悲
仏教とはどういう教えか簡潔に言うと、「智慧と慈悲」の教えだと言えます。
「慈悲」については岩波書店の『仏教辞典』に
「仏がすべての衆生に対し、生死輪廻の苦から解脱させようとする憐愍の心。
智慧と並んで仏教が基本とする徳目。」
と説かれていて、更に
「慈と悲
慈悲の<慈>(マイトリー)は、mitra(友)から派生した「友愛」の意味をもつ語で、他者に利益や安楽を与えること(与楽)と説明される。
一方、<悲>(カルナ)は他者の苦に同情し、これを抜済しようとする(抜苦)思いやりを表す。」
と解説されています。
思えば仏教を開いたお釈迦様は、お生まれになって数日で実の母を亡くしています。
自分の命は、母の命と引き換えに賜ったのだという深い悲しみが、お釈迦様の教えの根底に流れているように感じます。
そしてまたお釈迦様のお説法も慈悲の心から始まっています。
お釈迦様が悟りを開いて、説法せずにおこうかと思っていたところ、梵天がお釈迦様にお説法してくださいとお願いしたのでした。
自身が悟った法は奥深いもので、五欲の楽しみにふける者たちに説いても通じないだろうとお釈迦様は思ったのでした。
それに対してお釈迦様は
「梵天王の勧請を知りて、衆生に対する哀憐の心を生じ、覚者の眼をもって、世間を眺めたもうた。
そこには、塵垢多い者もあり、塵垢少ない者もあった。
利根の者もあり、鈍根の者もあった。善き相の者もあり、悪しき相の者もあった。教えやすき者もあり、教えがたき者もあった。
その中のある者は、来世と罪過の怖れを知っていることも見られた」
と思われたのでした。
かくして哀憐の心をもって人々をご覧になって法を説こうと決意されたのでした。
「人生は、苦である」とは仏教の教義の根本でありますが、人生の深い悲しみを見つめた言葉でもあると思います。
もう何年も前に、石川県かほく市にある西田幾多郎記念哲学館で講演を頼まれたことがありました。
記念館に入ってすぐに、「哲学の動機は「驚き」ではなくして、深い人生の悲哀でなければならない」という一文が掲げられてあって、感動ました。
西田幾多郎にとっての人生の悲哀とは何だったのでありましょうか。
十三歳で体験する姉の死をはじめに、弟の戦死、そして五人の子供を亡くしたことでもありましょう。
深淵なる哲学は、この深い悲しみから生まれているのだと思うと、深く感動したのでした。
かつて作家の五木寛之さんと対談した折に、仏教を深く学ばれている五木さんからこの「悲」について教えていただいたのでした。
五木さんは、
「人の痛みや苦しみを自分が半分引き受けたいと思っても、それはできないですよね。
どんな思いがあっても、人の苦しみはその人の苦しみであって、それを半分自分が分けてもらって背負うことはできません。
ではどうすればいいかというと、無言のまま自分の無力感に打ちひしがれながら、その人の隣りに座ってじっと相手の顔を見ていることしかないんです。
その時のなんとも言えない無力感を「悲」と言うのでしょう。
だから「悲」というのは、共感、共苦する心ですよ。
分けてもらうことはできないけれども、その人の痛みはよく自分の心に伝わっている。
だから、共に痛み共に苦しむ。そうすると、頑張れと言われなくても、相手は「ああ、この人は自分の痛みや悲しみをわかってくれている」という気持ちになるじゃないですか。」
と説いてくださいました。
これは『命ある限り歩き続ける』という致知出版社から出した五木先生と私の対談本にある言葉です。
坂村真民先生に「かなしみはいつも」という詩があります。
かなしみはいつも
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
という詩であります。
かなしみは噛みしめていなくてはならないという真民先生の言葉は深く心に響きます。
作家の高見順さんは「葡萄に種子があるように 私の胸に悲しみがある 青い葡萄が酒に成るように 私の胸の悲しみよ 喜びに成れ」と詠いました。
悲しみはやがて人生の喜びへと熟成されるのでしょうか。
それまでには幾多の苦難を経なければならぬのでしょう。
苦難を乗り越えるには、多くの人の支えが必要であります。
また変わることのない自然に姿に触れることによっても大きな力を得るものであります。
「去年今日、此の門の中。
人面桃花、相映じて紅なり。
人面は知らず何れの処にか去る。
桃花旧きに依って春風に笑む」
という唐代の詩人崔護の詩があります。
西安の崔護は青年時代に、進士の試験に受かる前に郊外を散歩していて、のどが渇いた為ある屋敷で水を求めました。
すると花木の生い茂る、その家の門に美しい娘が現れました。
その時は水を所望して別れましたが、一年後再び娘を思って家を尋ねたのでした。
しかし門は閉ざされて誰もいません。
そこで崔護は先の詩を門に書いて去ったのでした。
詩の意味は「去年の今日、この門の中であなたと出逢った。折しも咲いていた桃の花とあなたと共に相映じて実に美しかった。しかしその人はどこに去っていたのか知るよしもない。ただ桃の花だけが以前と同じようにこの春風に咲いている」というところでしょう。
さく花の姿にふれて悲しみが癒やされることもあるものです。
人の世の悲しみをいくたびも体験して、仏の慈悲を感じることも出来るようになります。
横田南嶺