大用国師をしのぶ
ここには、お釈迦様の教えがどのようなものなのか分かりやすく書かれています。
佐々木先生の文章を引用させてもらいますと、
「ブッダは、自分が感じている 「生きる苦しみ」 を取り除くことができるのは自分だけだと考えた。
外部世界に、苦しみを消し去ってくれるような超人的存在はいないと確信したのである。
瞑想の力を使って心の内側を精密に観察し、苦しみの根源がどこにあるかを見つけた。
そして、ありもしない「自我」を想定し、その、自我に合わせて都合よく世界を見ていこうとする自己中心の世界観、それこそがわれわれに苦しみをもたらす根本原因だと見抜いた。
この、私たちが本能的に持っている、誤った自我意識から生ずる、心のさまざまな悪い作用をまとめて 「煩悩」と呼ぶ。
自己観察によって苦しみの根源を見極めたブッダは、それらの煩悩を絶ち切って、苦しみの海から自分自身を救い出すための実践方法を考案した。
「仏道修行」と呼ばれる、仏教特有の精神的トレーニング方法である。」
と書かれています。
ここにある「煩悩を絶ち切って、苦しみの海から自分自身を救い出すための実践方法」こそがお釈迦様の教えの中核なのでありました。
ところが日本の仏教はその伝来から特殊な経緯をたどっています。
佐々木先生は「日本が中国文化圏に加わることを外交的に示すための手段として着目されたのが仏教である」と書かれているのであります。
日本の仏教は、伝来のときから、国の施策と大きく関わっていたのでした。
平安時代に入ってきた天台宗も真言宗もまた国と深く関わっていました。
それに対して、鎌倉仏教は独自に発達しました。
鎌倉新仏教は、民衆中心であり、政治権力に対して宗教の自立性を主張していました。
それが江戸時代になって、また大きく変わってゆきます。
徳川幕府は、佐々木先生の言葉によると「日本全土に広く存在している無数の仏教寺院を幕府の行政機関として活用することで、国民を個人単位、あるいは各戸単位で管理統括する」こと、「日本を侵略しようとしている西洋諸国の先遣隊である (と見なされていた) キリスト教を排除するための宗教的防波堤として仏教を利用する」ということになったのでした。
総じて江戸時代に仏教は沈滞していた一面が強いのであります。
もっともすぐれた仏教者が出ていることも事実であります。
江戸時代には、円覚寺も沈滞の気風にあったと『円覚寺史』にも書かれています。
江戸期には、寺院の増加に併せて僧侶も増え、宗風が沈滞して、円覚寺でも禅の修行が疎かになる事態もあったようです。
そういう沈滞の気風の中で、九州に古月禅師がでて、禅風を挙揚されました。
その同じ系統にあたると言われる月船禅師が関東で教化を挙げられました。
永田の東輝庵で多くの修行僧を指導したのでした。
白隠禅師も静岡の原の松蔭寺で大いに教化をなされていて、沈滞の気風を一掃しようとされました。
その月船禅師の元には、後に相馬の長松寺に住する物先海旭禅師や、後に博多の聖福寺に住して有名になる仙厓義梵禅師などのほかに、後に白隠禅師のもとの参じた峨山慈棹禅師や隠山惟琰禅師など錚錚たる禅傑が修行されていました。
そんな中を若き誠拙禅師も修行されていたのでした。
当時の円覚寺は続灯庵の実際法如禅師や仏日庵の東山周朝禅師らによって何とか円覚寺にも宗風を復古させようという機運が起こっていました。
特に円覚寺の舎利殿開山堂をいただく正続院だけでも僧堂として伝統の修行を復活させようと努力していました。
そこでもっとも大切なのはその指導者を得ることであり、その白羽の矢が立ったのが誠拙禅師その人でした。
当時まだ数え年二十七歳、その若き僧に円覚寺の将来が託されたのでした。
いろんなご苦労があったと思われますが、円覚寺に僧堂を築きました。
禅堂を建て、宿龍殿という本堂や修行僧の住いもつくり、一撃亭という師家の住いも作られました。
六十二歳の時に八王子の広園寺にも僧堂を開単されました。
六十四歳で僧堂師家をご自分の弟子の清蔭禅師に譲られ一時山内の伝宗庵に隠居されます。
更に横浜金井の玉泉寺に隠居しようとされました。
ところが隠居の間もなく、明くる六十五歳で京都相国寺の大会に拝請され師家をつとめて『夢窓国師語録』を提唱しました。
誠拙禅師の名は天下に広まり、六十九歳で天龍寺の大会も師家をつとめ、天龍寺にも僧堂の基礎を築かれました。
さらに最晩年の七十六歳で再び上洛され、今日の相国寺僧堂を開単されました。
今も相国寺僧堂にはその時の禅堂が残っています。
ところが、その時病に倒れご遷化なされます。
文字通り僧堂の為に捧げた御一生でした。
六月末の二十八日は、誠拙禅師のご命日で、僧堂で法要を営んでいました。
「大用国師」の諡号は大正八年に追贈されています。
六月二十八日、毎年のことですが、大用国師をしのぶ法要をお勤めしたのでありました。
横田南嶺