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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.04.22
今日の言葉

良書紹介

先日大竹稽さんから新しい本をいただきました。

タイトルが『知的くすぐり 感冴えて』という本であります。

装幀もまた落ち着いた絵であります。

オビには

「禅僧が日本昔話をひっくり返してみた」

と大きく書かれています。

その下に「感性教育の手本は禅にあり」とあります。

そして更に、

「子どもたちとの対話がひろがる、新しい発見と驚きの感性教育の手引き」

と書かれています。

「はじめに」には、

「感性教育の大切さには、だれもが気づいているでしょう。

しかし「ではどうすれば?」の地点で手も足も頭も出なくなっているのではないでしょうか。

そんな大人たちに向けて本書は作られました。

本書を使って子どもたちと対話をしてみてください。」

という文章があります。

禅僧がとありますように、本書は九人の禅宗のお坊さんが書かれています。

編者は哲学者であり教育者である大竹稽さんです。

そしてその九人とは、

建仁寺派両足院の伊藤東凌さん、

妙心寺派耕雲院の服部雅昭さん、

建長寺派能満寺の松本隆行さん、

妙心寺派伝宗寺の多田曹渓さん、

相国寺派養源院の平塚景山さん、

南禅寺派正的院の大森良純さん、

円覚寺派正福寺の松原行樹さん、

大徳寺派大慈院の戸田惺山さん、

方広寺派瑞雲寺の梶浦邦康さんの九人のお坊さんであります。

目次だけ紹介します。

第1章 「美しさ」について~『花咲かじいさん』を使って~伊藤東凌

第2章 「自由」について~『一寸法師』を使って~服部雅昭

第3章 「夢」について~『浦島太郎』を使って~松本隆行

第4章 「正しさ」について~『桃太郎』を使って~多田曹渓

第5章 「欲」について~『舌切り雀』を使って~平塚景山

第6章 「工夫」について~『鶴の恩返し』を使って~大森良純

第7章 「バランス」について~『金太郎』を使って~松原行樹

第8章 「許し」について~『カチカチ山』を使って~戸田惺山

第9章 「遊び」について~『笠地蔵』を使って~梶浦邦康

という構成であります。

九人のお坊さん、私はさいわいにどのお方も存じ上げています。

若手の方が多いのですが、よい人選をなさったと感じます。

さてここで説かれている「感性教育」とはどういうものでしょうか。

「はじめに」にはこんなことが書かれています。

「ところで、「感性の豊かな人」といえば、君はだれを思い浮かべますか? その人はどんな仕事をしているでしょう?

感性が求められる仕事の筆頭に、芸術家が挙げられるでしょう。」

とあります。

更に「では、現代のビジネスマンではどうでしょう?

思い浮かべている人物は数名いるのですが、存命ですし、まだまだ活躍が期待されるので、あえて名を挙げないようにしておきましょう。

これからは芸術・科学だけではなく、第一次産業や士業にも感性が要請されるようになってきます。

その最大の理由が「AIの登場」です。

AIは計算や処理において、人間を圧倒するでしょう。しかし、AIには感性はありません。

感性がある人間は創造しますが、AIは製造に止まります。そんなAIはコピーすることしかできず、オリジナルにはけっしてなれません。

つまり感性は、ある仕事が人間によるものかAIによるものかを峻別する大事な基準になってくるのです。」

と書かれています。

そしてこの本ではなぜ禅僧たちが語っているのかについて、大竹さんは「はじめに」に

「禅は日本文化の骨格であり、禅の教えの中にこそ感性教育のビーコンがあるのです。

茶道に花道、そして絵画に詩歌。

日本には多様な文化があります。

文化はそれぞれの専門家たちによって表現され継承され、そしてどの文化にも名人達人がいます。

剣術の達人といえば勝海舟。

茶道の千利休。俳諧の松尾芭蕉。

彼らは全員、禅に深く関わりながら死地を切り抜け、あるいは絶妙な創造をし続けました。

そんな彼らの感性に、だれもが惚れ惚れするでしょう。

もちろん、この三人だけではありません。

日本文化の中で達人といわれる人たちの仕事と人生からは、見事な感性と、禅との関わりが認められるのです。」

と書かれています。

そこで九人の禅僧が選ばれたのでしょう。

最初に書かれているのが伊藤東凌さんです。

よく存じ上げている方で、いま活躍中であります。

東凌さんの坐禅についての言葉が、さすがだと感じいりましたので、その言葉だけ紹介させてもらいます。

「「ただ坐るだけ」という時間だからこそ、私たちの感覚は開かれていきます。坐禅を通して、音の細かさや匂いの抑揚に気づけるようになります。ただの雑音の中に潜んでいるメロディーに気づけるようになります。

騒音だった蝉の音が音楽になるでしょう。言葉から離れ、ただ坐っているからこそ、「雑音かそうでないか」という二元論から解放され、世界の中の音楽に気づけるのです。

山間部や海際のような喧騒を離れたお寺での坐禅が好まれますが、その中だけではなく、騒音が多い都会でも音は同じように音楽になります。たとえダンプカーのクラクションやサイレンであって音楽になるのです。

むしろ都会の中でこそ、私たちの感性は試されていくのです。」

と書かれています。

さすが東凌さんの感性の素晴らしさには感服します。

円覚寺派の教学部長も務めていただいていた松原行樹さんも書かれています。

内容の深い一冊であります。

すぐれた禅僧たちの素晴らしい感性に触れることができます。

 
横田南嶺

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