大燈国師の迫力
大燈国師二十三歳の頃です、
大応国師が鎌倉の建長寺にお入りになって、それにも従っています。
二十六歳で雲門禅師の関という公案を参究していて大悟します。
そこで大応国師から印可を受けています。
投機の偈をご覧になった大応国師は大燈国師に対して、「わたしは汝に及ばぬ」とまで述べています。
ただ今後ひたすらに二十年長養した後に、この証明を公表するように伝えています。
大燈国師二十七歳の時に大応国師はお亡くなりになっています。
そして二十八歳で京都の東山の雲居庵で過ごします。
三十二歳の時には、『景徳伝灯録』三十巻を書き写します。
三十五歳のときに花園天皇に召されて初めて対面します。
花園天皇は「仏法は不思議、王法と対坐す」と言います。
大燈国師は「王法は不思議、仏法と対坐す」と答えています。
花園天皇にしてみれば、今まで王法と対等の立場で対座する者はいないと思っていたけれども、仏法とは不思議なものだ、今王法と対座しているではないかと言ったのです、
大燈国師は、「王法こそ不思議ではないか、権威主義の王法が平等の仏法と相対しているではないか」と答えているのです。
天皇の前でも実に堂々たる大燈国師であります。
花園天皇もまたご立派で、この大燈国師に敬服して、その弟子となっています。
花園天皇は大燈国師について深く禅に参じられたのでした。
宝林寺でいただいた大燈国師の絵本には、大燈国師四十四歳の時の、宗論のことが書かれています。
「ある日、妙超は天皇の前で、比叡山の高僧たちと智恵比べをすることになったんだ。
「いかなるか、教外別伝の禅」と聞かれて、妙超が「八角の磨盤空裏に走る」と答えたんじゃが、相手のお坊さんは何も言えず黙ってすごすごと引き下がったんじゃ。
次に別のお坊さんが箱を持って出て来たんだ。
妙超が「これ何ぞ」と聞くと、
その坊さんが「これは、乾坤の箱」と答えたんじゃ。
妙超がその箱をぶっ壊して「乾坤打破の時いかん」と言ったら、その坊さん、「参りました」と言って、妙超の弟子になったんじゃ。
天皇はますます妙超を慕うようになったんじゃ。」
と書かれています。
「八角の磨盤、空裏に走る」というのは難しい言葉です。
この意味を調べてみましょう。
『禅学大辞典』には
「とりつきどころのない自在のはたらきのたとえ。
磨盤は石臼。八角の石臼が空中に走るとは、思慮分別を超えた境地のたとえ。」と解説されています。
「一氣潛回、八角磨盤空裏走」という『虚堂錄三』の用例も示されています。
入矢義高先生の『禅語辞典』には、
「古代印度の神話に見える武器の一つで、八つの尖りをもつグラインダー(研磨盤)が空中を旋転して、一切のものを破砕する。すさまじい破壊力の喩え。」
と説かれています。
この言葉は『碧巌録』第四十七則雲門六不収の公案に対する著語として出てきます。
僧、雲門に問う、如何なるか是れ法身。
門曰く、六不収。
という公案です。
この六不収に、圜悟禅師が著語して、「斬釘截鉄」と、「釘や鉄を断ち切る」という著語と、「八角の磨盤空裏に走る」と著語されています。
末木文美士先生編の『現代語訳 碧巌録』においては、
「八角磨盤空裏走」への註釈は
「一切のものを破砕する八つの尖りをもつ磨盤(武器の一種)が空中を旋転する、すさまじい破壊力の譬え」とあります。
「石の挽き臼が空を飛ぶ。非思量底。思慮分別を超えた境地の譬え」などと解説されています。
山田無文老師は、『碧巌録全提唱』のなかで
「磨盤は石臼だ。八角の石臼が空中を走ってゆく、と。この頃言われる人工衛星ソリュートだ。妙な格好のものが月の回りを回っておるが、ちょうどそんなものだ。法身とは宇宙の本体とは八角の石臼が空中を飛んでおるようなものだ。何とも批評できん、つかむことも、手のつけようもないやつである。」
と解説してくださっています。
いずれにしても、これはすさまじい破壊力を表していることだと分かります。
ではいったい何を破壊するのでしょうか。
煩悩、執着、思い込み、固定観念、私たちを縛り付けている一切を破壊してしまうのです。
なかなか難しい禅語で解説も容易ではありません。
絵本にこんな難しい言葉を入れて分かるのだろうかと思われますが、分からないことがあるというのも意味があるものです。
すべてが分かるものではありません。
「八角の磨盤空裏に走る」は、こんな解釈をも粉砕する力があるものです。
分からない世界があると知る、そんな世界に触れるだけでも大きな意味があります。
この比叡山や園城寺、東寺の僧たちとの討論は、正中の宗論と呼ばれています。
正中二年正月二十一日から一週間、宮中の清涼殿で討論が行われたのでした。
禅宗側は通翁鏡円と大燈国師の二人、旧仏教側が九人でした。
講談社の『禅入門4 大燈』に平野宗浄老師が、
「「八角の磨盤、空裏に走る」のその磨盤が、大燈それ自身であるかのように、ブーンとうなりを生じてその僧にぶっつかり、打ち砕いてしまったようである。
旧仏教側は、一問一答のやり方ではとうてい禅宗に太刀打ちはできぬと思ったのであろう。俱舎、成実、三論、華厳などの諸教義について議論を進めた。これに対しても通翁、大燈の二人は無碍の弁をもって論破し、玄慧は遂に大燈の弟子になったという。」
と書かれています。
大燈国師の迫力が伝わってくる問答であります。
横田南嶺