イキイキとハツラツと
『禅学大辞典』には、
「臨済宗楊岐派。
綿州(湖南省)の人。俗姓は鄧氏。
三五歳で出家受具し、成都(四川省)に往き、唯識を学び、南方に行き円照宗本に参じ、次いで浮山法遠に謁し、さらに白雲守端の提撕を受けてついに通徹し、その法を嗣いだ。」
と書かれています。
三十五歳で出家という、遅い出家であります。
唯識を学んで、それから禅に転じました。
はじめに師事した円照宗本禅師は雲門宗の方です。
それから臨済の浮山禅師に参じましたが、浮山禅師が自分はもう年をとったので、若い師家に師事するがよいと言われて、白雲守端禅師に参じて、その法を継がれたのでした。
その五祖禅師があるときのお説法で、修行僧から、「百尺竿頭如何が歩を進めん」と問われました。
これは『無門関』にも出てくる言葉です。
「石霜和尚云く、百尺竿頭、如何が歩を進めん。
又古徳云く、百尺竿頭に坐する底の人、得入すと雖然(いえど)も未だ真と為さず。
百尺竿頭、須らく歩を進め、十方世界に全身を現ずべし。」
という公案です。
百尺もの竿の先で、どう一歩を踏み出すのかという問題です。
また、古徳は言われました。
この古徳は長沙景岑禅師です。
百尺もの竿の先に坐る人は、悟ってはいるが、まだ本物ではない。
そこから一歩踏み出して十方世界に全身を現しだすことができるというのです。
百尺竿頭とは、悟りの世界とは言えますが、そこにとどまっていてはまだ本物ではないというのです。
真実の悟りを得る為には、そこから足を踏み出し、全世界に全身を現し出す必要があるということであります。
ある修行僧が五祖禅師に「百尺竿頭如何が歩を進めん」と質問しました。
この修行僧にしてみれば、かなり修行してきて、そうとうの自信もっているようにみえます。
自分はもう百尺の竿頭まで到ったのですが、そこからどう踏み出せばよいのですかという質問です。
五祖禅師は、「快走して始めて得ん。」と答えています。
さっさと進めというところでしょう。
そんなところでグズグズしていないで、さっさと進めばよいというのです。
そのあと、こんな公案を示しています。
雲門禅師の公案です。
この公案は『宗門葛藤集』にも載せられていますので、禅文化研究所発行の『宗門葛藤集』にある道前宗閑老師の現代語訳を参照しましょう。
「雲門禅師が上堂して云った、「聞声悟道、見色明心と云うのはどういうことか」。そこで手を挙げて云う、「観音菩薩が銭を持って、餬餅を買いに来た」。手を放って云う、「もともと只の饅頭だわい」。」
というものです。
雲門禅師が言われました。
「聞声悟道、見色明心と云うのはどういうことか」と。
聞声悟道とは声を聞いて道を悟ることです、
有名なのはあの香厳禅師です。
南陽の慧忠国師のお墓の掃除をして、そこで掃除したゴミを竹藪に捨てた拍子に、石ころが竹に当たってカチンと音がした。その音を聞いて気がついたのでした。
見色明心はものを見て心を明らかにすることです。
有名なのは霊雲禅師で、桃の花を見てお悟りになられました。
「観世音菩薩銭を将ち来って餬餅を買う。」
観音さまがお金を持ってゴマモチを買われた。
「餬餅」は道前老師の註によれば、
「「胡餅」とも云い、西域伝来の焼餅。小麦粉をこねて醗酵させ、平たくして胡麻をまぶして焼いたもの。
余程雲門の好物であったと見え、『雲門広録』に十九回も登場する。
更に、「餅寮」と云う喫茶寮も有ったと云う。」
と解説されています。
『禅学大辞典』には「胡麻入りの餅」と書かれています。
『禅語辞典』には、「小麦粉を練って発酵させ胡麻をまぶした食品。
日本のいわゆる餅とは異なる」と書かれています。
饅頭は、「饅頭は蒸し餅の類であり、焼餅の類である胡餅とは区別されるが、両者はいずれも下飯(飯菜) に対し軽食・間食の類であった。」
と解説されています。
この雲門の公案を取り上げて五祖が評して「雲門好きことは則ち甚だ好し。奇なることは則ち甚だ奇なり。」
結構なことは甚だ結構、見事なことは見事に言い得ているが、
「要且つ只老婆禅を説き得たり。」と言っています。
「老婆禅」とは、まるでおばあさんが孫をあやすように親切がすぎる、説きすぎたということです。
これでは学人の眼をつぶしてしまって却って不親切だと言いたいのです。
もちろんこの辺は、表面はけなしているようで内心は大いにほめているので、所謂抑下の托上です。
雲門和尚よくぞ親切に示してくださったというところです。
しかしそれだけで終わっては十分ではありません。
そこで「若し是れ白雲ならば即ち然らず。」わしならばそんな事はいわないというのです。
当時五祖禅師は白雲山におりましたのでご自身のことを白雲と言っています。
「作麼生か是れ聞声悟道見色明心。」声を聞いて道を悟り、色を見て心をあきらめるとは一体どういう事か、端的は如何にと言ったならば、
「遂に手を挙して杖鼓を打つ勢を作して云く」、
杖鼓は鼓の一種で、昔の中国の打楽器です。
杖で叩いたりするそうです。
五祖は手を振り挙げて、鼓を打つ格好をして見せて
「堋八囉札」と言われました。
この言葉は後に仏光国師もお使いになっています。
「堋八囉札」については、
禅学大辞典には「鼓の擬音語、又は鼓を打つときの掛け声」
禅語辞典には「歌舞音曲の合いの手のかけ声」とあります。
仏光国師は、三人の侍者がやってきたのに対しての説法で、「彭八刺札」と使っておられます。
円覚寺につたわる手沢本には、「ぽんぱらさ」とルビが振られています。
それが夢窓国師も遺偈で使われているのです。
五祖禅師以来、仏光国師を通じて伝えられた法財です。
柳田聖山先生は「一歩踏み出す誘いの声、勢いよく鼓を打って気合いをかける、おはやしの声、ヨーイヤーサです。」と解説されています。
こんなことを調べていると、鈴木正三の「鬨の声」坐禅を思い出しました。
鈴木正三がある日ある所で、「仏法というのは万事に使うことである。ことに武士は鯢波坐禅をなすべし」と言って、自ら鯢波をなさったというのです。
ときのこえというのは、「合戦の初めに全軍で発する叫び声」です。
大将が「えいえい」と二声発すると、一同が「おう」と声をあげて合わせるものです。
こんな気迫なのであります。
百尺の竿頭から一歩踏み出すのも、この気合いだというのです。
そこに生きた禅を見る思いがします。
イキイキとハツラツと、生きて働いている姿であります。
横田南嶺