舎利子
ただいまは禅文化研究所所蔵の墨蹟を紹介する動画と共に、山田無文老師の般若心経に学ぶというのを撮っては公開しています。
禅文化研究所に山田無文老師の『般若心経』という、般若心経を無文老師が提唱された本があります。
その無文老師の言葉の一節を取り上げて、般若心経を解説するというシリーズであります。
第六回と第七回と二回分を収録してきました。
毎回10分前後で解説しています。
これをずっと聞いていくと般若心経が分かるというようにしています。
今回は、「舎利子」を解説して一本収録しました。
舎利子について無文老師が実に詳しく解説されていますので、一回分としたのでした。
舎利子は、舎利弗とも言います。
舎利子の子が、梵語のプトラで子という意味です。
舎利とプトラで、音をそのままあてると舎利弗となります。
プトラの部分のみ訳して「子」にすると、「舎利子」となるのです。
『広辞苑』には「舎利弗」で解説されています。
「(梵語Śāriputra)釈尊十大弟子の一人。
インド、マガダ国の首都王舎城外那蘭陀村の婆羅門バラモンの家の生れ。
釈尊の弟子となり、智慧第一と称せられた。
釈尊に先立って死去。
シャーリプトラ。舎利子。鶖鷺子(しゅうろし)。」
と書かれています。
十大弟子というのは、
舎利弗が智慧第一、
大目連が神通第一、
大迦葉が頭陀第一、
須菩提が解空第一、
富楼那弥多羅尼子が説法第一、
摩訶迦旃延が論義第一、
阿那律が天眼第一、
優波離が持律第一、
羅睺羅が密行第一、
阿難が多聞第一
というのであります。
岩波書店の『仏教辞典』には詳しく説かれています。
一部を紹介します。
「婆羅門(ばらもん)の出身。
舎利弗の名は母シャーリの子(プトラ)という意味。
王舎城近くのウパティッサ村に生まれたので、ウパティッサという名もある。
懐疑論者サンジャヤの弟子であったが、目連と一緒に釈尊に帰依し、サンジャヤの弟子250人を引き連れて集団改宗した。
釈尊の実子羅睺羅(らごら)の後見人でもある。
至る所で釈尊の代わりに説法できるほど信任が厚く、多くの弟子を擁した。
釈尊より年長で先に世を去った。智慧第一の弟子として知られる。仏十大弟子の一人。」
と書かれています。
無文老師は、どの経典に依って説かれているのか分かりませんが、かなり詳細に解説されています。
「シャーリプトラ。
プトラは音訳すると弗、意訳すると子ですから、舎利子でも舎利弗でも同じことであります。
舎利というのは、鷺の一種で、目の非常にきれいな鳥だそうです。
このシャーリプトラのお母さんが非常に澄んだきれいな目をした賢い人で、ちょうど舎利のような目をしておるというので、舎利さんと呼ばれておった。
その人から生まれた子供であるから、舎利子と呼ばれることになったわけです。
釈尊のお弟子には頭陀第一の迦葉尊者、持戒第一の優波離尊者、神通第一の目連尊者というように十大弟子がありますが、この十人のお弟子の中で智慧第一、智慧についてはこの舎利弗の右に出るものがないと言われたくらい立派なお弟子であります。
三千世界の衆生の智慧を集めても、舎利弗の智慧の十六分の一しかない、と言われるほどでした。
八つの時に、もうマガダ国の哲学者を全部言い負かしてしまい、十六の時には、もう二百五十人のお弟子があったと言われるほど賢い人であります。
この舎利弗の友達に目連尊者という人があります。
この人ももと仏弟子ではなく、他の宗教をやっておった人であります。
ところが、釈尊が成道された二年目のこと、竹林精舎の傍のナーランダという町に舎利弗がいて、ある時、道を歩いておると向こうから一人の仏弟子がやって来ました。
馬勝比丘、原語で阿説旨と申す人でありますが、お釈迦さまが成道されて二年目でありますから、まだそんなにたくさん弟子はありません。
釈尊が初めて済度された五人の比丘の中の一人ですが、その馬勝比丘が向こうからやって来る姿を舎利弗が一目見て、大変に感激した。」
と説かれています。
この話は、相田みつをさんも「一寸千貫」という詩にも詠われています。
そのむかし、阿説示という青年の
歩く姿勢のよさに魅かれて
舎利弗という人が尋ねました
「あなたのお師匠さんは?」
その師こそお釈迦様 それが縁で舎利弗は
親友の目連と共に お釈迦様の弟子になった
ということが書かれています。
無文老師はこの阿説示についても詳しく経典をもとに解説されています。
「いかにも和やかな、いかにも法悦に満ちた、愁いのない、血色のいい、実に素直な顔をしておる。」というのです。
更に「実に目が静かである。別に何を見ようというキョロキョロしたところが何もない。
耳も静かだ。ゆったりとして、騒がしいところが少しもその姿にない。
衣服斉整。着ておる着物袈裟はいかにも粗末なものであるが、よく洗濯の行き届いた折り目の正しいキチッとしたものを着ておる。
しかも地を視て行く。キョロキョ脇目をせずにじっと一間先の地面を眺めて、真っ直ぐに歩いて来る。」
と詳細に解説されています。
その姿に舎利弗は感激したのでした。
そして「あなたはどなたのお弟子ですか。いったい、どんな修行をしたらあなたのような静かな、そういう穏やかな喜びに満ちた姿になれるのですか」
と尋ねますと、馬勝比丘こと阿説示は「私は釈迦牟尼の弟子だ」と答えました。
無文老師の解説には、
「舎利弗はまだ釈迦牟尼の名前を知りませんから、
「釈迦牟尼とは、いったいどういう方ですか」
とかさねて尋ねると、馬勝比丘は釈迦牟尼のことを話し、その教えを示してやります。
「法は縁に従って生じ、亦た縁に従って滅す、一切諸法は、空にして主有ること無し――この世の中の森羅万象は因縁という法によって動いていくのであり、一切は因縁によって動いていくのである。その因縁ということを釈迦牟尼はお説きになるのである」」
と書かれています。
「しかもこの世の中は一切因縁によって動いていくのであるから、そこには自我というものはないのだ。我というものはないのだ。我というものがあると思うのは、因縁によって仮りに我という姿がそこに現われているだけである。
その仮りに現われている我は、毎日動いていく 変化をしていく我である。そこに絶対動かない自我というものはないのだ。
こう自分は悟ったのであると馬勝比丘に聞かされて、大いに感じさせられたのであります。」
「われわれは、自我があると思うから、そこに自我に対する執着がある。
自分をよいものにしようという努力があり、人に負けまいとする争いの心があり、ねたみの心がある。この世の中の多くの平和を乱すものは、皆この自我があるからだ。
罪を作ればその罪に執着し、裁かれる自己に執着し、神の前に出ても裁かれる自我を持っておる。そこに人間の救われない悩みがある。しかし、自分というものはないものであると徹底するならば、この比丘のような穏やかな、平和な、和やかな気持ちになれるのだ。」
というのです。
舎利子の解説から既に般若心経の大事な教えが説かれているのであります。
横田南嶺