托鉢
岩波書店の『仏教辞典』には、
「僧侶が鉢を携えて町や村を歩き、食を乞うこと。
古くは<持鉢><捧鉢>あるいは<乞食(こつじき)>などと称した。
<托鉢>の語が用いられるのは、中国では宋代頃からである。托鉢はインドの修行者の風習が仏教にとり入れられたもので、中国や日本の諸宗に伝えられ、特に禅宗では重要な修行のひとつとされている。」
と解説されています。
昔は、鉢に食べ物をいれてもらっていたのでした。
今でも南方の仏教ではその伝統が守られています。
日本でもお米などをいただくことも多かったのですが、近年はほとんどお金をいただくのであります。
ただいまの臨済宗では、鉢を持つのではなく、看板袋といって、僧堂の名前を書いた袋を首からかけて、それにお金やお米を入れてもらいます。
よく駅などで、お坊さんが鉢をもってお経をあげながら立っているのを見かけることがあろうかと思います。
臨済宗では駅に立つということはあまりなく、鎌倉の円覚寺では、一軒一軒家の前でお経をあげて托鉢します。
わらじを履いて、足には脚絆をまきます。
そして円覚僧堂という名前の入った看板袋をかけて、網代傘をかぶります。
そうして一軒一軒お経をあげてまわるのです。
京都ですと、一軒一軒お経をあげることはせず、ただ通りを「ホー」と大きな声をあげて歩くのです。
はじめて托鉢に出たのは、昭和六十二年四月のことでした。
今からもう三十七年前のことになります。
慣れないわらじを履いて、先輩の修行僧について行くのが必死でありました。
大きな川があって、その岸に桜がきれいに咲いていました。
その川を鴨川というのだと後から知りました。
托鉢だけは長年やってきて、年季が入っています。
僧堂の師家になっても続けてきましたし、管長になってからも托鉢に出ていました。
ところがコロナ禍になって、この托鉢にも出にくくなってしまったのでした。
そうこうしてコロナ禍が収まってくると、私の方は行事がいっぺんに増えてしまって予定表を見ても空いている日がなくなっていました。
どうにか、お彼岸の最中に一日空いていましたので、托鉢に出たのでした。
久しぶりにわらじを履き、網代笠をかぶって町にでました。
心地よい秋の日だろうと思っていましたが、実に日差しが厳しく、残暑というより、酷暑といってよいほどの暑さでありました。
襦袢や着物に法衣といろいろと着込みますので、暑さは応えます。
しかし、決めたからには、修行僧たちと共に一軒一軒お経をあげては托鉢をしていました。
長年托鉢をしていると、ある種の勘がはたらいてきます。
お留守かどうか、何か勘がはたらきます。
お留守なら出てきてくれることはありません。
しかし、こういう勘がはたらいたりすることは雑念以外の何ものでもありません。
慣れてきてそんなことを考えるとだめなのです。
ただひたすらお経に集中して、余計な思いを消すようにしないといけません。
その点では入りたての修行僧は無心そのもので、どんなお家でも一心にお経をあげるので尊いのです。
私もなるだけ念を起こさぬようにと托鉢するのですが、流れる汗まで止めることはできません。
しかし、そうかといって全くなにも思わずにいるのも困りものなのです。
たとえば家の中で、お布施を準備してくれている場合があります。
そんな気配を感じたら、お経が終わっても更に読み続けて待っていないといけません。
また道を歩いていても、どこかでお布施を用意して待ってくれていることもありますので、すぐに気がつかないといけません。
このように気がつくのも一種の勘がはたらくというのかもしれません。
そのようにして、無心でありながら、まわりにもよく気がついていないといけないのであります。
このあたりはやはり長年の修行が必要になってくるところです。
托鉢の途中で感激することがありました。
母親の自転車に乗せられた幼い子供が、もみじのような小さな手に百円玉を握って、私に布施してくださったのでした。
感激しました。
あの稲盛和夫さんが、六十を過ぎて出家得度されて托鉢をされたという話があります。
その時にもあるご婦人が稲盛さんに五百円を施してくれて、稲盛さんは感激したというのです。
その気持ちはよく分かるものです。
私もあの純粋な子供の気持ちに応えることができるだろうか、このお布施をいただくだけの修行をしているだろうか、そしてこの子が大きくなって困ることのない世の中にすることができるだろうかといろいろと思いました。
その日は、鎌倉山にある円覚寺塔頭のお檀家さんのお宅でお昼をいただくことになっていましたので、鎌倉山を上ってゆきました。
その塔頭は数年前まで私が住職していましたので、そのお宅のことはよく存じ上げているのです。
鎌倉山への登り道では、先月甲野陽紀さんに教わった方法で登ってみました。
これは、実に驚くほど効果的でした。
かつては急な坂を登るのは苦しいと感じたものです。
ましてその日は炎天下です。
しかし甲野さんに教わったようにして登ると軽々と登れます。
もちろん物理的には、重い物が上に上がるので、汗が噴き出て心拍数も上がるのですが、軽々登れるのです。
これはよいことを教わったと思いました。
年をとって、衰えるだけかと思っていましたが、工夫次第でまだまだだいじょうぶだと感じました。
歩き方、立ち方、いろいろ学び工夫してきましたので、腰の負担もなく、膝の不具合もなく、実に快適でありました。
帰りも鎌倉山から円覚寺まで炎天下を六キロほど、歩いたのですが、疲れ知らずでした。
元気に托鉢できることは有り難いことです。
横田南嶺