人格の陶冶
もう総長を務めて八年になります。
今までは、「禅とこころ」という公開講座を受け持って前期三回、後期三回の一年で六回の講義をしてきました。
それに加えて昨年から、「基礎禅学」という講座を前期と後期で一回ずつ担当するようになりました。
基礎禅学というのは、花園大学に入った学生は全員履修しなければいけない課目です。
前期と後期と二回に分けて、今年入った学生全員に総長の話を聞かせるようにとの意向であります。
そういう講座でありますので、この基礎禅学には仏教学部以外の様々な学部の学生が受講されることになります。
今回は、日本史学科、児童福祉学科、そして臨床心理学科の学生さんたち160名に講義をしました。
大教室での講義であります。
みんな仏教学部以外の学生さんたちですので、分かりやすく話をしないといけません。
それでも大学の建学の精神を伝えるのが、総長としての務めでもあります。
花園大学は一八七二(明治五)年に妙心寺山内に創建された「般若林」に始まった学校です。
そして臨済禅の心を建学の精神としています。
建学の精神は「禅的仏教精神による人格の陶冶」と銘打っています。
そして
「その目的は臨済宗の宗祖である臨済禅師が「随処に主と作れば、立処皆な真なり」と言われるように、どの様な状況であっても主体的に行動できる、自立性・自律性を養成することです。」
ということなのです。
人格の陶冶とは難しい言葉であります。
陶冶というのは、もともと、陶器を造ることと、鋳物を鋳ることをいいます。
そこから「人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。」と『広辞苑』には解説されています。
人間の持って生まれた性質というと、本心とか本性というものです。
それを禅では仏心とか仏性と表現しています。
本来持って生まれた素晴らしい性質を完全に発揮して生きるのが禅の道と言っていいでしょう。
今回は野球部の学生さんたちも多いことから、栗山英樹さんとのご縁の話から始めてみました。
昨年の五月大学の創立記念日に、栗山さんに花園大学にお越しいただいて、私と対談させてもらったのでした。
そのときには大勢の野球部の学生さんたちが熱心に聞いてくれていました。
栗山さんのような方が禅に興味関心を持っておられるのです。
禅の何に興味を持っているのでしょうかというところから話を始めてゆきました。
そして栗山さんが円覚寺に見えて、禅の修行をなさった画像を紹介しながら、禅の世界について触れてゆきました。
このあたりは画像が中心なので、みなさんとても熱心に聞き入ってくれていました。
庭詰という禅の入門の話から、道を求めようという心をおこした時にすでに道は完成されているということを伝えました。
初発心の尊さであります。
ちょうど今大学では正門のところに、私が「初発心」と書いた書と、
「初めて道を求めようと志した時に、すでに道は成就しているのも同じだと経典に説かれています。よし学ぼうという初心こそが、お互いの師となります。初心を忘れないようにしましょう。」
という言葉が大きく掲げられています。
そして栗山さんが鐘を撞いた話、薪割りをしたこと、ご飯を炊いたことなどを紹介しました。
禅の暮らしの一端を話しました。
それから栗山さんに坐禅を体験したもらったことに話を進めました。
そうして坐禅の話になったところから、いかに心を調えるかという坐禅の話に入ってゆきました。
ここからは画像が終わって、文字によって講義をしてゆきます。
そうすると学生さん達は早くも講義に関心を持たれなくなってきた様子が見られました。
いつもよくお話する『天台小止観』の話をしました。
一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は
どんなに小さくても、大事に育てよう、ほほえみの芽は
この二つさえ、絶え間なく実行してゆくならば、
人間が生まれながらに持っている、
いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心が輝きだす
人生で、一ばん大切なことのすべてが、この言葉の中に含まれている
人間は、どうしたらニコニコになりきれるか?
ひと口にいえば、「感情を波だたせないこと」と、「思考力を正しく働かせること」の二つきり。
という松居桃樓さんの『微笑む禅』にある言葉を紹介しました。
感情を波立たせず、正しい判断を下すことというのは、まさに栗山さんなどが、大事な場面で決断を下すことそのものであります。
その感情を波立たせず正しい判断をするために心を調えるのであります。
それが二十五の段階で説かれています。
まず次の五つが土台となります。
一、生活においてよい習慣を身につける(持戒)。
二、着る物、食べるものなど生活の環境を整えること。
三、煩わしいところから離れて静かなところにいること。
四、世間のしがらみや情報過多の状況から離れること。
五、よき指導者を得ること。
それを松居師は分かりやすく、『死に勝つまでの三十日 天台小止観講話』のなかで
一、いつもニコニコ
二、キモノとタベモノに対して感謝の心を
三、なるべく感情を波だたせないような生活の場を
四、今までのモノの考え方を白紙にかえそう
五、純粋な人間関係だけを
と表現してくれています。
いつもニコニコしているためには、生活を調えることです。
その基本が
不殺生=生き物をむやみに殺さない、
不偸盗=人のものを奪わず、壊さない
不妄語=嘘偽りを口にしない
不邪淫=道に逆らった愛欲を起こさない
不飲酒=酒に酔ってなりわいを怠ることをしない
の五つのよき習慣であります。
己をよく調えて、よく調えられた自己をよりどころとして生きていくのです。
画像がなくなってからは、どんどん学生さんたちの姿勢が崩れてゆくのが目につくようになりました。
そこで、栗山さんがおっしゃっていた、強いチームと弱いチームとの違いはどこで分かるかという話をしました。
ベンチにいる選手が、背もたれにもたれかかって野球を眺めているような姿勢のチームは強くならない。
前のめりになっているような選手のチームは強くなるという話であります。
こんな話をすると少しは姿勢が変わるものです。
調五事という、食事と睡眠と姿勢と呼吸と心を調えるという五つですが、それは丁寧に話をしました。
姿勢を調えるには仙骨を立てること、丹田を意識することだと伝えて丹田の場所を教えました。
熱心な学生さんは、そこで自分自身おへその下に手を当てて丹田を確認してくれていました。
自分が学ぼうとしている学科以外の講義を九十分も聴くのはたいへんだと思います。
十分ほど早めに講義を終えるようにしました。
あらためて森信三先生の
「教育とは流水に文字を書くような果かない業(わざ)である。
だがそれを岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」
という言葉を胸に刻むのであります。
横田南嶺