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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.10.31
今日の言葉

来たれ、修行僧よ

具足戒という言葉があります。

『広辞苑』には、

「〔仏〕比丘・比丘尼の守るべき規則。

部派によりその数は異なるが、比丘に250戒、比丘尼に348戒が代表的。」と解説されています。

岩波書店の『仏教辞典』には、

「比丘(びく)・比丘尼(びくに)、すなわち正式に出家した男女が、僧伽という集団内で守るべき戒律の学処を総称したもの」

と解説されています。

更に「諸部派で規定された学処の条数(戒律の数)は異なり、南方上座部(じょうざぶ)では比丘は227条、比丘尼は311条を数え、

東アジアの漢訳文化圏では『四分律(しぶんりつ)』に従い、それぞれ250条、348条とされた。」

とあります。

もともとはというと、善来具足戒というものがはじめでした。

それは、お釈迦様がはじめ悟りを開かれて、サールナートで五人の修行者に法を説いて示された時のことでした。

中村元先生の『ゴータマ・ブッダ上』(春秋社)に

「『さて尊者コンダンニャは、すでに真理を見、真理を得、真理を知り、真理に没入し、疑いを超え、惑いを去り、確信を得て、師の教えのうちにあって、他の人にたよることのない境地にあったので、世尊にこのようにいった、

「尊い方よ。 わたしは世尊のもとで出家したく存じます。 わたしは完全な戒律を受けたく存じます」 と。

世尊はいった、「来たれ、修行僧よ。真理はよく説かれた。 正しく苦しみを終滅させるために、清らかな行ないを行なえ」 と。

これがかの尊者の受戒であった。」

という箇所があります。

後には、舎利子が出家を希望する五〇〇人を連れてきた時も

「善来、比丘。梵行を修すべし」と言われたのでした。

「善来具足戒」というのは、お釈迦様もとで出家し具足戒を受けたいと願う者に対して、お釈迦様が自ら「来なさい。自分のもとで梵行を修せよ」と許されるものでありました。

この具足戒によって比丘となったのです。

それから後に、「三帰依」が説かれるようになりました。

私は仏・法・僧に帰依しますと三度唱えて言い表すのです。

漢文では「帰依仏、帰依法、帰依僧」といいます。

これは出家や在家の戒を受ける際の基本的条件でもありますので、<三帰戒>ともいうのです。

更に在家の人には、「五戒」が説かれました。

五戒は在俗信者の保つべき五つの戒即ち習慣であります。

不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゅ)の五つです。

原始仏教時代にすでに成立しており、他の宗教とも共通した普遍性をもつと言われます。

それに三つを加えると八斎戒となります。

これは五戒に加えて、

装身具をつけず歌舞を見ないこと

高くて広いベッドに寝ないこと、

昼をすぎて食事をしないこと、

の三つが加わります。

より出家生活に近い内容を持っています。

これを布薩の日などには、在家の信者も保つようにするのです。

それから出家した比丘には、二百五十もの戒が説かれるようになりました。

数が多くなった反動なのか、大乗仏教では、少ない条文の戒が説かれるようになりました。、

『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』には「三聚浄戒」が説かれています。

摂律儀戒(しょうりつぎかい)・摂善法戒(しょうぜんぼうかい)・摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)の三つです。

悪いことをしない、善を行う、衆生を渡すの三つなのです。

日本における授戒は、鑑真和上によって七五四年(天平勝宝六)四月に東大寺大仏殿の前の戒壇でなされたのが最初です。

鑑真和上は、聖武上皇・光明太后らには、僧俗に通じる菩薩戒を授戒したようです。

また、僧侶には『四分律』に基づいて二百五十の具足戒を授けていました。

しかし、そのような戒を授ける戒壇は小乗の戒壇とし、比叡山延暦寺に梵網経に説く大乗菩薩戒を授ける大乗戒壇の樹立をめざしたのが伝教大師最澄でありました。

伝教大師は、『梵網経』によって十重禁戒四十八軽戒でよいとしたのでした。

しかしこの大乗戒壇が公認されたのは八二二年(弘仁一三)六月、伝教大師がお亡くなりになった後一週間してのことでした。

道元禅師は、三帰依戒と、三聚浄戒と十重禁戒でよいとして十六条戒を説かれました。

また十善戒というのもあって、江戸期の慈雲尊者はこの十善戒を説かれています。
さらには「一心戒」というのもあります。

こちらは「衆生の根底にある絶対的な一心にもとづく戒」であります。

自性清浄心に基づいています。

本来きよらかな心があれば戒はおのずと保たれていくという立場です。

善来具足戒は、お釈迦様に「来たれ、修行僧よ、ともに修行しよう」と言われて、お釈迦様のもとで修行しようという心があれば、それで十分戒は保たれるというものです。

それから三帰依戒、五戒、八斎戒、更には二百五十の戒へと増えていったのでした。

その反動か、また十重禁戒、十善戒、四十八軽戒と少なくなっていって、一心戒にまでなっていったのでした。

そんな戒の変遷を修行僧達に話をして、それぞれに、自分にとってふさわしいのはどの戒だと思うか聞いてみました。

なんと、多くの修行僧は、善来具足戒でいいという答えでした。

中には道元禅師の十六条戒がいいという者もいましたし、五戒がいいという者もいました。

一心戒がいいというのも数名いました。

善来や一心戒という端的なものが好まれるのかと思いました。

ただ一つだけというのは、端的でいいのですが、気をつけないと堕落してしまう恐れもあるものです。

修行道場の布薩では、三帰依、三聚浄戒、十善戒に十重禁戒を唱えています。

お釈迦様はお亡くなりになる前に、「是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳の所住処たるを」と仰せになっています。

戒を持つことは、安楽なのであります。

 
横田南嶺

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