大悲心
臨済宗で用いている『坐禅儀』は、『禅宗四部録』におさめられているものです。
嘉泰二年(一二〇二)に『禅苑清規』に入ったのが「坐禅儀」であります。
もっともそれ以前にも坐禅のやり方について言及されたものがありました。
『楞伽師資記』にある五祖禅師の章に説かれています。
筑摩書房の『禅の語録2 初期の禅史』にある現代語訳を引用します。
「初心のものが坐禅し瞑想しようとするときは、ひとりで任意の場所をしめ、まず身体をまっすぐにして正しく坐り、衣服をゆるめ帯をほぐし、全身をゆるやかにして、自分で身体を七八回ほどゆり動かし、腹の中の余分の空気を吐き出してしまうと、やがて水がみなぎるように主体性を得て、すき透るように静まってくる。
身と心とが調和して、内なる魂を安定させることができると、何とも言えずほのぐらくて、呼吸も冷静となり、次第に心が統一されるにしたがって、精神は澄みきってするどく、心境はとても爽やかだ。
観察はますますはっきりして、内も外も共にからりとして一物もなく、心そのものが徹底的におちつくのである。
こうして、徹底的におちつくとき、そこに聖心が現われるのである。
聖心は、そのもの自体は形がないけれども、内面的な節操はいつも厳然と確立していて、不思議な動きをあらわして止まず、つねに明確さを保っているのを、これをブッダの本質とよぶのである。
ブッダの本質にめざめた人は、永遠に生死の流れを超えるゆえに、世間を出た人とよぶ。
こういうわけで、『維摩経』に、からりとして本来の心をとりもどすと言っているのは、まったくその通りである。」
と説かれています。
この「衣服をゆるめ帯をほぐし、全身をゆるやかにして、自分で身体を七八回ほどゆり動かし、腹の中の余分の空気を吐き出してしまう」などというところは、坐禅儀にも通じるところであります。
坐禅儀では、
「夫れ般若を学ぶ菩薩は、先ず当に大悲心を起こし、弘誓の願を発し、精く三昧を修し、誓って衆生を度し、一身のために独り解脱を求めざるべきのみ。」
という一文から始まっています。
訳しますと、
「そもそも聖なる智慧を学ぼうとする修行者は、まずどうしても大悲心を起こし、広く人々を救おうという誓いをたてて、熱心に禅定を修め、迷いの衆生を救うことを誓うべきで、我が身のためにだけの悟りを求めてはならない。」
というのであります。
まず大悲心を起こすことが説かれているのです。
大悲というのは、岩波書店の『仏教辞典』に
「仏の、衆生に対するいつくしみ。
大智、すなわち悟り(自覚、自利)をあらしめる智慧に対し、衆生済度(さいど)(覚他、利他)をあらしめる原動力。」と解説されています。
更に「大乗仏教は特に仏の慈悲を強調するが、さらに菩薩(ぼさつ)にも不可欠の徳と考える。
たとえば観自在菩薩(観世音菩薩)は、大悲を有するものとよばれる(大悲心陀羅尼)。
さらに、菩薩は他者に代ってその苦を引き受けるとされ(大悲代受苦)、また、大悲をもって衆生を済度するため涅槃に入らないとして<大悲闡提(せんだい)>ともよばれた(楞伽経)。」
とも解説されています。
「代受苦」とは「他人の苦しみを代わって引き受けること。
衆生の苦悩をみずからの苦として受けとめその救済を志す、菩薩の慈悲心にもとづく行為をいう。
地獄まで降りていって人々を救済すると信じられた地蔵菩薩の行はその一例であるが、日本では信者の身代りとなってその危害を取り除くという<身代り地蔵>の信仰へと変容した。」
と説かれています。
「大悲闡提」というのは、「闡提」は「一闡提」で成仏できない者をさす言葉です。
仏教はそもそもこの輪廻の世界からの解脱を求めたものですが、大悲の心を持って自分だけの解脱を求めずに、この世界に苦しむ人がいる限り、この世に止まり苦悩を共にしようという教えであります。
大悲は、慈悲の悲にあたります。
慈悲の「慈」は、友という言葉から派生したもので、「友愛」の意味をもつ語です。
他者に利益や安楽を与えること(与楽)です。
「悲」は、は他者の苦に同情し、これを抜済しようとすることです。
『大智度論』に「大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く」という言葉があります。
また慈悲は四無量心の中にも説かれています。
四無量心は、慈悲喜捨の四つです。
「慈」は、人が幸せであるようにと願う心です。
「悲」は、人の苦しみをなんとかして取り除いてあげたいと願う心です。
「喜」は、他の人が幸せであることを、自分のことのように喜ぶ心です。
「捨」は、偏りなく、平静でいられる心を意味します。
夢窓国師は「自分の身を忘れて、衆生を益する心を発せば、大慈悲が心のうちにきざして、仏心と暗々に出会う」と説かれています。
坐禅というと自らの解脱を求める修行のように思われますが、やはり根底には慈悲の心があります。
大悲の心をおこして坐禅することで、我が身への執着も薄らいでゆくのであります。
横田南嶺