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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.02.21
今日の言葉

甲野善紀先生と対談

涅槃会の日は、寒いときにもかかわらず大勢の方が、佛殿にお参りくださりました。

土曜日だったということもあるのでしょう。

有り難く思いました。

かつて午前六時に誰もいない佛殿で涅槃会をおつとめしていたのですが、私が管長に就任してなんとか皆様にもお参りできるようにしようと、いろいろと努力して午前十時に行うようにしたのでした。

しかしながら、やはり二月十五日の涅槃会はとても寒い時期なので、あまりお参りされる方は少なかったのでありました。

それが今回のように大勢の皆様にお参りいただくと感激します。

私はいつもの法要をいつものように行うのみで、これはもう体が覚えていますので、なにも意識しなくても出来るようになっています。

無心の内に体が動いて、気がつくと一時間ほどの儀式が終わっていました。

終わったあとに、簡単な涅槃図の説明を申し上げました。

まず上から満月だということでお月様が描かれていること、そしてバッダイガという河が描かれていること、沙羅双樹が描かれていることなどをお話しました。

それから天空にはお釈迦様のお母様がお見えになっているのだということもお話しました。

お母様が薬の袋を投げたのですが、木の枝にひかかってしまったことなどもお話しました。

涅槃会を終えると、すぐに上京しました。

新宿の朝日カルチャーセンターで、甲野善紀先生と対談することになっていたのでした。

これは朝日カルチャーセンターの甲野先生の講座に私がお招きいただいたのでした。

横浜の朝日カルチャーセンターには毎年出かけていますが、新宿は初めてであります。

まず建物が大きなことに驚きました。

こういうところで大勢の方が学んでおられるのだと思いました。

エレベーターを待っていると、向こうから着物姿で颯爽と現れる甲野先生が見えました。

ちょうど同じ時間に着いたのでした。

甲野先生は新宿の町のなかでもいつものと同じ出で立ちで和服に袴で、剣を担いでいらっしゃいます。

甲野先生と井上欣也さんもご一緒でありました。

井上さんは、いつも私がご指導いただいている方であります。

甲野先生がとても高く評価しておられる青年であります。

甲野先生のもとでも長年学ばれている井上さんは、甲野先生の侍者のように現れました。

そのまま控え室に入ってお茶を飲みながら簡単な打ち合わせをしていました。

だいたいこういう対談の企画は、どんなテーマで、どんな話題で、どのような構成で行うか、資料などがあるものですが、今回は何もありません。

朝日カルチャーセンターの方からは、すべて甲野先生にお任せしているとだけうかがっています。

どうなるものか心配な気持ちもありますが、何度かお目にかかっている甲野先生なのでお任せすればだいじょうぶだろうと思って臨みました。

こちらは何も準備もできませんので、付け焼き刃がなにもありません。

素のままで臨むしかないのであります。

控え室に入ってお話をしていると、最近気がついたのだという話をされました。

もっともその内容は本番で話をするとおっしゃいましたので、その話をうかがっていればいいのだと思いました。

また控え室でも最近の技の披露をしていただきました。

いつもながらの甲野先生なので、すべてお任せと思って時間となりました。

はじめに甲野先生が語り始めました。

私に聴きたいことが山ほどあるとおっしゃっていましたものの、ほとんど甲野先生が語ってくれていました。

ふと時計が目に入ると、開始から三十分以上も過ぎています。

その間私はなにもしゃべらずであります。

もっともこの講座は甲野先生の講座なので、皆さん甲野先生のお話を楽しみにされているのでしょうから、私は聞き手に徹すればいいと思っていました。

私の知らない名前がいくつか出ていました。

松下松蔵という名前を私は存じ上げませんでした。

塩谷信男先生が生前にこの松下松蔵にであって高く評価されていたという話でありました。

塩谷信男先生は、一九〇二年のお生まれで二〇〇八年にお亡くなりになっている医師であります。

東京帝国大学医学部を出ていらっしゃいます。

「正心調息法」という呼吸法を実践されていて、私も呼吸法の研究をしていた頃に、その著書を読んだことがあります。

そんな塩谷先生が、昭和のはじめ頃に松下松蔵氏を訪ねたという話でした。

松下氏は、熊本県長洲町に住んでいらっしゃいました。

長洲駅から松下家までは、なんと「神様行」と表示されたバスが運行されていたというのです。

松下氏の家の周辺には、いつもバスが六台以上駐車していたとか。

この松下氏が実に不思議な霊力で患者を治してゆかれたというのです。

松下氏は、農家の生まれで、子供の頃から農作業を手伝って、教育は受けていなかったそうです。

読み書きもできず、かろうじて自分の名前を書ける程度だったといいます。

ただ宗教への関心は深く、寺で説教を聞いたり、神社にでかけては神主の講話を聞いていたのでした。

それが四十七歳のとき、いつものように神前に額ずいて祈念していると、突然約1升とも思われる程の血を吐いたというのです。

死を覚悟したそうですが、この日を境に、不思議な霊力がはたらくようになったという話でした。

新興宗教の教祖になるような方にはよくあるお話であります。

その松下氏は周囲が呆れ、気の毒がるほど親には孝行を尽くした方だというのです。

そして松下氏は「天皇への「忠」、親への「孝」、先祖に対する「崇祖」、真心からの「敬神」、この四つの実践を「四大道」といって人間の修行として大事にされていたという話であります。

とくに親への孝をもっとも大事にされたのでした。

江戸時代の剣の達人と呼ばれた白井亨もまた母への孝行の思いが強かったと甲野先生は教えてくださいました。

古来高僧でも親孝行の方は多いものです。

この親への孝ということが話の中心であり、最近の甲野先生の気づきでもあったのでした。

このご体験については詳しくは書けませんが、拝聴して私も深く感銘を受けました。

長年古武術を探求されてきた甲野先生がたどり着かれのは親への孝であったという話には感動しました。

今北洪川老師が、禅の修行は父母への報恩と説かれているのと一致したのでした。

今日はよいお話を聞けたと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

そうして更にこの体が親からいただいたものだと感謝して、日常の些細な動作にも感動できるようになることだと説いてくださり、これは禅の教えにも通じるのであります。

終わりの方では最近の技も披露してくださり、私も恐れ多くも受け手をさせてもらいました。

九十分達人の話をもっとも間近で拝聴できて至福の対談でありました。

 
横田南嶺

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