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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.05.09
今日の言葉

御朱印書く

連休の五月三日の午後から、御朱印を書いていました。

三日と五日の午後に書くようにしました。

朱印というのは、そもそもは「朱肉で押した印」のことです。

『広辞苑』にもそう書かれています。

『広辞苑』には更に、

「室町~江戸時代に、武家が公文書に用いた朱肉の印。

また、その公文書。

黒印より格が高く、百姓・町人は使用が許されなかった。」

と解説されています。

ここで申し上げる御朱印というのは、そのような公文書のことではありません。

もともとは写経をお寺に納めた際に「納経の証明書」としていただいたものでした。

その起源はいつ頃からなのかよく分かりませんが、平安時代末期から鎌倉時代ではないかと言われています。

というように、もともとは修行僧や信者が写経を納め、その証として寺院が「納経印(御朱印の前身)」を押したのです。

それが巡礼の時にいただくようになりました。

日本最古の観音霊場巡礼とされている西国三十三所巡礼は、平安時代末期から鎌倉時代初期に始まったと言われます。

花山法皇(在位:984〜986年、退位後出家)が発願し、西国の観音霊場を巡拝したのが始まりとされています。

それが江戸時代になると、西国三十三所、四国八十八ヶ所などの巡礼が広まり、一般の信者にも納経の証として御朱印をいただくようになりました。

明治以降になると、御朱印が広く一般参拝者にも授与されるようになっています。

そして現代においては、御朱印ブームとも言われるように、「御朱印帳」を持ち歩く人が増えているのです。

今や必ずしも写経を納める必要はなく、参拝の記念として授与されるものとして定着しています。

寺社の名前やご本尊の名前、本堂の名前などと、参拝した日を墨で書いて、そして朱印を押すのであります。

最近では季節限定の御朱印や、特別な御朱印などもございます。

神社お寺の検索サービス「ホトカミ」の吉田亮さんとは、最近親しくさせてもらっていて、昨年には円覚寺で講演もしてもらいました。

その時お話を聞いて、私も御朱印をやってみようと思ったのでありました。

なかなか普段はそういう時間は全くありませんで、御朱印はそれぞれ担当の方がなさってくれています。

ただ五月の連休中は、どこにも出かけることがないので、御朱印を書いてみたのでした。

昨年に引き続き二度目であります。

まずは三日の午後一時から五十名さま限定で行ってみました。

午後一時からで、十二時半から受付をして整理券を配ると聞いていましたので、十二時四十分頃に行くと、すでに大勢並んでいらっしゃいました。

並んでいると少しでも早く始めてあげた方がよいと思ってすぐに始めました。

病院で並んでいても定刻より早く始めてくれるとうれしいものです。

そのあとの来客も控えていましたので、そんなにゆっくりと書けたのではありませんが、一時間半ほどかけて五十名の皆様に御朱印を書いて差し上げることができました。

円覚寺では、ご本尊の名前「宝冠釈迦如来」を書く御朱印がございます。

そのほかにも、この頃は季節限定の御朱印もあります。

連休中は、舎利殿を拝観なされると、そこで特別の御朱印もいただくことができます。

それから方丈では功徳林坐禅会というのを行っており、その坐禅会に出るとまた御朱印をいただくことができます。

そこで私は禅語を書くという御朱印を行っていました。

昨年は、「無事是れ貴人」「日日是れ好日」「至誠無息」の三つの禅語を書いていました。

今回は更に五つの禅語を増やして八種類の禅語を書いていました。

「一無位真人」「本来無一物」「仏心光明中」「慈眼視衆生」「萬法帰一」の五つを増やしたのでした。

合計で八種類、五月三日はそのうち四種類を書き、その残りの四種類を五月五日の午後に書くようにしました。

五月三日は「日日是れ好日」「萬法帰一」「本来無一物」「仏心光明の中」の四種類を書いていました。

どの禅語を書くかは、その人に選んでもらいました。

はじめのうちに何人かは「本来無一物」と書いてほしいと言われました。

なぜこの禅語を選ぶのかなと思いました。

たしかに「本来無一物」というといかにも禅らしい感じがします。

しかしなかなか無一物にはなれないものでもあります。

そこで「本来無一物」と書きながら、どうしてこの禅語を選んだのですかと聞くと、物が増えてしまって断捨離をしたいのですと答えてくれていました。

他の方も「物が増えてしまって」とか「片付けないと」というのであります。

ある程度の年配の方々であります。

なるほどそういう訳で「本来無一物」の禅語を望まれたのでした。

私も「たしかにそうですね、物は増えますね」と申し上げると、

「いやあ、本も増えるばかりです。」

「同じですね、私も本は増えるばかりです」

「家内からも片付けて減らすように言われるのですけど」

と言われるので、

「本はなかなか捨てられませんね、片付けようとして整理していると、ついその本を披いて読みふけってしまったりします」というと、

「そうそう、そうなんですよ、どの本にも思い出があるのでね」と

ついつい話が盛り上がったりしていました。

お一人様で、一、二分くらいですが会話しながら書いていたのでした。

それから最近身内を亡くしたのでと、「仏心光明の中」を書いてほしいという方も何名かいらっしゃいました。

禅語にはそれぞれ解説書をつけて差し上げました。

「仏心光明の中」にはこんな解説をつけたのでした。

「円覚寺の朝比奈宗源老師は、四歳で母を亡くし、七歳で父を亡くされています。そんな体験から幼い頃より、死について子どもなりに考えるようになったそうです。
老師の父が亡くなった翌年、お寺の涅槃会にお参りされました。涅槃会とはお釈迦様がお亡くなりになった命日の法要です。お釈迦様が今まさに涅槃に入ろうとされている画を掲げて法要を営みます。幼い老師は、その画をご覧になって、お釈迦様がまるで寝台の上でうたた寝をしているような姿に驚かれました。どうして生きているかのように画かれているのかと寺の和尚に尋ねると、和尚は「お釈迦様は死んでも本当は死んでいない。だから死んだようには画かないのだ」と言われたのでした。
幼い老師は驚かれました。「死んでも死なないいのち」とはいったい何かと不思議に思われ、その答えを求めて十歳で出家し、坐禅の修行を経て悟りを開かれました。
そんな悟りの世界を朝比奈老師は分かりやすく「「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引きとるので、その場その場が仏心の真只中であります。人はその生を超え死を超え、迷いをはなれ、垢れをはなれた仏心の中にいるのだという、人間の尊いことを知らないために、外に向かって神を求め仏を求めて苦しみ、死んだ後のことまで思い悩むのですが、この信心に徹することができたら、立ちどころに一切解消であります。」と説かれています。
「常にお互いが頼りにし、お互いの生活の根底としている意識そのものには実体は無く、その意識の尽きたところに永遠に変わらぬ、始めもなく終わりもなく、常に清らかに常に安らかに、常に静かな光明に満たされている仏心がある」というのであります。みんな仏心の光明の中に生かされています。」

という言葉です。

それからやはり「日日是れ好日」を求める方は多かったのでした。

「萬法帰一」を望まれる方もいらっしゃいました。

御朱印を書いていると、毎日のYouTubeラジオ管長日記を楽しみにしていますとお声をかけてくださる方が何名もいらっしゃって有り難く思いました。

 
横田南嶺

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