戒の変遷
『広辞苑』には、もともとは食を乞う者の意で、「出家して具足戒を受けた男子。修行僧を言う」と解説されています。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「仏教興起時代には諸宗教一般に、托鉢する男性の修行者をこのように呼んだ。
仏教では、出家得度して具足戒を受けた男子の修行者を<比丘>と呼ぶようになり、<パーリ律>では227の戒条、『四分律』では250戒(二百五十戒)を受けるとされる。」と明記されています。
出家するということは、具足戒を受けるということでもありました。
「ありました」という過去形で述べていますように、いろいろの変遷があって、今は行われていないのであります。
「具足戒」を調べると、その内容は
「犯せば僧伽より追放される重罪である<波羅夷(はらい)法>(婬・盗・殺・妄)、」
それから次に僧残法があります。
これは「六昼夜他の全ての比丘を礼拝するなどの贖罪の摩那埵を行い、20人以上の比丘からなる僧伽の前で出罪羯磨(しゅつざいこんま)を行う(罪を隠していた場合には同じ期間の別住がさらに課せられる)などの一定の手続きの後に許される」ものです。
それから「僧伽または衆多人(2、3人)または1人の比丘の前に不法に所持したものを捨てることで許される」という「波逸提(はいつだい)法」があります。
そして「他の比丘に向かって懺悔(さんげ)すれば許される」という「波羅提提舎尼(はらだいだいしゃに)法」があり、
最も軽いもので「自ら反省懺悔することで許される」という「突吉羅」があるのです。
罪の重さでこのように分類されています。
「波羅夷」は重罪で、教団から追放されるのです。
仏教では、体罰などはありませんので、もっとも重いものが教団追放です。
それはまず「淫事を行うこと」でした。
出家者には結婚や性行為は認められませんでした。
それから盗むというのは「与えられていない物をとること」です。
殺は「人を殺すこと」で故意に人を殺すことを言います。
妄語戒というのは「宗教的な嘘をつくこと」であり、「自身が正しい覚りを得ていないことを認識しているのに究極の覚りを得た」と嘘を言うことです。
僧残法は、一応教団には残れますが厳しい罰が課せられます。
そこには女性に触れることなども含まれています。
もともと性に対しては厳しい戒が課せられていたことが分かります。
僧残法ではありませんが、お金を蓄えてはいけないというのもあります。
美食を求めてはいけないというのもあります。
軍隊が合戦するのを見てはいけないというのもあります。
それほどまでに暴力行為を否定するのが仏教教団でありました。
立って小便してはいけないという決まりもあります。
これら二百五十もの戒を受けることが、出家して比丘になることなのでした。
これは、『四分律』という中国で翻訳された律典によっています。
これは小乗部派の一つ、法蔵部の伝持したものです。
中国では道宣律師がこれを重んじました。
道宣律師は終南山(陝西省西安南方)に住し、律学に励んだ方です。
そしてかの鑑真和上は、その孫弟子にあたります。
鑑真和上が、この『四分律』に基づいて、日本において具足戒を授けたのでした。
そのご功績は実に大きなものです。
しかし、『四分律』は部派仏教のものでした。
大乗仏教が興ると、大乗の利他の精神に基づいて大乗戒が説かれるようになってきたのでした。
最初は十善戒が主張されました。
のちに『瑜伽師地論』において、<三聚浄戒>が説かれるようになりました。
三聚浄戒は、止悪とともに作善と衆生利益とを誓う戒です。
悪いことをしないように、良い行いをして、人々のために尽くそうと誓う戒なのです。
中国・日本では梵網経に説く梵網の<十重四十八軽戒>が重視されるようになりました。
はじめの頃には、律蔵の律と梵網経の戒とが併修されていましたが、伝教大師最澄は律を捨てて<梵網戒>のみを大乗仏教の修行規範とすべきことを主張するようになりました。
それまでの東大寺など三戒壇に於いての受戒だけでは、伝教大師にとって弟子の育成は困難だったのでした。
その受戒制度では一年にわずかしか朝廷より認可されなかったようです。
そのように国が管理していたものでした。
そこで伝教大師は、大乗戒の独立をお考えになったのでした。
今まで東大寺などで授ける具足戒を大乗戒に変更することを主張したものでした。
これが認められて、比叡山に新たに大乗戒の受戒が行われるようになったのです。
ただいま私ども円覚寺でも布薩のおりには大乗戒である三聚浄戒と、十善戒、十重禁戒を唱えているのは、こんな経緯がもとになっているものです。
三聚浄戒と十善戒、十重禁戒をこちらに紹介しておきましょう。
円覚寺の布薩で唱えているものです。
三聚淨戒
第一摂律儀戒 み教えにしたがい 過ちのない行いに 生き
第二摂善法戒 み教えにしたがい 善き行いにつとめ
第三摂衆生戒 みほとけの作すが如く、いのちと人の世に誠を尽さん
十善戒
第一不殺生 すべてのものを慈しみ、はぐくみ育て
第二不偸盗 人のものを奪わず、壊さず
第三不邪婬 すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことなく
第四不妄語 偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることなく
第五不綺語 誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさず
第六不悪口 人を見下し、驕(おご)りて悪口や陰口を言うことなく
第七不両舌 筋の通らぬことを言って親しき仲を乱さず
第八不慳貪 仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらず
第九不瞋恚 不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにせず
第十不邪見 すべては変化する理を知り心を正しく調えん
十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)
第一不殺生 命あるものをむやみに殺さない
第二不偸盗 人のものを盗み取ることをしない
第三不淫欲 道に逆らった愛欲を犯さない
第四不妄語 嘘偽りを口にしない
第五不沽酒 酒に溺れて生業(なりわい)を怠ることをしない
第六不説四衆過罪 他人の過ちを責めない
第七不自讃毀他 自分を誇り他人を傷つけることをしない
第八不慳貪 物でも心でも人に施すことを惜しまない
第九不瞋恚 怒りに燃えて自分を失わない
第十不謗三寶 仏法僧の三寶をそしらない
このような戒を今唱えているのは、長い仏教の歴史の変遷を経てのことなのです。
横田南嶺