研修の一日
最近は、研修をする企業もかつてよりもずいぶん減っています。
先日は、午前中に、円覚寺でとある企業の新入社員研修会で話をしていました。
そして午後は建長寺様に出向いて、建長寺派の住職研修会でイス坐禅の話をさせてもらいました。
研修の一日となったのでした。
新入社員研修では、はじめに
こころこめて 葺かれたる 屋舎に 雨はふるとも 漏れやぶることなし かくのごとく よくととのえし心は 貪欲も破るすべなし
(法句経十四『法句経』講談社学術文庫 友松圓諦訳)
というブッダの言葉を紹介しました。
私たちには降る雨を止める力はありません。
しかし、その雨の降っている中で、雨に濡れないように工夫して暮らすことはできます。
この今の世の中を変えていく力はないとしても、そのいろいろ困難なことの多い世の中にあって、お互いの心を調えていくことはできるのです。
それから
手にもしきずなくば その手にて 毒をとるべし きずなきものを 毒はそこなわず かくのごとく 自己に さわりなきものには 悪もついに起こらず(法句経一二四)
というブッダの言葉を紹介しました。
手に傷がなければ、どんな汚れたところを手で掃除してもだいじょうぶであります。
そのように心がしっかりしていれば、どんな世の中やどんな環境でも生きることができるのです。
そして
おのれこそ おのれのよるべ おのれを措きて 誰によるべぞ よくととのえし おのれにこそ まことえがたき よるべをぞ獲ん(法句経百六十)
という言葉を紹介しました。
ブッダの教えでは、自分自身をよりどころとします。
たよりとします。
自分の外によりどころを求めないというのが特徴であります。
しかし、それにはよく調えられた自己がよりどころとなるのです。
その自己を調える方法が仏教には伝えられていますと話を進めてゆきました。
仏教で大事にする精神を、松居桃樓さんは、
一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は
どんなに小さくても、大事に育てよう、ほほえみの芽は
この二つさえ、絶え間なく実行してゆくならば、
人間が生まれながらに持っている、
いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心が輝きだす
と説かれています。
いつもニコニコしていられるようになるには、まず生活を調えることです。
基本は
不殺生=生き物をむやみに殺さない、
不偸盗=人のものを奪わず、壊さない
不妄語=嘘偽りを口にしない
不邪淫=道に逆らった愛欲を起こさない
不飲酒=酒に酔ってなりわいを怠ることをしない
という五つの生活の習慣であります。
こういうよい習慣を身につけておくことが土台となります。
それから着る物、食べるものなど生活の環境を整えることです。
そして、煩わしいところから離れて静かなところにいることです。
更に世間のしがらみや情報過多の状況から離れることです。
大事なのはよき指導者を得ることですが、これはよい人間関係を築くことだと伝えました。
そんな話をしておいて、食事、睡眠、姿勢、呼吸、心を調える方法について話を進めたのでした。
一時間の話を新入社員の皆さんは熱心にメモを取りながら聞いてくれました。
午後は建長寺に出向いてお話させてもらいました。
私がこの頃イス坐禅を推奨しているのがお耳に入ったのでしょう。
イス坐禅について講習を頼まれたのでした。
もっとも和尚様方にイス坐禅を体験してもらう必要は全くありません。
和尚様方は、すでに長年修行されて体ができあがっています。
私のイス坐禅でやっているような体操は不要です。
ただ私が最近一般の方の為にやっていることを紹介しようと思って務めてきました。
まずなぜイス坐禅を勧めるようになったのかを話ました。
これはとある企業の方のひと言がきっかけでした。
お若い頃は坐れたけれども、もう七十を過ぎて膝が悪いので足が組めないというので、「イスでもいいです」と申し上げたのでした。
その方は「イスでも」と言われると、イスで坐る者は肩身の狭い思いをしてしまうとおっしゃいました。
イスで坐禅ができないのかという質問でした。
それからイスの坐禅を工夫するようになったのでした。
東京八重洲の会議室でイス坐禅を行っていることを話しました。
会場を借りる費用が高いために、高額な参加費をいただいています。
高いお金を払って会社員ならば、いつも会議をしているような部屋でただイスに坐らされるだけでは、納得してもらえません。
どうしたらイスで坐禅になるのかを工夫してきたのでした。
その結果、この頃は多くの方に満足いただけるようになったのです。
イス坐禅にはいいこともあります。
初めて坐禅をすると、足を組むことに気を取られがちになります。
そして足を組むと痛いので、痛いのを我慢して終わりということになりかねません。
ある程度の痛みに耐えることにも多少の意味はあるでしょうし、そうして耐えると、なにかをやったという達成感もあるでしょう。
しかし、それは禅の本質ではありません。
足を組むことや、足の痛みに耐えることを取り除いて、坐禅の本質は何かを、イス坐禅は教えてくれます。
それからイスでの坐禅を身につけておくと、日常生活へ禅を取り入れることができるようになります。
特に新幹線や飛行機など長時間の移動の時には、そのイスに坐っている間が坐禅になります。
普段の仕事場でも姿勢が変わります。
姿勢が変わると心も調ってきます。
そもそも禅は、形式にとらわれない精神をもっています。
馬祖道一禅師は、
「もし坐禅を学ぶのであれば、禅というのは坐ることではない。
もし坐仏を学ぶのであれば、仏というのは定まった姿をもってはいない。」
と仰せになっています。
「もし坐るということにとらわれたら、その理法に到達したことにはならないのだ」ともおっしゃっています。
どんな形をしていようともそこに禅はあるはずなのです。
そんな話をしておいて、いつも行っているイス坐禅を一通り体験してもらいました。
一、首と肩の調整
二、足の裏、足で踏む感覚
三、呼吸筋を調整
四、腰を立てる
の四つを一時間ほどかけて行いました。
和尚様方も熱心に取り組んでくれていました。
毎回のことながら、イス坐禅を指導させてもらうと、やっている私自身が一番心地よいのであります。
自分が調って心地よくなって、そして感謝されるのですから、こんな有り難いことはありません。
横田南嶺