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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.01.28
今日の言葉

歩けるようになった

「ようやく歩けるようになった」というのが、この頃の実感であります。

もっとも、今までけがをして歩けなかったとか、病気で療養していたというわけではありません。

今までも普通に歩いていました。

しかし、今までは歩けていなかったという思いなのです。

ただなんとなしに前に進んでいただけだったと気がついてきました。

これは西園美彌先生に、足裏、足指、足首を調えることを教わってきたおかげであります。

先日も西園先生のお越しいただいて三時間ほど講座を開いてもらいました。

もっぱら足裏、足指、そして足首をまわし、回転させることを実習しました。

足裏三点で床を踏むこともしっかりと何度も何度も行いました。

毎回同じではありますが、毎回全く違うものです。

教え方にも変化がありますし、こちらの受け止め方が大きく変わります。

同じ足首をまわすにしてもわずかの角度、力の加減などで大きく異なります。

足首を曲げていたのですが、やはりきちんと曲げられていなかったと自分で分かったのです。

足首がきちんとはまっていなかったとでもいうのでしょうか。

ひとつひとつ厳密に教わって実習してゆくと、受けた感じが全然違ってきます。

西園先生の講座は、だいたい二人一組ペアになって行うことが多いのですが、先日は藤田一照さんと私がペアになりました。

一照さんの足を拝見すると、かつて西園先生がとても褒めていらっしゃったことを思い出しましたが、さずがに見事なおみ足でいらっしゃいます。

こういう足に触れるだけで、こちらの感覚が変わってくるものです。

また私の足の動きも一照さんに補佐してもらいますので、きちんと行うことができました。

そんなことを繰り返していました。

思い返しますと、西園先生にお世話になるようになってもう三年になります。

初めの頃は、足の裏の三点で立つと言っても全くピンとこないものでした。

どうにか拇指球や踵くらいには意識できるようになっても、ずっと小指球という小指の付け根の意識はうすいものでした。

それが最近になっていろいろの工夫も重ねるからか、ようやく小指球もしっかり感じられるようになってきたのでした。

そんな状態になってきたところで、先日西園先生のご指導と一照さんの補佐でワークを行うと、より一層深く実習できました。

そうしてこの頃歩いていると、足の指でしっかり床を掴んで、足で床を押す反力で足が上がり、足首からきちんと回っていることを実感できるようになったのです。

そこではじめて自分が一歩一歩大地を踏んで歩いていると身をもって実感できるようになったのでした。

この感覚から今までの歩き方を思うと、ただぼんやり前に進んでいるだけで、足に意識は向いていなかったと反省しているのです。

もっとも歩行瞑想や、一歩一歩足に注意して歩くことはしていましたが、まだまだ感度が鈍かったと気づいたのです。

そうしますと、一歩一歩の歩みが実に新鮮で心地よく感じられるのです。

そこで「いま歩いている」実感が深まったのでした。

それで、ようやく歩けるようになったと思う次第なのです。

六十歳にしての再出発した思いです。

それまでにも西園先生に教わって足の裏、足の指をマッサージしたり動かしたりしていろんな変化がありました。

うれしかったのは、足の裏がきれいになったことです。

もともと私はしもやけとあかぎれの体質でしたので、師家や管長になってからも秋になると足にひび割れが出来てしまい、難儀していました。

それが足の裏を意識し始めてから、あかぎれが消えていたのです。

こればかりは体質で治らないだろうと思っていましたが、変わったのでした。

修行を始めた頃は、手も足もまるでザクロのようにぱっくり割れていたのが、治まってしまったのです。

それだけでも功徳甚大と思っていました。

また西園先生にお世話になる前頃から、片方の膝に痛みというほどではありませんが、違和感を感じ始めていましたが、それは早くに消えてしまいました。

やはり足を調えることは大事だと思っていたのです。

そうして三年ほど習ってきて今回は、ようやく歩けるようになったという実感を得ることができたのであります。

こんな喜びは有り難いものです。

もっとも外から見ていると、何も変わらない歩き方と見えるかもしれませんが、私の内部で質的に大きな変化があったのです。

歩いている実感、喜びなのであります。

六十になってもまだ変化が期待できるのであります。

また先日井上欣也さんに教わった平伏の身体観でも更に発見がありました。

これも昨日書いたように、教わった当初は分かりませんでした。

しかしこういうことかなと意識して坐っていると、自分の坐り方が今まではと全く異なる安定した感じになっていて自分で驚いたのでした。

それから平伏で、下腹をお腹が痛くて屈むようにしていると、その力が腰に作用して腰骨が立ち腰椎五番が前傾します。

そこにとどまるのではなく、更に胸椎から頸椎にかけて上昇してゆき、頭頂のところで、下降してゆくのです。

そして額から顎にかけて降りてゆき、胸から下腹に下がってゆきます。

するとまた下腹が内部に含まれるようになってゆき、そして腰に伝わって仙骨が立ちと円環するようになってきました。

この円環を感じていると、かつて気功を習ったときに教わった小周天だと気がつきました。

小周天は気の流れでしたが、それに体感が加わった感じなのです。

そして坐が一層安定して深まるのです。

歩くこと、坐ること、それぞれ単調な動きですが、これがまた奥深いのです。

こうしてしみじみ味わいながら歩き、坐るのはそれだけで楽しいものです。

 
横田南嶺

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