まるごとが仏
講義の前日に、妙心寺の新管長にご就任なされた霧隠軒山川宗玄老師にお目にかかりました。
花園大学の母体は妙心寺でありますので、大学の総長として新しい妙心寺の管長さまに表敬訪問し、ご挨拶申し上げたのでした。
そのあと禅文化研究所でYouTubeの撮影を行っていました。
更にその晩には花園禅塾に行って、禅塾の塾生達に坐禅をするための体操をあれこれと教えてきました。
長年どうしたら坐禅がよりよく坐れるか、慣れない人には、どうしたら苦痛無く坐れるか、あれこれと研究し工夫してきましたので、お若い方にもお伝えしようという思いであります。
一時間ほどの講習ですが、はじめにはやはり足を念入りに調えるように時間をとりました。
やはり、いろいろ学んできて分かったのは足が大事だということです。
足の指も大事ですし、足の裏も重要ですし、足首も柔らかくしておかないといけません。
テニスボールを学生さんたちの分を持っていって、はじめにはテニスボールを踏むということを行いました。
まず拇指球でテニスボールを踏むようにするのです。
右足から行いました。
右の膝を少し曲げて、足でテニスボールを踏むぞという意志を持って踏みつけるのです。
テニスボールは弾力性がありますので、かなり強く踏みしめても大丈夫です。
それから次に小指球でテニスボールを踏みしめます。
拇指球、小指球というのは、それぞれ親指、小指の付け根でありますが、付け根といっても土踏まずの上の方あたりであります。
それから拇指球と小指球の間を踏みしめます。
そうして土踏まず全体をテニスボールをころころ転がすようにして刺激を与えます。
そして踵と土踏まずの境目あたりを踏みしめるようにします。
このところはとても気持ちの良いものです。
そしてここに重心を置くようにして立つとまっすぐ立てるようになります。
そうしてしっかり足で踏むという感覚を身に付けてもらってから、坐って足首を回します。
足と手で握手するように足の指の間に手の指を入れて、大きく回してゆきます。
反対回しもします。
それから足の指を一本一本回してゆきます。
反対回しもします。
そうしますと足の指の感覚がしっかりしてきます。
両手の親指で足の裏を押して刺激します。
指の間、指の付け根、土踏まずから踵まで押して刺激します。
そして、最後には拳を作って足の裏をトントン叩いて刺激します。
そこで立ち上がってもらうと、右の足は、しっかり大地を踏みしめて立つという感じがするものです。
足の裏から根が生えたようにどっしりとして安定します。
まだ何もワークをしていない左足はただ床の上に乗っかっているだけの感じです。
左右の違いを感じてもらいます。
また足の色も変わるのです。
右の足の方が血行がよくなっているのが分かります。
そこで、今度は左の足も同じようにテニスボールを踏むところから始めます。
ひととおり行ってもう一度立ち上がってもらうと、今度は両足がしっかり地面を踏んでいる感じがするのです。
そこで更にまず右足で足の裏にテニスボールが無いけれどもあるように思って、踏み潰すつもりでしっかり床を押すようにしてもらいます。
更に左足も足の裏にテニスボールが無いけれどもあるように思って、踏み潰すように力を入れてゆきます。
そうしますと両足で床を押して立つことができるようになります。
その時足で床を押す力が、そのまま床から腰を立てる力となってはたらくのです。
腰を無理に入れようとするとどうしても腰が張ったりしてしまいます。
足で地面を押す力で、腰を立ち上げるようにすると、最も無理なく自然に立ち上がるのです。
頭までスッとまっすぐに立っている感じがつかめるのです。
これが腰を立てる要領となります。
それから股関節をほぐしてゆく運動をあれこれと行ってから皆で最後少し坐ってみました。
坐りやすくなったとか、落ち着いた感じがするという声をいただきました。
いつも坐禅の前に行っておいて欲しい運動もお伝えしておきました。
幸い今の禅塾の塾頭さんは親切にご指導してくださっているので、真向法を教えたり、いつも坐禅の前に体操の時間をとってくださっているようです。
やはりこうして体をほぐしてから坐ることが大事だと感じています。
股関節を柔らかくしてから足を組まないと、膝や足首を無理にひねって壊してしまうことがあるのです。
その次の日が大学の講義でありました。
禅とこころ、今回は禅僧の逸話に学ぶというシリーズです。
第二回目は唐代の禅僧の逸話を紹介しました。
単に逸話を紹介するのではなく、そこから禅の思想が学べるように工夫しています。
唐代の禅僧でも馬祖禅師、百丈禅師、黄檗禅師、臨済禅師の四名を中心に学びました。
そして番外に懶瓚和尚、布袋和尚、蜆子和尚を紹介しました。
馬祖禅師の教えの中核はなんといっても即心是仏です。
「馬祖は示衆して言った「諸君、それぞれ自らの心が仏であり、この心そのままが仏であることを信じなさい。達磨大師は南天竺国からこの中国にやって来て、上乗一心の法を伝えて諸君を悟らせた。」
ということに他なりません。
それから黄檗禅師の
「祖師ダルマは西方から来られて、一切の人間はそのままそっくり仏であると直示なされた。
そのことをいま君は知らずに、凡心に拘われ聖心にかかずらって、おのれの外を駆けずり廻り、あいも変らず心を見失っている。
だからこそ、そういう君に対して、〈心そのものが仏だ〉と説かれたわけだ。ちらりとでも妄心が起これば、たちまち地獄に落ちることになる。」
という『伝心法要』の言葉も紹介しました。
原文には「一切の人は全体是れ仏なり」とあります。
心だけとり出すわけにはゆきません。
この体も含めて全体まるごとが仏だと示されているのです。
そのことを実感するためにもこの体をしっかりと自覚して、この体まるごとが仏だと体感することが大事であります。
禅塾での体操も単に坐禅の為というよりも、足で地面を踏んで立っている、この体まるごと仏である自覚になって欲しいという願いを持っています。
横田南嶺