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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.02.02
今日の言葉

ころんで気がつく

ころんでもただでは起きぬとは、あまり良い意味では使われません。

『広辞苑』にも「欲が深く、どんな場合にも利益を得ようとする者のことをいう」と解説されています。

ころんで悟りを開いたという方はいらっしゃいます。

先日湯島の麟祥院では、ころんで悟りを開いた方のお話でありました。

この勉強会は、思えば二〇一五年に始めましたので、この春にはもう十年になります。

臨済禅師の千百五十年の大遠諱が臨済宗をあげて行われることになって、その前の年に、始めたのでした。

始めようと言い出したのは、他ならぬ私でありました。

遠諱に合わせて、広く世間の人に禅を知ってもらおうと、様々な企画がなされました。

東京国立博物館で展覧会も行いました。

六本木でも公開の講座を何度か開催しました。

全国で坐禅会も行いました。

そんな中でまず和尚さんたち自らが勉強しなければと思って始めたのでした。

私は、もう忘れているのですが、小川先生によると、私が、「遠諱はゴールではなく、始まりだ」ということ「改革は内に向かって行われる」ということを言ったそうなのです。

そこでもう一度虚心坦懐に『臨済録』を学び直そうと、龍雲寺の細川晋輔さんに相談して、当代では禅語録の研究で第一人者である小川隆先生をご紹介いただいたのでした。

あれからもう十年になるのかともうと、感慨が深いものがあります。

これは和尚さんたちだけの会にしていますので、少人数ですがどうにか続いてきたのでした。

途中、コロナ禍もあって苦労したこともありましたが、継続できているのは有り難い限りであります。

これはひとえに小川先生のおかげであり、いつも会場を提供してくださる麟祥院さまのおかげであります。

麟祥院を会場にしようと思ったのも、もともとこの麟祥院には明治の頃に臨済宗の学校があって、そこで洪川老師が教えておられたというご縁もあります。

途中から小川先生は、大慧禅師の『宗門武庫』をご講義くださるようになって、一時期竹村牧男先生に華厳のご講義をいただいていました。

やはり『臨済録』をという和尚さま方のご要望もあって、今は小川先生のご講義のあとに、私が少し『臨済録』を読んでいるのであります。

私としましては、やはりなんといっても小川先生のご講義が何よりの楽しみであります。

今回も大慧禅師の『宗門武庫』の一節ですが、少々長いところでした。

私などはざっと読んで、後半の部分が大事だと思ってしまっていましたが、先日はその前半部分、前半といってもその三分の一のところを丁寧に講義してくださいました。

先日学んだところを小川先生は以下のように現代語訳をしてくださっていました。

「顒華厳こと修顒は、圓照禅師・慧林宗本の法嗣であった。

彼は、若き日、つまづいて転んだ拍子に、ハッと気づく所があり、その境地を偈に詠んだ

この一ころび 一ころび
黄金万両にも値いする
われは今 頭に笠 腰に包みで 歩みゆく
明月も 清風も みな我が杖さきにかけながら」

訳文にするとこれだけなのです。

漢文はというと、

「顒華嚴,圓照本禅師之子。喫攧に因りて省有り、偈を作りて曰く、

這の一交 這の一交
万両の黄金すら也(な)お合に消(ついや)すべし
頭上に笠 腰下に包
清風明月 杖頭に挑ぐ」

というものです。

これだけを講義してくださるのに九十分なのであります。

微に入り細にわたりとはまさにこのことかと思いました。

そのあとの私の講義がいかに雑駁なものか、大いに反省させられます。

「顒華厳」というのはあだ名のようなものです。

『華厳経』に通暁していたからそう呼ばれていたのです。

志言という禅僧が『法華経』をよく誦んでいたので「言法華」と呼ばれたり、投子義青禅師が『華厳経』に精通していたことから「青華厳」と呼ばれたという例を示してくださっていました。

首山省念禅師も『法華経』をよく読まれていたので、「念法華」と呼ばれていたのと同じであります。

また徳山禅師は、『金剛経』を熱心に学んでいたので「周金剛」と呼ばれていたと言いますが、この「周」はお坊さんの名前ではなく、周氏という姓だったからです。

つまづいて転んだときに気がついたのですが、その偈が、

この一ころび 一ころび
黄金万両にも値いする

というのです。

小川先生は、原文の漢文を中国語で流暢に発音してくださっていました。

いかにもリズムが良いのです。

「軽快で明朗な、俗謡・民謡の調子」だと解説してくださいました。

とても分かりやすい現代語訳なのですが、どうして原文の「這の一交」が「ひところび」になるのか、私は分かりませんでした。

大慧禅師の宗門武庫には、訳注本などはないので、かつて自分で読んだときには、専ら後半部分が大事だと思い込んで、その初めの方はあまり深く参究していなかったのでした。

「交通」の「交」の字を調べてみても、「ころぶ」という意味は見当たりません。

それが『諸録俗語解』という書物に

「「喫交」を「“喫攧(コロブ)”に同じ。“こける”なり」

と解説されているというのです。

そこから「這の一交」がころぶことだと説明していただいてなるほどと分かりました。

このひところびが、万両の黄金にも値するというのです。

そのあと「頭上笠 腰下包」については「行脚の旅姿」、「清風明月杖頭挑」は、「天地いっぱいの我れが、天地の一切を我が物としつつ自在に闊歩するさま」と解説してくださいました。

「天地いっぱいの我」とは沢木興道老師やそのお弟子の内山興正老師がよくお使いになった表現であります。

「清風明月 杖頭に挑(かか)ぐ」については、智門禅師の問答の例を示してくださいました。

僧、智門和尚〔智門光祚〕に問う、

「如何なるか是れ仏?」

云く、「草鞋(わらじ)を踏破(ふみやぶ)りて赤脚(はだし)で走る」。

僧云く、「如何なるか是れ仏の向上(うえ)の事?」

云く、「拄杖(しゅじょう)の頭上(さき)に日月を挑(かか)ぐ」というのです。

仏とはと問われて、わらじを踏み破って跣で行くといい、仏のその上はというと、杖に日月を挑げるというのです。

無一物の境涯と、その更に上で無尽蔵の世界を説いています。

転んで気がついたのは何か、拄杖の先にありという言葉から圜悟禅師の言葉を示してくださいました。

天にあっては様々な気象となって現れ、地にあっては、さまざまな地形となって現れます。

お日様やお月様となってこの世界を照らしてくれます。

春夏秋冬の季節となって、暑い寒いという気候になります。

谷にあっては谷にみち、穴にあっては穴にもいっぱいです。

命あるものとなっては、動いたり転んだりいろんな動作をして、命のないものとしては、森羅万象となり、そしてそれは今わたしの杖の先にあるというのです。

動いたり転んだり、あらゆる活動、そのはたらき、みな仏性の現れなのであります。

そのことに目覚めたのです。

仏性は、静かに坐っている時だけに現れるのではありません。

日常のあらゆる営みが、その仏性の顕現なのです。

ころんで気がついたのはそのことです。

小川先生の流暢な中国語も丁寧な解説も、そしてノートをとりながら学ぶ私たちの営みもみな仏性の現れなのであります。

 
横田南嶺

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