臨済禅師のお説法
上堂とは、法堂に上ってお説法することを言います。
『臨済録』の冒頭にあります。
岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳を参照します。
「成徳府知事の王常侍が部下の諸役人と共に師に説法を請うた。
師は上堂して言った、「きょうわしは、やむを得ぬ仕儀で、なんとか世間のならわしに従って、この座に上がることにした。
しかし、禅の正統的立場に立って根本義を説くとなれば、まったく口の開きようもなく、お前たちの取りつくしまもないのだ。
しかしきょうは常侍殿の強っての要請ゆえ、ひとつ禅の本領を開き示そう。
たれか腕の立つ武将で、旗鼓堂々と一戦を挑んで来るものはおらぬか、皆の前で腕前を見せてみよ。」
僧「仏法のぎりぎり肝要の処をお伺いします。」
師はすかさず一喝を浴びせた。僧は礼拝した。
師「この坊さん、結構わしの相手になれるわい。」
僧「師は一体だれの宗旨を受け、また、だれの法を継がれましたか。」
師「わしは黄檗禅師の処で、三度質問して三度打たれた。」
僧はここでもたついた。
すかさず師は一喝し、追い打ちの一棒をくらわして言った、「虚空に釘を打つような真似はするな。」
というものであります。
山田無文老師は、禅文化研究所発行の『臨済録』で
「ある時、王という常侍の位にある人が、大勢の役人とともに、師にご説法をお願いした。陞座は高座の上に上るということである。そこで、臨済が説法して言われるのには、
「わしは今日、好き好んでここへ上ったのではない。
王常侍が、大勢の役人のために、何か話をせよと言われるので、曲げて人情に従ったまでのことじゃ」
禅というても、話すことは何もない。禅とはお互いの心の名である。
心とは、形のないもの、姿のないもの、色のないものである。
それを語れといわれても、語る言葉はない。何も話すことはござらんが、たって話せと言われるから、曲げて人情に従って、この演壇に立ったのである、と。
「もしも、わが達磨宗の一大事をお話ししようと思うても、わしは口を開くこともできん。
言葉で表現することはできん。
そして、みなさん方も足の置き所もなかろう。
口では言い表わすことはできんけれども、王常侍がたって何かを話せと言われるから、何も隠すわけにはいくまい。
さて、この一座の中に腕ききの禅匠がござって、この臨済将軍に向かって、旗印をおっ立てて、軍隊をひき連れて、問答を挑まんと思う者はござるかな。
おるならば、みなの前に出てやられるがよかろう。一つ自分の言葉を引っ提げて出て来る者はおらんか。臨済と一騎打ちをする者はおらんか」と、呼び水を打たれたのである。」
と提唱されています。
法とは心であります。
『臨済録』の中でも臨済禅師は、
「諸君、心というものは形がなくて、しかも十方世界を貫いている。眼にはたらけば見、耳にはたらけば聞き、鼻にはたらけばかぎ、口にはたらけば話し、手にはたらけばつかまえ、足にはたらけば歩いたり走ったりするが、もともとこれも一心が六種の感覚器官を通して はたらくのだ。その一心が無であると徹底したならば、いかなる境界にあっても、そのまま解脱だ。」
と説かれています。
小川隆先生は講談社学術文庫『臨済録のことば』の中で、
「「王常侍」の要請に応じて説法の座についた臨済だが、しかし、禅門の本義からすれば、第一義はコトバによって説明されるべきものではない。
それを敢えて云々しようとすることは、無相なる虚空に杭を打ち込むような所業でしかない。
それゆえ師の一喝に無言の礼拝で引き下がった僧はむしろ賞せられ、議論を重ねようとした僧は、痛打によって問題を発問以前のところに突き返されてしまったのであった。」
と実に端的に解説してくださっています。
「僧擬議す」というところ、朝比奈宗源老師の『臨済録』では、「ぐずぐずっとする」と註釈されています。
入矢先生も「もたついた」と訳されています。
これは麟祥院で小川先生に教わったところですが、擬議は「なにか言おうとする」ことであります。
何か言おうとしたところを一喝されてしまったのです。
最後は「師便ち喝して、後に随って打って云く、虚空裏に向って釘橛し去るべからず。」とありますが、「後に随って」は「すぐそのあとに」という副詞であります。
「釘橛」も朝比奈老師の『臨済録』では、「虚空に釘を打つような無駄な真似はするな」と、入矢先生も「虚空に釘を打つような真似はするな。」と訳されています。
小川先生は「虚空に杭を打ってはならぬ」と訳されています。
「釘」は「釘」という名詞でありますが、「釘を打つ」という動詞としても使われます。
ですから「釘橛」で杭を打つことなのであります。
王常侍というのは、王紹懿(在任八五七ー八六六)のことです。
鎮州成德軍節度使といい、散騎常侍の称号を贈られた方です。
散騎常侍は皇帝側近の職のことですが、藩鎮の実力者に与えられた名誉職のことをいうようです。
王常侍に招かれての臨済禅師のお説法でありますが、言葉では表し切れない、生きた法そのものを、上堂のお姿で、一喝で、はたまた一棒で見事に現しておられるのであります。
臨済禅師の師の黄檗禅師は、達磨大師が示されたのは、何人もその全体まるごとは仏であることだと明言されています。
臨済禅師のお説法は、全体まるごと仏であることを現し切っているのであります。
横田南嶺