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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.02.05
今日の言葉

頂点に立つことの危うさ

「頂点に立つことの危うさ」、この言葉が深く心に残っています。

これは先日一月の末に、円覚寺で行われた鎌倉禅研究会での小川隆先生のお言葉です。

鎌倉禅研究会は、毎月建長寺で開催されているものです。

近年一月のみ円覚寺を会場にして、小川隆先生と私が講義をしています。

毎年ですと、この講座の為に、私も勉強するのですが、今回私は、主催者の方から「イス坐禅」をしてほしいという依頼がありましたので、勉強はせずに、イス坐禅を担当しました。

イス坐禅も九十分をいただいて、丹念に行いました。

そのイス坐禅の前が、小川隆先生のご講義でありました。

演題は「向来の仏祖のなかに天の供養をうくるおほし」というものです。

はじめに、『新明解国語辞典』で「禅宗」を調べると、

「座禅によって悟りを開き、人生の真意義を悟ろうとする、仏教の一派。」と書かれていると紹介されました。

しかし唐代の禅では、いかに悟りを開くかも大事ですが、いかに悟りを忘れて普通に生きるかということが大事になっていると説かれました。

そして禅宗以前の禅として、求那跋摩という方と虎の話がありました。

中国には虎がいたようで、語録ではよく出てきます。

とある山で虎がでて被害も多かったのでした。

求那跋摩は、その山に住して虎に出会うと、杖で頭をさすり、戯れてから立ち去ったというのです。

そうしていると、その山路を旅する者も往来に障害はなくなり、徳に感じて帰依する者も多くなったという話です。

それが禅僧の話になると、また違ってきます。

帰宗禅師と南泉禅師の話が紹介されました。

帰宗禅師と南泉禅師が山を歩いていて虎がでました。

南泉禅師は怖れて動けなくなりました。

先をゆく帰宗禅師に声をかけると、帰宗禅師は虎を一喝して退散させました。

南泉禅師は、帰宗禅師に「あなたは虎をどうみたか」と問います。

帰宗禅師はネコだとみたのだと誇らしげです。

南泉禅師は、それではまだまだ私に及ばぬと言います。

ではどうみたかと問われて南泉禅師は「虎とみた」と答えた話です。

虎をネコと見て一喝するのは、素晴らしい力量だと思われます。

しかし、そんな「悟り」を超えて、平凡に虎を虎だと見て、恐ろしいとおびえているのが平常心なのです。

そこから、牛頭禅師と四祖禅師の話になりました。

まだ牛頭禅師が、四祖禅師に逢っていなかった時には、牛頭禅師のもとにはたくさんの鳥たちが花をくわえて供養に来ていました。

それが四祖禅師と出逢ってからは鳥たちもパッタリ供養に来なくなったという話です。

鳥たちが花をくわえて供養に来るというのは素晴らしい悟りの境地といえましょう。

しかし、そんな悟りにとどまるのをよしとしないのです。

南泉禅師の問答があります。

こちらは小川隆先生の『禅僧たちの生涯』(春秋社)にある訳文を紹介します。

「「牛頭がまだ四祖に逢っていなかった時、多くの鳥たちが花をくわえて供養にやって来た、それは、どういうことでございましょう?」

南泉、「一歩一歩、仏への階段を登っていただけのことだ」。

「では、四祖に逢うた後、鳥たちが供養に来なくなったのは、なぜでしょう?」「来なくなったところで、なお、このわしには糸ひとすじぶん及ばぬ」。」

というのです。

南泉禅師と土地神の話もありました。

南泉禅師が、荘園の見回りに行こうとしました。

その前の晩に土地神がそのことを荘園の管理をする者に告げました。

南泉禅師が見回りにゆくと、管理の者はあらかじめ支度していたので、南泉禅師はどうして分かったかと問います。

土地神が教えてくれたのだと言われて、南泉禅師は、自分の修行は無力だったと嘆くのです。

鬼神に心のうちを見抜かれたのを悔やんだのでした。

そこで道元禅師の言葉を紹介してくださいました。

「向來の佛祖のなかに、天の供養をうくるおほし。
しかあれども、すでに得道のとき、天眼およばず、鬼神たよりなし。そのむね、あきらむべし。」

というのです。

昔の仏祖には、天からの供養を受けたものが多くいたけれども、真実の道を得たならば、天眼にも見られず鬼神にもうかがいしれないのだというのです。

時の権力者にも近づかず孤高の生涯を貫かれた道元禅師らしいお言葉です。

そこで宋代の雲門宗の修顒禅師の話となりました。

修顒禅師がお寺にお入りになるのを、高官であった富弼と司馬温光が国境まで出迎えます。

するとたくさんの荷物を運ぶ人たちをまのあたりにします。

なんの荷物かと聞くと、今度お越しになる修顒禅師のお荷物ですと聞いて、司馬温光は、もう逢う必要は無いとばかりに立ち去るのでした。

そんな多くの方の帰依を受けてたくさんの荷物を持っているようではまだまだというのでしょう。

逆に、常に寺に住しても風呂敷包みと杖一本とわずかな荷物で暮らして、時の権力者から「去れ」と言われれば飄然と去った福厳の感禅師の話がありました。

「世俗的な成功は、元来の仏教精神の喪失を意味する。

人間的な贅沢の完全な拒絶とはいわぬまでも、少なくともそれと距離を置くという精神が、仏教にはある。

だから、僧侶が世俗的な成功を収めることは、そうした精神の喪失を意味するのである」

というジョン・マクレー先生の『虚構ゆえの真実―新中国禅宗史』にある言葉が印象に残りました。

そこで小川先生は、「頂点に立つものの危うさ」と説かれたのでした。

先日湯島の麟祥院の講座の折に、小川先生に栗山英樹さんとの対談本を謹呈しましたので、そのことにも触れてくれました。

WBCで世界一になった時、栗山監督は、こうして人間はだめになってゆくのだと思ったという話しであります。

世界中の称賛を浴びる、というまさに頂点に立ったときこそ危ういのです。

またその危うさを自覚していればだいじょうぶかと思いました。

実に充実した内容のご講義でありました。

そのあと、私はいつものイス坐禅を九十分行いました。

寒い時であり、会場には多くの方が集まってくださって、あまり動くこともできない状況でしたが、どうにかイス坐禅を体験してもらいました。

これには小川先生もとても喜んでくださいました。

多くの皆さんも体もほぐれたといってはとても喜んでくださっていました。

多くの皆さんの温かい言葉に触れて、有り難いことだなと私も嬉しくなったのですが、そこで小川先生のお言葉です、「頂点に立つのは危うい」のです。

皆さんから喜ばれ褒められるのは、まだまだだと自覚しなければならぬと自ら戒めたのでした。

 
横田南嶺

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