悩みは消えるか
ビジネス社というところから出した本であります。
二〇二二年の十月に出版した本であります。
この本を読まれた企業の方から、法話を依頼されました。
この本の第八章から第九章にかけて説かれている「一人一世界」や「知ることと愛すること」などをもとに、ハラスメントにまつわる話をしてほしいという依頼でありました。
そう依頼されて、改めて『悩みは消える』の本を披いてみました。
第八章には、
「いつの時代も、人間の悩みや心配事の大きな部分を占めているのが、人間関係に関することではないでしょうか。
特に昨今は、パワハラをはじめとした各種ハラスメントへの関心が高まっています。ここでは、パワハラに対する管長のお考えをお聞かせください。
確かにパワハラをはじめとした「〇〇ハラスメント」という言葉を、近頃よく耳にします。
先日も、育児中の女性から相談されました。
「独身の後輩から、自分たちはこんなに仕事を抱えているのに、家庭や育児を理由に早く帰るなんて……」という視線で見られるのがつらい、という内容です。
つまり後輩からの逆パワハラですね。
この質問者にお伝えしたいのは、「パワハラは、するより、される方が幸せ」だということです。
もしパワハラをしてしまったら、その人間は人を傷つける罪業をつくります。
逆に、パワハラをされた側は、罪業が消えていきます。
仏教には、そういう考え方があるのです。
人に罵られたり、不当な目に遭ったりすることによって、自分の過去の罪業が消えていく。
過去の罪業のために、本当は交通事故に遭ったり、重篤な病になったりしたかもしれないところを、今こうして大変な目に遭うことで、それが消えていくというのです。
パワハラをする側になったら、罪業が増えていく。されると減っていく。こんなに有り難いことはないですね。」
と書いています。
一読してずいぶんのんきなことを言っているなと少々あきれてしまいました。
今パワハラされて苦しんでいる人にしてみれば、何をのんきなことを言っているのかと思われることでしょう。
そのあとには、こんなことを書いています。
「先ほどは逆パワハラのケースをご紹介しましたが、実際は、上司や先輩から受ける場合が多いでしょう。
お坊さんの世界でも、上下関係の問題はたくさんあります。
私は、それを克服する道は「相手を理解する」ことしかないと思っています。
不当なことを言う上司は、必ずどこの世界にもいると思いますが、「嫌な上司だ、あいつは苦手だ」と思っていると、やはり、その心は向こうに映りますから、いつまで経っても大変なままです。
そういう場合、私は、その人のことを、角度を変えて見てみます。
今の時代は、仕事関係の人について、プライベートなことまで知るのは難しいかもしれませんが、お寺の関係で言いますと、どういう立場の人なのか、今どういう環境にあるのか、家庭の状況がどうなのか、いろいろ知るように努めます。そうすると、相手のことがいろいろ分かってきて、相手に対する自分の気持ちにも変化が生じるのです。
「なるほど、あの人は今、家庭にこういう問題があるから、みんなの前に出た時に、こうやって発散しているんだな」ということが分かると、ただただ嫌いで、憎かった相手に対し、「ああ、あの人も気の毒な人なんやな」という気持ちがわき起こってくるのです。
だから、大切なのは「知る努力」です。」
というのであります。
そして説いているのが「一人一世界」ということです。
「うちのお寺でも若い人をたくさん預かっていて、こちらの考えと彼らの考えは全く違いますが、これも仏教の知恵で、人間はそれぞれ「一人一世界」にいると仏教学の横山紘一先生がおっしゃっていますが、一人一人、それぞれ別の世界を生きているという考えです。」
と書いています。
更に、
「「期待するから外れるんだ」という言葉もありますが、「自分の価値観が相手に通じ、価値観を共有できるはず」と思うことが、うまくいかない原因でしょう。
一人一人が違う世界観を持った人間だと思うことです。
そして違いを認めて、その存在を大切にしてあげることです。
「知ることと愛すること」が、人間関係の悩みを解決するカギです。
仏教では、この「知ることと愛すること」を、「智慧と慈悲」と言います。
知ることと愛すること、我々ができるのは、それだけです。
いかにその人のことを知るか、そしてその存在を認めてあげるか、です。
「愛する」というのは「その存在を認めてあげる」ことです。
それ以上のことはできません。
「その人の考えを変えさせよう」などということは、土台無理な話です。」
と書いています。
このあたりは、なるほどその通りだと今も思います。
仏教の言葉に「一水四見」というのがあります。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「唯識派が説く考えで、心を離れて事物は存在しないということの証明のために用いる実例。
<一処四見><一境四見>ともいう。
人間が水と見るものを、人間と異なった生物が見ると別の異なったものに見えるという考えである。たとえば、人間が水や浪と見るものを、天人は瑠璃(るり)でできた大地、地獄人は膿で充満した河、魚は家宅や道路としてそれぞれ見るという。このように、見る側のあり方によって同一の事物もその様相を変えるから、心を離れて事物は実在しないと唯識派は主張する。」
というのです。
そして第九章には「嫌な人はいない、嫌だと思う自分がいるだけ」という言葉について書いています。
「先日、修行僧に般若心経の講義をしました。その際に、般若心経の理解を深めるために、次の言葉を引用したのです。
「嫌な人はいない。嫌な人だと思う自分がいるだけ」
誰の言葉か覚えていないのですが、私の言葉ではありません(笑)。若い修行僧たちに「この意味わかる?」と尋ねたら、「なんとなくわかります」と言っていましたが、私が伝えたいのは、こういうことです。
例えば、あの上司はうるさくて、ガミガミ言って嫌だ、嫌だとあなたは思っているかもしれない。
だけど、ちょっと見方を変えてみれば、あの上司は、もっと上の上司から、それ以上にガミガミ言われているかもしれない。
それで仕方なしに、ああやっているのかもしれない。あるいは、家庭がうまくいっていなくて、機嫌が悪いのかもしれない。もしかしたら、余命宣告を受けて、残された日々がわずかであることに、取り乱しているのかもしれない……。
私たちは、自分が見ている姿、聞いている声、その人がやっていることだけを見て判断し、「嫌な上司だ」と思っています。その「嫌な上司だ」という思いは、自分が作りあげたものにすぎないのです。」
もう3年ほど前に出した本ですが、改めて読み返していました。
はたして悩みは消えるでしょうか?
横田南嶺