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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.01.17
今日の言葉

百丈禅師のこと

本日一月十七日は、百丈禅師のご命日であります。

この日、円覚寺では、臨済禅師のご命日と同様に、佛殿に百丈禅師のお位牌をお祀りして、お供えをしてお経をあげて回向するのであります。

百丈禅師のことは『禅学大辞典』には次のように書かれています。

「七四九年から八一四年。

福州(福建省)長楽の人。

姓は王氏。 大智・覚照・弘宗妙行などと諡されており、一般には百丈禅師と称されている。

二○歳で西山慧照について出家し、南岳の法朝律師に受具し、廬江(四川省)に大蔵経を閲し、馬祖道一に参して印可を得た。」

と解説されています。

やはりはじめは大蔵経を読むなど仏教の勉強をよくなさっていたのでした。

それが馬祖禅師について修行してその法を継いだのです。

更に『禅学大辞典』には

「懐海に帰依する四方の道俗が相謀り、洪州(江西省)新呉県の大雄山に一寺を建立した。

百丈山大智寿聖禅寺で、懐海は開祖となり、ここで大いに禅風を鼓吹した。

その著〔百丈古清規〕は、ただ序のみを存するにすぎないが、彼が禅林清規の開創者であることは中国禅宗史上に忘れることができない。

以来禅は、一層中国の風土生活に即したものになっていった。

弟子に潙山霊祐・黄檗希運等多数の竜象がいる。

唐、元和九年正月一七日示寂。世寿六六」

と書かれています。

百丈禅師が「禅林清規の開創者である」ことは重要です。

そして「以来禅は、一層中国の風土生活に即したものになっていった」のであります。

臨済禅師の語録『臨済録』にこんな問答がございます。

岩波文庫の『臨済録』から入矢義高先生の現代語訳を参照します。

「師が共同作業で畑を耕していた時、黄檗がやってくるのを見ると、鍬を杖にして立っていた。
黄檗「この男、疲れたのか。」
師「鍬も振り上げないのに何に疲れますか。」
黄檗が棒で打つと、師はその棒を受けとめて、ぐっと一押しに黄檗を押し倒した。黄檗は「おい維那、扶け起こしてくれ」と呼んだ。
維那は近づいて扶け起こしてから言った、「和尚、この気狂いの無礼を許しておけましょうか。」
黄檗は起き上がるなり、すぐ維那を打った。
師は畑に鍬を入れながら言った、「世間では火葬にするが、おれのところではいっぺんに活き埋めだ。」」

「共同作業」というのは「普請」という言葉の訳であります。

小川隆先生の『禅僧たちの生涯』(春秋社)には「普請」について次のように書かれています。

「「普請」は日本語の語彙にもなっていますが、もとは禅宗のことばです。「普く請ず」、すなわち身分や年齢・夏臘の上下を問わず、全員もれなく総出でやる共同作業のことです。

『祖堂集』では、一人ないし少人数でやる個別の作業は「作務」と書かれています。

この「普請」「作務」が禅宗の「清規」の顕著な特徴となっています。

インド以来の「律」の規程では、出家者は農耕などの生産労働・肉体労働が禁じられていましたが、禅宗の清規ではそれ自体が仏作仏行として大いに肯定されるのです。

必要悪として許容されるというのではありません。

禅宗においては、日常のもろもろの仕事も、みな仏道修行の不可欠の一環とされているのです。」

とございます。

実にこの通りでありましてもともと仏教の律という決まりでは、畑を耕すことなどは禁じられていたのです。

遺教経というお釈迦様の最後の教えに次の言葉があります。

「草木を斬伐し、土を墾し、地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚を推歩し、暦数算計することを得ざれ。皆な応ぜざる所なり。」

とありますように、

「草木を伐採し、土を耕し、地面を掘るなどしてはならない。
薬を調合し、吉凶の占いを行い、星宿を見、月の満ち欠けを計るなどする占星術をしてはならない。それらは皆、僧侶としてふさわしくない行いである」と、畑を耕すなどの労働を禁じられていました。

それが、小川先生が説かれている通り、「必要悪として許容される」のではなく
「禅宗においては、日常のもろもろの仕事も、みな仏道修行の不可欠の一環とされている」ようになったのです。

もっとも最初始めた頃は、必要にかられてやむを得ずはたらかざるを得なかったのかもしれません。

インドのように托鉢だけで生活することは困難だったのでした。

それでやむなく畑を耕して自分たちで食べるものを作り始めたのかもしれません。

畑を耕すとどうしても土の中の虫などを殺してしまうことがあります。

仏教では「不殺生」という戒があります。

この「不殺生」を徹底して行ったのが、ジャイナ教であります。

ジャイナ教は仏教とほぼ同時代に起きた宗教であります。

開祖はマハーヴィーラ、三〇歳で出家し、十二年の苦行の後に開悟した方です。

仏典ではもっぱらニガンタ‐ナータプッタの名で知られ、六師外道の一人です。

岩波書店の『仏教辞典』によれば、

「ジャイナ教では動植物のみならず、地・水・火および大気にも霊魂(生命)が宿ると主張し、それらの生命体を守るために特に不殺生(ふせっしょう)の誓戒の厳守を説く。

この不殺生を中心として、さらに不妄語・不盗・不婬・無所有を加えた五つの<大誓戒>が出家の戒律の基本とされ」ているのであります。

今もジャイナ教は残っているのです。

更に「教団は早くから<白衣(びゃくえ)派>と<裸行(らぎょう)(空衣(くうえ))派>の2派に別れて発展したが、裸行派は出家が厳格に裸体を守る保守的なグループで、とくに南インドに多く、白衣派は出家の着衣を認めるなどの寛容性を持つグループで、主として西北および西インドを拠点とする。」

と書かれています。

無所有を徹底して衣服も着ないのだそうです。

それが裸行派です。

不殺生も徹底していて常にマスクをして虫などを誤って口から吸ってしまわないようにし、また常に箒を持って道に虫がいないか、殺さないように払いながら暮らすというのです。

ジャガイモやにんじんなどの根菜類を食べないそうです。

それは、野菜を掘り起こす際に土壌中の虫を殺してしまうからだというのです。

そんな厳格に生き物を殺さないようにしている教えもあった中で、敢えて畑を耕して暮らすようになったのですから、はじめは勇気のいることだったと想像します。

百丈禅師は土を耕して虫などを殺生すると罪になるのではないかと問われて、

「心、 虚空の如く、亦た虚空の想をも作すこと莫ければ、此の人定めて罪無しと言わん」と答えています。

空の教えによって心になにも念がなければ罪もないというのです。

そうしてやがて熱心に労働することが美徳とされていったのでした。

そんな暮らしのもとを築いたのが百丈禅師であります。

 
横田南嶺

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