いました。
これも単につま先立ちをするという程度ではなく、厳密に行います。
両方の足のつま先に身体がちゃんと乗るようにします。
これも一人ではバランスを崩しますので二人で行います。
きちんとつま先に乗れると背筋が伸びるのであります。
首までが調います。
そんな上半身を調えて立つと、なんと足の裏までがどっしりとして立てるのであります。
最後に股関節をはめるワークを行いました。
これも今まで何度も体験していますが、今回はより一層厳密に指導してくださいました。
膝の位置、すねの角度、股関節の内旋、外旋を丁寧に行いました。
そうして一連のワークを終えて立ってみると、とても身体が調っていて楽であり、力みがなくそれでいてどっしりと立てるのです。
終わってその身体の硬い修行僧を見ると、実によい姿勢にすっかり変わっていました。
本人の表情まで違っているのです。
身体が本来の位置に調って余計な力みが脱けてどっしりとしているという感じなのであります。
私は三ヶ月か半年かけてやろうと思っていたことが、西園先生の講座ではなんと三時間で出来るのですから、改めて驚きました。
やはり魔女トレであります。
ただ待てばいいというだけではないと反省もしたのでした。
横田南嶺