何もしない
その中に『幸せに生きる 100の智恵』(日本標準)という本があります。
葉祥明さんの短くて、それでいて奥深い言葉がたくさん書かれています。
本を開いて読んでいると、引き込まれていくようになります。
四番目にこんな言葉がありました。
「日々の小さなことに
歓びや幸せを
感じることができる人は
人生上の大きな苦しみにも
よく耐えることができます。」
という言葉です。
とても共感しました。
日々の小さなことに歓びを見いだし、幸せを感じる、そんな感性を大事にしたいものです。
歓びを見いだし、幸せを感じることができたら、自ずと手が合わさるような感謝が湧いてきます。
それから心打たれた言葉がありました。
「何もしないで
いることの
意味と価値を
知りなさい」
とあるのです。
とても短い言葉ですが、奥深いのです。
その隣のページには続けて、
「動きすぎ
考えすぎ
働きすぎをやめて
人は、時には一人静かに
ただ黙って居るってことを
憶えておきなさい」
と書かれています。
美術館で講演した翌日は、珍しく何の予定も入っていない日でしたので、この言葉を読んで、「何もしないでいる」ことにしてみました。
私の毎日ではとても珍しいことであります。
一日なにもしないでいると、いろんな発見があるものです。
一番驚いたことが体調の変化であります。
数日前から、黄砂の影響かと思っていたのですが、喉に違和感を感じていました。
どうもいがらっぽいというのか、おかしな感じがしていました。
親しい方に相談すると、天突というお灸の場所を教えてくれました。
喉にいいツボだそうです。
そこでこのお灸だけ自分でやっておいて、あとはなにもしないことに決めました。
なにもしないというのが大きな効果があったのか、はたまたお灸の効果なのか、翌朝には喉の不調が全く消えていました。
喉の不調は、睡眠の不足や過労からも来ることがあると聞いたことがありますので、やはり普段いろいろ仕事が多くて、動きすぎ、考えすぎ、そして私の場合しゃべり過ぎだったのかと反省しました。
時になにもしないことも必要だと学ぶことができました。
それから葉祥明さんの本には、こんな言葉もありました。
「すぐには解決できない
やっかいな問題が起こったら
「時間」と「空間」を
味方につけなさい、
深呼吸し、
立ち上がってその場を離れる。
すると、
あなたが、問題から自由になる。
という言葉です。
その隣のページに、
それからひと息ついて
自分がやれることを淡々とやっていれば
時間と空間の作用で
自然に解決に向かい始める
本当だよ!
という言葉が続いています。
これも奥深い言葉です。
生きるということは、必ずその時間を過ごすことであり、その場所にいることでもあります。
その時間と場所で、なにもしないでいることも新しい力を生み出すものです。
何もしないというと、薬山禅師の問答を思い出します。
一日、師、坐する次いで、石頭、之を覩て、問ふて曰く。汝、遮裏に在りて什麼をか作すと。曰く。一切、為さずと。石頭曰く。恁麼ならば即ち閑坐なりと。曰く。若し閑坐ならば即ち為すなりと。石頭曰く。汝は為さずと道ふ。且た箇の什麼か為さざると。曰く。千聖も亦識らずと
という問答です。
薬山惟儼禅師(745~828)は石頭希遷禅師(700~790)の法を嗣いだお弟子です。
薬山禅師が静かに坐禅していました。
それを見て石頭禅師は「ここで何をしているのか」と問います。
薬山禅師は「なにもしていない」と答えます。
「それでは閑坐というものではないか」と聞きます。
閑かに坐るというのが閑坐です。
薬山禅師は「閑坐でもやっていれば、何かやっていることになります。」と答えます。
石頭禅師は更に「何もやっていないというが、そのしないというのは一体何だ」と問います。
この質問に対し薬山禅師は、一言
「千聖も亦識らず」と答えます。
いくら大勢の聖人や賢人でも知らないというのです。
これは見事な答えであります。
『老子』では「無為」が説かれています。
講談社学術文庫の『老子 全訳注』には、
「そもそも〔学問を〕修める者は、日に日に外部から知識・倫理を取り入れて益していくが、逆に、根源の道を為める者は、日に日に内面から夾雑物を捨て去って減らしていく。
減らした上にもさらに減らしていくと、ついに一切の人為を捨て去った無為の境地に達するであろう。
無為の境地に達するならば、修道者はかえっていかなることも為し遂げることができるのである。」
という言葉があります。
「無為」であります。
何もしないことは奥深いものです。
時に与えられた場所で、与えられた時間をただ、自分が自分であるだけで過ごすというのはいいことです。
自分がありのままの自分で居られる場所でなにもしない時間を過ごすのが「坐禅」ということもできます。
これからも「何もしない」日をもっと増やしたいと思うのですが、なかなかそうもいかないのが実情です。
いろんなことをしながらも「何もしない」という境地になれたら最高なのですが。
横田南嶺