逸話が人生を変えることも
今年は禅僧の逸話に学ぶというシリーズで、今回は宋代の禅僧の逸話に学ぶということで話をしました。
はじめに日本の江戸時代の禅僧白隠禅師の話をしました。
白隠禅師は貞享二(一六八五)年、駿河(静岡県)の原宿という場所で生まれています。
母親に連れられて近くの寺にお参りをした十一歳のときに、お寺の住職から地獄絵図を見せられ、その説法を聴いて、恐怖におびえました。
嘘をついた者が舌を抜かれたり、釜ゆでにされたり、針の山を登らされているような、血にまみれた悲惨な地獄の様子を見せられたのでした。
白隠禅師はその地獄の絵を見て身も震えるほどの恐怖心を抱きました。
母親に、「どうすれば地獄から逃れることができますか?」と聞いたというのです。
これが白隠禅師の修行の原点です。
自分は地獄に落ちるかもしれない。
どのようにすれば脱出することができるのか。それが生涯を貫く課題になったのです。
どうしたら地獄の苦しみから脱せられるか悩んで、母親から、あなたは丑年の丑月、丑の日丑の刻に生まれたから、天神さまと縁が深い、天神さまを拝むようにと教えられて、一心に天神さまを信仰されました。
天神さまは、本地仏が観音さまでありますので、白隠禅師は、天神信仰から観音信仰へて転じてゆきます。
観音さまを拝むことから法華経へとつながってゆき、衆生はみな本来仏であるとの目覚めを得られます。
そこから、ご自身が観音さまになって、最後は地獄にまで降りてゆかれたのです。
地獄の苦しみから逃れる為に白隠禅師は出家を志しました。
十六歳のときに原にある松蔭寺というお寺で出家しました。
東海道のすぐ傍にあるお寺です。
元禄十六年、白隠禅師は清水の禅叢寺というお寺で修行をしていました。
そのときに『江湖風月集』の中に巌頭渡子という中国の唐の時代の禅僧の話を知りました。
唐の武宗の時代に「会昌の破仏」という仏教弾圧があって、巌頭和尚という人は、破仏に遭って舟の渡し守をしていました。
唐代では屈指の禅僧ですが、最後は賊に襲われ斬られて死んでしまうのです。
この話を聞いて白隠禅師は、出家して修行すれば地獄から逃れられると思っていたのに、現実は生きている間に身に降りかかってくる災難ですら振り払うことができないと知って愕然とします。
それでは地獄から逃れるどころの話ではないというわけで、仏法は信ずるに足らないのではないかという疑念を抱くようになったのです。
それからしばらくの間は禅に失望して、坐禅の修行をせずに漢詩文に耽りました。
漢詩文も立派な学問のひとつですが、禅僧としての本格的な修行を少し怠けていたのです。
二十歳、自分はこれからどう生くべきかと悩んだ白隠禅師は、美濃(岐阜県)の大垣にある瑞雲寺というお寺に行きます。
そこで馬翁和尚という方について修行をします。
経典や語録をたくさんお堂いっぱいに広げての虫干しをしていました。
白隠禅師は本の虫干しをしながら仏様に願をかけてみました。
「これから自分はどういう生き方をしていったらいいのか、進むべき道を教えてください」
そう祈りを捧げて、目を閉じて虫干しをしている膨大な書物の中から一冊の本を取り上げました。
それは『禅関策進』という本でした。
その本をパッと開いてみると、慈明禅師が夜坐禅をしていて眠くなると錐で自分の股を突き刺して眠気を払ったという一節が目に飛び込んできました。
そこで白隠禅師は気づきました。
仏法がいいかげんなものであればここまでやることはないじゃないか、と思ったのです。
さらにその書物の中に「古人刻苦光明必盛大(古人刻苦光明必ず盛大なり)」と書いてあるのを見て、「ようし、これだ」と思い直して、今一度志を奮い立たせたのです。
このときの体験がもとになって、更に修行に励んで二十四歳高田の英巌寺で大悟しました。
さらに正受老人に出会って一層磨きがかかり、三十二歳で原の松蔭寺に帰りました。
以来松蔭寺で参禅指導されました。
四十二歳で法華経を読んでいて更に深く悟る処がありました。
慈明禅師の逸話が白隠禅師の人生を変えたのです。
慈明楚圓(九八六~一〇三九)禅師が、大愚、瑯琊など六、七人と共に修行していました。
汾陽禅師の名は厳令なる家風で鳴り響いていました。
とくに住していた汾州というところは寒さも厳しいものでした。
語録には、禅師のお説法を立って聴いていると、足の指が凍傷になってしまうほどだったというのです。
ある晩、とりわけ寒気厳しく、多くの僧は夜の坐禅を休んでいました。
しかし慈明禅師一人は、「志、道にあり」で、夜通し坐って、眠気に襲われると、「古人刻苦光明必ず盛大なり」と唱えて、錐で自らの股を刺し目を覚まして坐ったというのです。
昔の人も皆激しい苦しみに耐えて大いに光り輝くものを得られたということです。
その結果大いに活躍される大禅僧になられました。
この逸話が白隠禅師の生涯を変えたのでした。
逸話が人生を変えることもあるものです。
刻苦光明といいますが、辛い苦しい修行をしてこそ、大いなる光があるということだと思ってきました。
そう思って私なども修行してきたものです。
この頃は少し見方が変わってきました。
若い修行僧達が、僧堂という不自由な環境の中で修行しているのを見ていると、耐え忍んで修行している姿こそが、光輝く姿なのだなと思うようになりました。
刻苦して光明があるというより、刻苦そのものが光明だと思うのであります。
横田南嶺