朗読の余韻
村上信夫さん、木村まさ子さん、斎藤りゅう哉さん、そしてヴィオラの山寺明子さんと私の五人で行いました。
四人がそれぞれ真民先生の詩を十編選んで朗読しました。
これが不思議なことで、四人が選んだ十編の詩で、重なったのはなかったというのです。
どれか重なりそうなのですが、どれも同じものは無かったのでした。
普段詩を読むのは、詩集の文字を目で読んでいます。
よほどでないと自分で声を出して読むこともありません。
しかし、かつては素読といって、本を読むには声に出したのでした。
声に出して読むのも良いですし、そして人が声に出して読んでいるのを聞くのもまた良いものです。
真民まつりが終わってもその朗読がしばらく体に残っていました。
目で文字を読むのと、耳で音を聞くのと、またずいぶん感じ方が違うものです。
私も自分以外の三人の方が朗読するのを耳で聞いて、また新たに感じるものがありました。
耳で聞くには、目を閉じた方がいいと思って、目を閉じて聞いていました。
そうすると、本当にその詩の情景が頭の中に思い浮かぶのです。
これがもし紙の資料でもあれば、そちらに気持ちがいってしまい、耳で味わうことが薄れたかもしれません。
声だけですので、その時しか耳に入りませんので、必死になって聞こうとします。
文字にした資料でもあると、あとで見ておこうと思ったりしますが、紙の資料がないだけに真剣に聞くことができます。
斎藤さんは晩年の真民先生に出会い、何度もお目にかかってこられ、真民先生を心から尊敬なされているので、選んでいる十編の詩もさすがだと思いました。
「すべては光る」から始まり、「尊いのは足の裏である」がありました。
それに「みめいこんとん」の詩も選んでくれていました。
この足の裏の詩やみめいこんとんの詩は実に真民先生ならでは世界であります。
私が真民詩集百選を選んだときにもこの足の裏の詩をどうしても入れたくて、しかし他の詩との兼ね合いもあって、この詩を載せるのを断念せざるを得なかったのでした。
足の裏の詩を紹介しましょう。
尊いのは足の裏である
1
尊いのは頭でなく
手でなく
足の裏である
一生 人に知られず
一生 きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
2
頭から光がでる
まだまだだめ
額から光がでる
まだまだいかん
足の裏から光がでる
そのような方こそ
本当に偉い人である
村上さんの朗読の素晴らしさはいうまでもないのですが、「約束」の詩を読まれたのが印象に残りました。
これも良い詩なのです。
紹介します。
約束
少し時間におくれてやってきても
温かく迎え叱ったりせず
わけはあとで聞くことにしよう
まちがって皿を割ったとしても
目に角たてて責めたりせず
あやまちは許してやろう
苦しんでいる人があったら
春の霞のようにやわらかに包んで
幸せを祈ってやろう
どんなにかっとなることがあっても
通り過ぎる雨のように
しばらく時を置くことにしよう
みんな誰でも淋しいんだから
夏の夜空の花火のように
あかるくいたわりあってゆこう
深い愛がなかったら
何一つできないから
蜂が蜜を集めるように
力を合わせて仲良くしてゆこう
念じていたら
必ず花は咲くのだと
フラフラせず
グラグラせず
一筋に信じて生きてゆこう
神さま仏さまと
しっかり約束をして
二度とない人生を
木々のように毅然と立ち
悪に負けない自分を作ってゆこう
神さま仏さまとの約束をしっかり守りたいものです。
木村さんの朗読は、独特の世界が広がるのを感じました。
「見えないからと言って」の詩を読まれたのが心に残っています。
見えないからと言って
見えないからと言って
日の昇らない時が
あっただろうか
月の出ない時が
あっただろうか
見えないからと言って
なかったとは言えない
それと同じく
見えないからと言って
神様や
仏さまが
いないと誰が言えよう
それは見る目を
持たないからだ
大宇宙には
たくさんの神や仏さまが居て
この世を幸せにしようと
日夜努力していられるのだ
一輪の花の美しさを見たら
一羽の鳥の美しさを見たら
それがわかるだろう
見えない世界の神秘を知ろう
私が選んだ十編の詩でも特に心を込めたのが「いんどりんご」の詩でした。
この詩を読むと真民先生のお母様がどんな人だったのかよく伝わってきます。
真民先生が八歳のときお父様がお亡くなりになりました。
その時お母様が三十六歳でした。
真民先生をはじめ五人の子供がいました。
五人の子を育てて生きられたのです。
決して暮らしは裕福ではありませんでした。
それでも我が子に良い物を食べさせてあげたい、自分はなにも食べなくても子供にはひもじい思いをさせたくないという母の心が伝わってくる詩なのです。
いんどりんご
嫁にくるまで世間の苦労を
あまり知らずに育った母は
父が亡くなって
貧乏の底にいても
思いきった買い物をした
わたしがうしろから
もういいでしょうなどいうと
だまってついておいでと
おこったような顔で
言うのであった
胃腸の弱いわたしは
母がいかやたこを買い
目ぼしいものがあると
まっすぐ魚屋に入ってゆくので
いつもうしろから呼びとめて
母をふきげんにさせた
バナナの大きい一房を買ったかと思うと
高価ないんどりんごをまた買うのであった
母と石手寺の
五十一番札所に
おまいりしたときも
その夜いんどりんごの
みごとなものを買って
わたしに食べさせてくれた
これが四国での
母との別れだった
いんどりんごを見ると
いつも母がうかんでくるが
そのいんどりんごすら
あまり買いきらず
一山百円のりんごでかんべんしてもらう
母への供物である
それから飯台の詩も読みました。
家族を大事にされた真民先生の家庭が思い浮かぶ詩なのです。
この飯台は今も残っていて、拝見したことがあります。
小さな丸い飯台です。
この小さな飯台を五人で囲むと、ほんとに肩寄せ合っていたと思います。
そうしてご飯をおつゆと漬物を食べていたのです。
幸せというのはこういう情景だと思うのです。
飯台を紹介します。
飯台
何もかも生活のやり直しだ
引き揚げて五年目
やっと飯台を買った
あしたの御飯はおいしいねと
よろこんでねむった子供たちよ
はや目をさまして
珍しそうに
楽しそうに
御飯もまだ出来ないのに
自分たちの座る場所を
母親にきいている
わたしから左回りして
梨恵子
佐代子
妻
真美子の順である
温かいおつゆが匂っている
おいしくつかった沢あん漬けがある
子供たちはもう箸をならべている
ああ
飯台一つ買ったことが
こうも嬉しいのか
貧しいながらも
貧しいなりに育ってゆく子の
涙ぐましいまで
いじらしいながめである
真民先生の詩の素晴らしさ、そして朗読の良さをあらためて感じました。
それに耳から入ってくる詩は、長らく余韻が残ることも学びました。
横田南嶺