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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.10.06
今日の言葉

学ぶ喜び

毎月東京湯島の麟祥院様で臨済録の勉強会を始めて、もう九年になります。

早いものであります。

毎回熱心な和尚様方がお集まりくださっています。

小川先生の臨済録の講義から始まったのですが、コロナ禍などいろいろの変遷を経て、ただいまは小川先生による宗門武庫の講義と、私の臨済録講義となっています。

私は、臨済録の講義といっても初歩の初歩から学び直しているという思いです。

臨済録をはじめて読んだのは中学生の頃でありました。

中学から高校にかけて、読んでいたものです。

岩波文庫の臨済録を読むと、実に衝撃的な言葉が連なりますが、どうにも自分自身の身の上において実感ができません。

それから大法輪閣から出ていた足利紫山老師の『臨済録提唱』もよく読んでいましたが、これもよく分からないという思いでありました。

そうして実際に参禅の修行に励んできました。

公案の修行を続けてきましたので、はじめは無門関の公案から、碧巌録の公案を参究し、宗門葛藤集の公案などを経て、臨済録の公案を参究しました。

臨済録は、そのころ何度も何度も繰り返し繰り返し読んだものです。

いつも文庫本を懐に入れておいて、寸暇を惜しんで繰り返し読んでいました。

そうしていますと、臨済録に説かれていることがはっきりしたと思ったものです。

あたかも自分の手のひらを見るようにはっきりしたと思ったのでした。

それは大きな喜びでありました。

長年の修行もあった為でもありましょうが、大きな自信にもなったものです。

しかし、更にもう一度臨済録を勉強してみようと、九年前から小川先生に教わるようになりました。

言葉の問題が大きなことなのですが、虚心坦懐に学び直しています。

そうしますと、だんだんと臨済録が分からなくなってきました。

難しいと思うようになりました。

今まで分かったようなつもりになっていたのが恥ずかしく思うのです。

そうしますと、一字一字丁寧に読み直すしかないと思って講義しています。

そんなことは、小川先生に教わるおかげで気がついてきたことなのです。

先日もいつものように小川先生の宗門武庫の講義から始まりました。

この勉強会は、なんといってもこの小川先生の講義が中心であります。

私の講義は、そのあとの補足のようなものです。

大慧禅師の宗門武庫というのは、今日宗門随筆と呼ばれています。

随筆というと、今では「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章」(広辞苑)を言いますが、大慧禅師が見聞きした禅僧たちの逸話を集めたものです。

それは景徳伝灯録など禅の正史には載らないような逸話が多く含まれています。

それだけに、何を言っているのかよく分からない話もありますが、修行の上で大いに参考になるものもあり、また当時の禅僧たちの暮らしぶりがよく分かったりします。

大いに学ぶ意義のあるものです。

しかし、何を言わんとしているのかよく分からない話もあるのが事実であります。

今回の講義もそのよく分からないものだと思っていました。

あらかじめ小川先生から資料を送っていただいて拝見するのですが、全く分かりません。

これはいったい何の話だろうかと首をかしげるばかりです。

これを小川先生はどう説いてくれるのかとても興味がありました。

話は簡単なのです。

慈照禅師という方は、首山省念禅師の法を継いだ方で、石門山に住していました。

ある日のことその地の知事が、私情から禅師をムチ打って辱めたというのです。

寺に戻ってくると、修行僧たちが道の端に並んでお迎えします。

修行僧の頭が進み出て合掌し頭をさげて「なんの罪もないのにこんな屈辱を与えるとは」と言います。

禅師は、「平地に骨堆を起こす」と言いました。

すると地面に一つの山が盛り上がりました。

知事がそのことを耳にして、山を削り取らせました。

しかしまた土は盛り上がってくるのです。

その後知事は、その地で一家みんな死んでしまったという話なのです。

これが何を言っているのかよく分かりません。

当時の禅寺は、官僚機構の中に取り込まれていて、禅寺の住持というのは位の高い存在でありました。

ムチ打ちの刑などのはずかしめを受けることは本来あり得ないのだそうです。

今のように法の上には誰しも平等であるというわけではなかったのです。

しかもムチ打ちの刑というのは、痛いのはもちろんですが、屈辱でもあるというのです。

修行僧の頭が、罪もないのにこんな屈辱を与えるとはと怒りをあらわにするのも当然なのです。

しかし、禅師はただ「平地に骨堆を起こす」といい、その言葉通りに地面が盛り上がったというのです。

奇妙な話です。

それを聞いた知事もまたすぐに削り取らせたけれども、また盛り上がったという話です。

「平地に骨堆を起こす」とは、「平地に波乱を起こす」というのと同じように、無事に事を生じることを言います。

本来無事なのに余計なことをするという意味に使います。

本来仏なのに、わざわざいらぬ修行をすることを言ったりします。

これがいったい何を意味するのか分かりませんでした。

小川先生はいつもように該博な知識を披瀝してくださり、古今東西のいろんな事例を示して、この一家がみな亡くなるとはいかに悲惨なことであるのか示してくださいました。

そのように丁寧に解説してくださり、全体の意味は分かるのですが、何を表しているのかが分かりません。

ご講義が終わって、結局この禅師の「平地に骨堆を起こす」とは何をさして言っているのですかと質問しました。

何の罪もないのに罰を与えたことを言うのか、何をさすのか分からなかったのです。

すると小川先生は「骨堆」には土まんじゅうの意味もあると教えてくださりました。

平地を指して、ここに土まんじゅうが出来るというのです。

土まんじゅうは「土を饅頭のようにまるく盛りあげた墓」です。

こんなことをしていては、ここに土まんじゅうが出来るようになるぞというのです。

これは恐ろしいことに知事一家の死を予言した言葉でもあります。

なるほどそういう意味があったのかと合点できました。

果たしてこれはここに土まんじゅうができるとは預言なのか、はたまた呪いの言葉なのか、それは分かりません。

禅僧は無心に暮らしていますので、こんな非道なことをしていれば、どんな恐ろしい報いを受けるか分からないぞと、不吉な思いをしていたのかもしれません。

ただ、この「平地に骨堆を起こす」が何を意味しているのかがはっきりしたのでした。

一体なにを意味しているのかずっと分からなかったことがはっきりしたのは喜びでありました。

その日も平林寺の老師、大乗寺の老師もお越しくださって一緒に学ぶことができ、学ぶ喜びを実感したのでした。

帰りに大乗寺の老師とは、自分一人で勉強していてはいくら調べても分からないことだと話し合ったのでした。

喜びを分かち合えるのも喜びであります。

 
横田南嶺

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