不生の仏心
その時に、「大学の道は明徳を明らかにするに在り」の一句を聞いて、「明徳とは何か」大きな疑問を抱きました。
この時の疑問が、生涯をかけて貫く大問題になったのでした。
それからは、何とかしてこの「明徳」を明らかにして、年老いた母にも知らせてあげたいと思って、「色々あがきまわった」のでした。
どこそこに講義があると聞いては、そこに行って話を聞いて帰って母に聞かせるのですが、それでも埒は明かなかったのでした。
儒学の先生方に聞いても駄目だと思った盤珪禅師は、菩提寺である西方寺の寿欣上人について浄土門を学び念仏もなされていました。
十四歳の頃であります。
更に十六歳になって、円融寺の快雄法師について真言の教えも学びました。
そのように明徳とは何かを明らかにしようと求めても埒が明かずに、とある儒学者が、そのような難しいことは禅宗の和尚が知っているので、禅僧に問えと言われました。
そこで、近くに禅寺はなく、赤穂にある江西山随鴎寺の雲甫全祥和尚について得度しました。
十七歳の時でした。
雲甫和尚は、盤珪禅師に「永琢」の法名を与えました。
二十歳にして初めて行脚に出ました。
それからはいつどこでどのような修行をされていたかは詳らかではありません。
盤珪禅師の語録の中でも「そこな山へ入りては、七日も十日も物を食らわす、ここな岩をへ入りては尖った岩の上へ、着物を引きまくって、直に居しきを岩に付け、坐を組むが最後、命を失うことも顧みず、自然とこけて落つるまで坐を起たず」という修行をされたのでした。
それでも明徳はあきらかにならず、とうとう二十四歳の時に、故郷に帰り、赤穂の北にある野中村の小庵に入ったのでした。
野中庵では、一丈四方の牢屋のような小屋を作り、出入り口をふさいで、ただ食べ物だけを出し入れできるようにして、大小便も中から排泄できるようにして、ひたすら念仏や坐禅に徹したのでした。
あまりに極度に体を痛めて修行したので、お尻が破けて、杉原紙を尻に敷いて、取り替えては坐禅されました。
とうとう病に罹り、血の痰を吐くようになってしまいました。
更に食も喉を通らなくなり、七日程絶食、ついに死を覚悟しました。
明徳の解決ができずに死ぬのかと思っていたところ、あるときに「ひょっと一切のことは不生で調ふものを、今日まで得知らいて、さてさてむだ骨を追った事」と気が付いたのでした。
それからは、どうしたらこの時代の人々にこの教えを説き示すことができるか、思案工夫して「不生の仏心」を説かれたのでした。
「仏心は不生にして霊明なものに極りました、不生なる仏心、仏心は不生にして一切事がととのひまするわひの」と説かれたのでした。
仏心は、「不生」ですから、生じたものではないというのです。
誰かによって、あるいは何らかの条件によって作り出されたものではないのです。
だから条件によって滅することもないのです。
不生不滅の素晴らしいものなのです。
仏心は不生、その仏心で全ては調うのだと盤珪禅師は説かれました。
「したほどに皆不生で御座れ」と仰せになっているのです。
そうであるから、皆この不生の仏心でいればいいのだと説かれたのでした。
不生の仏心というと、古くは、唐の時代の黄檗禅師の教えを思います。
黄檗禅師の語録である『伝心法要』に次のように説かれています。
筑摩書房『禅の語録8伝心法要 宛陵録』にある入矢義高先生の現代語訳を引用します。
「師は裴休に言われた。あらゆる仏と、一切の人間とは、ただこの一心にほかならぬ。
そのほかのなんらかのものは全くない。
この心というものは、初めなき永劫の昔よりこのかた、生じることもなく、滅ぶこともなく、形体もなければ、相貌もなく、有るとも無いとも枠づけできず、新しいとも古いとも定められず、長くもなく短くもなく、大きくもなく小さくもなく、どのような計量と表現のしかたをも越えてあり、どのような跡づけかたと相対的接近法からも遠く離れてあり、つまりは、そのものそのままがそれであって、それについての思念が働いたとたんに的をはずすことになる。
それはちょうど涯もなくて測りようもない虚空のようなものだ。
ほかでもないこの心こそが実は仏にほかならぬ。
仏と人間とは、だからなんら異なるところはないのだ。」
と説かれています。
不生不滅の心こそ仏だというのです。
更に黄檗禅師は
「ところが、すべて人間というものは、姿かたちにとらわれて、おのれの外に仏を求めようとする。
求めれば求めるほど、それは見失われるばかりだ。
こんな風に、自分の設定した仏のイメージでもって仏を求め、おのが妄執の心でもって本源の心をとらえようとしては、永劫の果てまで、おのが身を粉にして空に帰するまで努力しても、結局それをつかむことはできぬ。
ところが、一切の思慮をやめ、 思念をなくしてしまえば、仏はちゃんと目の前に現われてくるものなのだ。
この心がそのまま仏なのであり、仏がそのまま人間なのである。」
というのです。
この仏心を現代に説かれたのが朝比奈宗源老師です。
朝比奈老師の『仏心』という著書には、
「仏心をそなえているといいますと、なにか貴重なものを胸の中にいれているように聞えますが、そうではない。
仏心は永遠に生きどおしのものであるばかりでなく、広大無辺なもので、全宇宙をつつんでいるのでありまして、私どもが生まれましたのも、死ぬという肉体の息のとまるのも、みな仏心のはたらきで、私どもはいつどこにいても、仏心からはなれることはないのであります。
ですから、死んだあとはどうなるだろうかと思い悩む人もありますが、そんな心配はいらないのです。
仏心は、生や死を超えていると申しましたが、それだけでなく、仏心はいつも浄らかな、いつも静かな、いつも安らかな、いつも明るいもので、一切の苦しみや、悲しみや、不安のない世界で、死はその世界へもどることです。」
と説かれています。
また朝比奈老師はこうも説いてくださっています。
「人間は、仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとる。このように、われわれは仏心をはなれることはない。
生と死というものは、ゆうべの夢のようなものだ。
それはまた水の上に浮かぶ泡のようなもので、泡ができたからといって水がふえたわけではない。
泡が消えたからといって、水が減りもしない。
仏心の世界にわれわれが生まれてきたからといって、仏心が一塵を増したのでもなく、死んだからといって、一塵を減じたのでもない。
坐禅は、実は、この仏心のうちにありながら、それに遠ざかりがちなお互いが、仏心に近づく修行です。
形を調えるのも、息を調えるのも、こうして雑念妄想につつまれながら、思うまいと思えば、思わないようにコントロールする力をあたえてくれるもの、それが坐禅なのであります。」
というのです。
仏心の中にあって坐禅しているのです。
不生の仏心の中にあるということは有り難いことであります。
横田南嶺