からだの不思議
はじめは新しく入った修行僧は、まだ坐禅に慣れないのでたいへんだろうからと、股関節をほぐす体操などを教えてあげることから始まりました。
それから、他の修行僧たちもやりたいという声があがって、今や摂心の間は毎日行うようになっています。
一時間、あれこれと思いついた体操をしているのです。
あらかじめある程度考えておく場合もありますが、だいたいは、その日に修行僧の表情や体の様子をみて、思いついたことを始めてゆくのです。
やっていると、我ながら、いろんな体操が次々と出てくるのです。
思い返すと、ずいぶんといろいろ習い、教わり、そして研究してきたものです。
真向法は早くから習って今も毎日の習慣であります。
両足が開いて開脚できるのですが、それをご覧になる方は、私の体が柔らかいと思われるようであります。
しかし、全く違うのであります。
今でもはじめて整体の先生に診てもらうと、必ず股関節が硬いですねと言われます。
そうなのです、やわらかいのではないのです。
硬いからこそ、毎日やわらかくするように努力しているのであります。
真向法は四つの体操であります。
これはとてもよく出来ています。
そして仏教に深く関わる体操なのです。
真向法は、長井津先生が、四十二歳の時に脳溢血で倒れて半身不随となってしまい、そんな状態から考案されたものです。
長井津先生のお兄様は仏教学者として有名な長井真琴先生であります。
長井先生は、福井県の浄土真宗の勝鬘寺というお寺のお生まれです。
四十二歳で半身不随となり、心もノイローゼ状態となり、どうしようもない時に勝鬘経を読まれました。
そのなかに「頭面接足礼」という言葉を見つけます。
お釈迦様の足に頭面を接して礼拝したということです。
長井先生は、不自由な身体なりに、この礼拝を一所懸命に行うようになりました。
この礼拝がもとになってできているのが真向法であります。
私もいろいろ学んできて、やはり礼拝が究極の体操でもあると思うようになりました。
それから管長になる前のことで、まだ僧堂の師家であった頃には、沖先生の流れをくむ方から、ヨガも習っていました。
今もいろんな体の使い方を先生について習っています。
そんな経験から坐禅に必要な体操を独自に考案して行っています。
修行僧たちに教えているのですが、教えることは一番学びになるものです。
先日も摂心のちょうど中日だったので、修行僧たちに疲れや体の凝りが見られたので、一時間体をほぐす体操だけを行ってみました。
全身を緩めてゆく体操をじっくり一時間行ったのでした。
これは自分自身が驚くほど効果がありました。
それから、最近研究していたのが手であります。
手をほぐして手の感覚を変えると、体全体の質が変わるのです。
これは手をほぐす体操をいろいろやっているうちに自分で考案したものであります。
これを実際に行うと手を合わせる姿勢が変わるのです。
たとえば立ったまま、橫から誰かに押されると、たちどころに揺らいでしまいます。
なんとなしに手を合わせていてもたいして変わりはありません。
しかし、少し時間をかけて指をほぐし、手を揉んであげて、そして手の平が合わさった感覚に意識を向けて立っていると、立つ姿勢が変わります。
安定した姿勢になって、今度は橫から押されても動かなくなるのです。
合掌で姿勢が変わります。
その応用で、叉手もそうです。
叉手は臨済宗の場合、右手の外に左手を包むようにして胸の前に置くのです。
これも右の手の指の腹で、左手の指に触れている感覚に意識を向けてみると叉手でも体が安定します。
じっくりと時間をかけて手をやわらかくしてゆくと体全体が変わってきます。
また礼拝は、やればやるほどその深さに気がつきます。
礼拝で注意するのは、頭を上げたり、腰を曲げることではありません。
頭を下げてお辞儀するという思いでやると効果はありません。
大事なのは、股関節を引き込むことと、背骨を伸ばすことです。
はじめに立ったまま合掌して頭をさげてお辞儀するのですが、これを股関節を引き込むように、お尻を後ろに出してゆくのです。
すると自然と上体も水平になってきます。
橫から見て上体がほぼ水平になると、お尻と頭で引き合うようにして背骨を伸ばします。
このノビが大事なのです。
そして合掌したまま体をおこして、両膝をつきます。
息を吐きながら、両手を畳につけて伏せます。
その時に頭を先に下げないのがコツであります。
頭を先につけてしまうと、それ以上に伸びません、
頭はギリギリ床につかないようにたもちながら、体を水平にしてお尻を踵のうえに置いて、頭を体の前方に向かって伸ばすようにします。
そして両肘を起点にして、両手の平を持ち上げます。
その時に肘先が支点になってお尻を頭とが引き合うようになるのです。
そうして頭の重みで最後に頭が床にそっと着くようにします。
これで背骨が伸びるのです。
坐禅で大事なのは頭蓋骨と、仙骨との位置です。
そして頭蓋骨と仙骨を繋ぐ背骨の伸びなのです。
腰を入れようと意識すると、どうしても腰のまわりの筋肉が緊張します。
背骨が頭蓋骨からゆるやかにぶら下がっている状態を作るのです。
これで腰回りの力みが無くなります。
静かに歩くためには、お皿に水を盛って、その水をこぼさないようにそっと歩くという方法も用います。
この時にもお皿やお水に意識を持ってゆくとゆらゆらしがちですが、お皿に触れている手の感覚だけに意識を向けてお皿を見ないようにして歩くと静かに安定して歩けます。
自然とバタバタしなくなります。
坐禅の状態を維持することができるようになります。
そんな工夫を楽しみながら行っているのです。
からだは実に不思議です。
禅の本質は、自己の本来の面目という、自己の素晴らしさに目覚めることが第一です。
その手がかりとして、からだの素晴らしさに気がつくことはとても有効であります。
この小さなからだですが、まだまだ学べば学ぶほどその奥深さに驚きます。
横田南嶺