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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.05.23
今日の言葉

盤珪フォーラム

白隠フォーラムというのが、花園大学の芳澤勝弘先生によって今まで何度も開催されてきています。

私も何度かご縁をいただいています。

いつか盤珪フォーラムというのができないかと、龍雲寺の細川晋輔さんと話をしていました。

それがこのたび実現しました。

五月は行事が多くて、たいへんなのですが、どうにか五月の摂心の前の日に、龍雲寺様で開催されて参加させてもらいました。

まずは開催できたことに感無量であります。

これは臨済宗妙心寺派の東京禅センターの創立二十周年の記念行事として行われました。

妙心寺派の行事なのですが、細川さんの各別のご高配で、私もお招きいただいたのでした。

フォーラムというのは何かというと、フォーラムディスカッションの略であります。

公開で討論会をすることを意味します。

もともとは「フォーラム」というのは、古代ローマの都市における公共の広場を指す言葉だそうです。

この広場は人々が集まって政治的な議論や演説、宗教的な儀式や祭りが行われました。

「公共の交流の場」「意見を交わす場所」というのが本来の意味であります。

白隠フォーラムの場合は、基調講演や研究発表があって、座談や討論会が行われていました。

今回の盤珪フォーラムは、盤珪禅師が御開山である、神戸の祥福寺僧堂の岩村宗昂老師のご講演と私の講演に、岩村老師と私の対談が細川さんの司会によってなされました。

講演が主になっていました。

岩村老師に初めてお目にかかったのは、正受老人の遠諱のときでありました。

とても聡明な方だという印象でありました。

昭和四十五年のお生まれですので、私より六歳お若い老師であります。

令和元年に祥福寺僧堂の老師になられています。

ただいまは花園大学でもご講義をしてもらっています。

今回は「不生の仏心」と題して盤珪禅師の語録をテキストにご講義をくださっていました。

静かで落ち着いたお声でご講義くださる内容は深くて、私も十ページにわたるノートを取っていました。

大学ではハイデガーなど哲学を学ばれて、二十六歳から三十六歳まで瑞龍寺の修行道場で修行されお寺の副住職となって、更に四十二歳で祥福寺の僧堂に再び入って修行された方であります。

人はみな仏心を生まれつきもっていて、その不生の仏心のままで暮らせばよいのに、世間の習わしで世渡りを学んでしまい、憎いとか欲しいという思いをつのらせて餓鬼道に落ちてしまいます。

それは尊い仏心を餓鬼道にかえてしまうのです。

そんな盤珪禅師の言葉を取り上げられて、仏心を餓鬼道に変えてしまうのはよくないと仰せになっているのであって、惜しいや欲しいと欲のままでいいと、そのままを認めているわけではないのだとお示しくださっていました。

怒りや腹立ちをおさめようとしても、なかなかおさまるものではありません。

起こる念をやめようとおもっても、そのやめようとする念が起こって、起こる念とやめようとする念とが戦ってやまないのであります。

それは血で血を洗うようなものだというのです。

前の血はおちてもあとの血がまた残るのです。

念を念で打ち消そうとしてもそれは終わりがありません。

そこで盤珪禅師は、念がでてきたらそのままほおっておくのだと説かれました。

思いを重ねないのであります。

とりあわなければ念はもうなくなるしかないのです。

岩村老師は「憎しみの念が消えない」という人がいてもそれは決してずっと憎しみの念が続くのではなく、ところどころに起きてくる念を繋いでいるだけだとお示しになりました。

一日の内に何度か憎しみの念がおきて、それを繋いでいるだけだというのです。

そのようにつなげなければ、続けなければいいのだというのでした。

盤珪禅師は垣と争論しても成り立たないと説かれています。

垣根とけんかしても続きはしないのです。

垣根はなんの反応もしないからです。

岩間老師の穏やかなお声に引き込まれるようにして講演に聞きいりました。

最後におっしゃったことが一番印象に残りました。

盤珪禅師は不生の仏心とはどういうものか、言葉や理論で説明されることはありませんでした。

哲学的思弁的に考察するものではないのです。

不生の仏心とは何か、それは私たちへの公案であって、私たちは自らの生活のなかで証明してゆくのだと仰せになって、五分ほど前にご講演を終えられました。

そのゆったりした講演と最後にゆとりをもって、問題を提起して終えられたことに深く感銘を受けました。

その日は雨風の強い日でありました。

あいにくその日は車を運転してくださる方がいなくて、電車を乗り継ぎ駅から歩いて龍雲寺に向かいました。

横浜で乗り換えて学芸大学駅から歩くつもりが、横浜から特急に乗ってしまい、渋谷まで行って三軒茶屋でおりて歩きました。

雨だけでなく風が強く、衣もその下の白衣まで、更に下着までがびしょ濡れになってしまいました。

講演が始まるまで、控え室でアイロンを借りて乾かしていました。

雨風の中をようやく龍雲寺にたどり着いたという思いでした。

たどり着いただけで疲れてしまっていましたが、岩村老師のご講演を拝聴して身も心もすっかり安まりました。

対談の最後に細川さんから東京禅センターについてひとことを求められましたので、雨風の中を歩いてようやく龍雲寺さまの塀が見えたときには、感動したことを話して、そのようにこの大都会の中で迷う人にとって、龍雲寺さまそして禅センターは救いの場であり、光でありますとお伝えしたのでした。

 
横田南嶺

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