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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.11.30
今日の言葉

父母の恩

修行道場で、修行僧達に講義をしていて、『父母恩重経』について語りました。

『父母恩重経』については、岩波書店の『仏教辞典』に詳しく解説されています。

まずはじめに「中国で撰述された偽経」と書かれています。

偽経というと、偽のお経のように思われますが、「中国や朝鮮・日本でつくられた経のこと」を言います。

ですから「サンスクリット本その他から翻訳された経」ではないのです。

サンスクリットなどの原本から翻訳されたものを「真経」とか「正経」といいました。

『仏教辞典』にも「偽経」は

「仏教の伝統的立場からは百害あって一利なしと見なされてきた偽経であるが、難解な仏教教理に縁のない庶民が仏教に何を期待したかを具体的に研究することができる点では、偽経はかけがえのない価値を有する。」と解説されているものです。

『父母恩重経』もまたその偽経であります。

『仏教辞典』の解説には、

更に「父母の恩は天に極まりがないほど広大で重いが、子はその報恩の義務があり、それには7月15日に盂蘭盆(うらぼん)を行い、本経を書写して世人にひろめ、自らも受持読誦せよと説かれる。

孝思想を取り入れつつ中国人社会に仏教帰依を説いている。

偽経との理由で経典目録から排除され、軽視されたにもかかわらず大衆の間に流布した。

1900年に発見された敦煌文書の中に何点もの写本が含まれており、再び陽の目をみることになった。

その中には丁蘭など中国の孝子名を記す最古層のテキストや本経に関する変相図や講経文なども発見されている。

本経は日本でも流布してきたが、その経文に相違する個所があるものの内容的には同じである。」

と書かれています。

丁蘭というのは、二十四孝にも出てくる親孝行の人物であります。

『父母恩重経』には「父母の恩、重きこ
と天の窮まりなきがごとし」という言葉があり、そのあと父母の十恩という、十の恩を説いてくださっています。

第一には懐胎守護の恩です。

母親は子を胎内に受けてから十ヶ月の間、苦悩の休む時がないために、他の何もほしがる心も生まれず、ただ一心に安産ができることを思うのであります

第二に臨産受苦の恩です。

陣痛による苦しみは耐え難いもので、父も心配から身や心がおののき恐れ、祖父母や親族の人々も皆心を痛めて母と子の身を案ずるのであります。

第三に生子忘憂の恩です。

無事に出産すると、父母の喜びは限りないものです。

それまでの苦しみを忘れ、母は、子が声をあげて泣き出したときに、自分もはじめて生まれてきたような喜びに浸るというのであります。

第四に乳哺養育の恩です。

花のような顔色だった母親が、子供に乳をやり、育てる中で憔悴しきってしまうのであります。

第五に廻乾就湿の恩です。

霜の夜も、雪の暁にも、乾いた所に子を寝かせ、湿った所に自ら寝るというのであります。

第六に洗灌不浄の恩です。

子がふところや衣服に尿するも、自らの手で洗いすすぎ、臭いのや汚れたのをいとわないのであります。

第七に嚥苦吐甘の恩です。

親は不味いものを自ら食べて、美味しいものは子に食べさせるということです。

第八には為造悪業の恩です。

子供のためには、止むを得ず、悪業をし、悪しきところに落ちるのも甘んじるのであります。

目連尊者のお母様が餓鬼道に落ちていたというのは、この我が子を思うが為であります。

第九に遠行憶念の恩です。

子供が遠くへ出かけて行ったら、帰ってくるまで四六時中心配してくださるのであります。

第十には究竟憐愍の恩です。

自分が生きている間は、子供を守るためには、如何なる苦しみを一身に引き受けようとし、死後も、子を護りたいと願うのであります。

そんな十の恩が説かれています。

どれも身につまされるものであります。

坂村真民先生には「母念」の詩があります。

 母念
母念とは
母を思うことです
父母恩重経には
母の乳を飲むこと
一百八十斛とある
母の乳が
手足の爪となり
体を作ってゆくのです
中国上海にも
母念の碑が建つという
ありがたいことです

森信三先生は、

「これまで親の恩が分らなかったと解った時が、真に解りはじめた時なり。

親恩に照らされて来たればこそ、即今自己の存在はあるなり。」

と仰っています。

また森信三先生の高弟である寺田一清先生から、

「父母の恩の有無厚薄を問わない。父母即恩」という西晋一郎先生の言葉を教えていただいたことがあります。

親の恩というのは有り難いものです。

親の恩を思えばこそ、修行に励まなければと思うのであります。

幸い修行道場に来ている者のほとんどは、お寺の子ですので、親の跡を継ごうと思っている方ばかりです。

親を思う気持ちの強い子ばかりなのは有り難いことであります。

今修行している時には、この修行に打ち込むことが一番の孝行であります。

親への孝行には「色養」という言葉もあります。

諸橋轍次先生の『大漢和辞典』には、

「親の顔色を見、其の心を察して事えること。一般に、常に和悦の顔色を以て父母に奉養すること。」と解説されています。

もとは『論語』にあります。

『論語』に「子夏、孝を問う。子の曰わく、色難し。事あれば弟子其の労に服し、酒食あれば先生に饌す。曾ち是れ以て孝と為さんや。」とあります。

岩波文庫の金谷治先生の訳を参照しますと、

「子夏が孝のことをおたずねした。先生はいわれた、「顔の表情がむつかしい。仕事があれば若いものが骨を折って働き、酒やごはんがあれば年上の人にすすめる、さてそんな〔形のうえの〕ことだけで孝といえるかね。」
という意味ですが、註釈には
「顔の表情ー親の前でのやわらいだ顔つき。心の中に本当の愛情があってこそできる。それでむつかしいといった(新注)。」と書かれています。
親の前ではいつも穏やかな表情でいることが孝行だという教えなのです。

食べ物などを差し上げることも大事ですが、親の前でいつも穏やかな表情でいることが難しいのです。

孝行にもいろいろあるものです。

 
横田南嶺

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