祈りの延命十句観音経
最近注文をしたことがないのに何なのかと思いました。
注文していなくても著者謹呈など贈呈されることがあります。
なにかの贈呈かなと思って開封してみると、私の本が入っていました。
『祈りの延命十句観音経』であります。
それを見て思い出しました。
このたびまた増刷することを春秋社から聞いていたのでした。
増刷ごとに一冊いただけることになっているのです。
有り難いことだと思って感慨深いものがありました。
奥付をみますと、この本は初版が二〇一四年の三月十一日となっています。
今回の増刷が二〇二五年三月一〇日、第六刷となっています。
実にもう十一年もの歳月が過ぎていることが分かります。
二〇一四年の発行ですから、ちょうど五十歳になる年に初めての本を出したのでした。
今は出版しても、もうそれっきりというところが多いのです。
十一年にもわたって継続して出版してくれるところなど、私の知る範囲ではこの春秋社くらいであります。
初めての本をこの出版者から出してよかったとしみじみ思いました。
十一年の間には、担当の編集者も変わり、今は三人目の方が担当してくれています。
そしてこの六刷を送ってくださった中に、手書きの手紙が添えられています。
なかには「このたびはお陰様で御著『祈りの延命十句観音経』の第六刷が無事にできあがりました。
十一年という歳月に亘り、素晴らしい貴重な御本の版を重ねさせていただき、小社一同まことに光栄に存じます。
謹んで御礼申し上げます。
今後とも励んで参ります。
まずは御礼かたがたこちらに献本申し上げます。」
と書かれています。
手書きの文字が温かいのであります。
これはこの出版社の心をそのまま表しています。
本のオビには、
「鳥はとばねばならぬ
人は生きねばならぬ」
の坂村真民先生の言葉が大きく書かれ、その下に、
「3.11東日本大震災を機縁に深く静かに「祈り」の輪が広がる……
「めげずに生きるぞ」と宣言する 祈り=いのちの力」
と書かれています。
オビの裏には、本書の中の言葉が書かれています。
「「い」はいのちの力、生命力、「のり」は宣言を意味しています。だから、「いのり」はいのちの宣言です。
人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けています。そのように苦しいとき、人は「めげずに生きるぞ」と宣言する、それが祈りです。
そうすると、祈る人の心が活性化して、いきいきと暮らしていけます。変えられるのはお互いの心です。」
と書いています。
本の「はしがき」には次のように書いています。
「論語の中に「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って矩を喩えず。」という有名な言葉があります。
これを我が身に当てはめてみますと、恥ずかしながら、十三歳の頃から尊いご縁をいただいて参禅をはじめまして、この道に志そうという気持ちをいだいたように思います。
はじめだけは、かの孔子とも変わらないのですが、「三十にして立つ」どころか、三十歳のころはいまだに草鞋を履いて雲水修行をしていました。
「四十にして惑わず」、これもそれどころか、四十の頃は、「果たしてこれでいいのか、これでいいのか」と迷い惑うばかりの日々だったように思います。
もはや孔子の説くところからは、かけ離れてしまって、「五十にして天命をしる」など夢にも及ばぬこととすっかりあきらめていました。」
というように率直に自分の気持ちを書いています。
しかし、その五十の年に与えられた天命のように、この本が出版されることになったのでした。
「はしがき」にも
「はからずも円覚寺の管長に就任して以来、何度か本の出版を勧められましたが、とても本を出せるようなものも無く、断ってきました。それがこの度、春秋社から『延命十句観音経』の本を出して欲しいとの話をいただきました。
本書に述べています通り、この『延命十句観音経』とのご縁は実に深く、このお経を弘めるのにお役に立てるならと思って、出版の話を引き受けました。何のとりえも無く今年五十歳を迎えるにいたりましたが、この『延命十句観音経』を少しでも多くの方に弘めることこそ、私に与えられた天命かも知れないと思っています。」
と書いているのです。
震災を機縁にこの延命十句観音経を見直すようになったのは、本書に詳しく経緯を書いています。
いろんなところで、この『延命十句観音経』を講じるようになりました。
何度も講義しているうちに出来たのが、延命十句観音経意訳であります。
延命十句観音経 意訳
観音さま
どうか人の世の苦しみをお救い下さい
人の苦しみを救おうとなさる
その心こそ仏さまのみ心であり
私たちのよりどころです
この仏さまの心が
私たちの持って生まれた本心であり
さまざまなご縁にめぐまれて
この心に気がつくことができます
仏さまと 仏さまの教えと
教えを共に学ぶ仲間とによって
わたしたちはいつの世にあっても
変わることのない思いやりの心を知り
苦しみ多い中にあって
人の為に尽くす楽しみを知り
この慈悲の心を持って生きることが
本当の自分であり
汚れ多き世の中で
清らかな道であると知りました
朝に観音さまを念じ
タベに観音さまを念じ
一念一念 何をするにつけても
この思いやりの心から行い
一念一念 何をするにつけても
観音さまの心から離れません
というものです。
このお経がご縁となって、津波で甚大な被害を受けた気仙沼の地福寺さまとご縁ができました。
震災から二年後に、地福寺さまを訪ねた時のことが、本の中に書いています。
「さすがに二年経つと、お寺の中はかなり修復されています。
お参りしてふと、経机を見ると、「延命十句観音経意訳」のプリントが置かれていました。
これは、私が円覚寺で延命十句観音経の話を何度も繰り返すうちに、出来た意訳です。
思わずうれしくなって、
「和尚さん、この意訳を誦んでくれているのですか」
と聞くと
「ええ、いつも法事の度に皆でこれを唱和しています」
と答えてくださいました。
何と有り難い事かと、感激しました。」
ということです。
それで私はうれしくなって、せっかく皆で唱えてくださるなら、もっと唱えやすいようにできないかと思いました。
そう思っているとふと口を衝いて出てきたのが、和讃でありました。
延命十句観音和讃
大慈大悲の 観世音
生きとし生ける ものみなの
苦しみ悩み ことごとく
すくいたまえと いのるなり
苦しみのぞき もろともに
しあわせいのる こころこそ
われらまことの こころにて
いのちあるもの みなすべて
うまれながらに そなえたり
ほとけの慈悲の 中にいて
むさぼりいかり おろかにも
ほとけのこころ 見失い
さまようことぞ あわれなる
われら今ここ みほとけの
みおしえにあう さいわいぞ
おしえを学ぶ 仲間こそ
この世を生きる たからなり
われを忘れて ひとのため
まごころこめて つくすこそ
つねに変わらぬ たのしみぞ
まことのおのれに 目覚めては
清きいのちを 生きるなり
朝に夕べに 観音の
みこころいつも 念ずなり
一念一念 なにしても
まごころよりは おこすなり
一念一念 観音の
慈悲のこころを 離れざり
本書に「これは、自分で作ったというより、観音さまのお言葉だと受け止めています。
今年も、機会ある度に延命十句観音経のお話を続け、この和讃を紹介して、皆で祈ることを大切にしたいと思っています。
祈ることの大切さも、震災で学んだ一番の事です。」
と書いています。
送られてきた六刷を手にしながら、当時のことをいろいろ思い出していました。
また更に精進しなければと思ったのでした。
それからなんと有り難いことに、本の値段が千円のままなのです。
出版当時も多くの方に読んでもらいたいと思って、かなりお安くして千円にしてもらいました。
10年以上物価の高騰する中で、値段据え置き千円というのも出版社の有り難いご配慮であります。
横田南嶺