『心とからだを磨く生き方』
本のタイトルは『心とからだを磨く生き方』、サブタイトルには「「よい呼吸」が人生100年を支える」と書かれています。
また本のオビには「トップ対談 禅×医療 医師と禅僧がやっている健康術 よく眠る・よく呑む・よく動く」と書かれているのです。
このオビの「よく呑む」だけは帯津先生のことで、私はほとんど呑むことはないのです。
目次を紹介します。
第1章は
「いつまでも健康でいるヒント」というテーマです。
医師と禅僧の養生法
呼吸法が元気のもと
コラム1 調和道丹田呼吸法
吐く息に気持ちを込めると健康にいい
身体の中の汚れたものを吐き出す
コラム2 貝原益軒が『養生訓』で伝えていること
シンプルで効果的な真向法
コラム3 真向法とは
コラム4野口体操とは
日常のちょっとした運動が大事
休肝日を作らなくても元気でいる方法
お酒を飲みたいから続けていること
脳梗塞には気をつけている
睡眠方法は自由でよい
コラム5 岡田式静坐呼吸法とは
五木寛之流生活術
お寺の道場でもアレルギーが増えてきた
健康診断の数値が悪くても気にしない
認知症は怖がりすぎない
YouTubeで法話をする
コラム6 帯津良一氏が開発した新しい呼吸法「時空」とは
コラム7 横田南嶺老師が力を入れている「イス坐禅」
認知症は病気というよりも老化現象
最新技術にも好奇心を持ち続ける
というのが第一章です。
第二章は「がん治療を支えるホリスティック医学」というテーマです。
内容の詳細は省略しますが、
第三章が「品位ある生き方をめざす」で
それぞれの死生観
仏教への関心が芽生えたとき
小学生でも坐禅になんとなく引かれていった
急に身近な人や自分に「死」が迫ってくると驚いてしまう
例外なくきれいな死に顔
ある「戦友」の選び取った死
私は「死後の世界がある」と信じています
六〇代以降は人生のゴールデンタイム
まるで隣の部屋に行くように亡くなるということ
好きなことをやって、自然にあちらの世界に行く
最後に考えておきたいこととは
となっています。
目次の小見出しを見るだけでも、おもしろそうに感じるのではないかと思います。
本の校正作業は、なかなかたいへんな作業ですが、どうにか無事に出版することができました。
対談の本ですので、校正は私が話した部分を担当すればいいので、自分だけの著作よりは半分の労力ですみます。
帯津先生のお話になったところには手を入れないようにします。
まえがきが帯津先生、あとがきを私が担当しました。
なんといっても帯津先生は、今年米寿をお迎えになります。
本に書かれているご経歴には、
「1936年埼玉県川越市生まれ。東京大学医学部卒業、医学博士。
東京大学医学部第三外科に入局、都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、 埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。
2004年、池袋に統合医学の拠点、帯津三敬塾クリニックを開設。
日本ホリスティック医学協会名誉会長、 日本ホメオパシー医学会理事長。」
と書かれています。
私もそんなご経歴の帯津先生との対談の話をいただいて、驚き恐縮したのでした。
しかし、なんと帯津先生のまえがきを読んで更に驚いたのでした。
まえがきにはこう書かれているではありませんか。
「横田南嶺師は超一流の著名人です。
一度もお会いしたこともないのに、そのご尊顔はよく存じ上げていました。
それだけ各種のメディアに登場していたのでしょう。
その上に、鎌倉の円覚寺の管長さんという肩書きです。
どう見ても雲の上の人です。
だから、対談のお話があった時は、一瞬信じられませんでした。
私などではお相手は無理でしょう。と思ったのでした。
しかし、どうやら本当の話であるとわかった時は、そこはかと無いうれしさが漂ったものでした。
人間とは勝手なものです。
それでもある種の怖気は共存していました。」
と書かれているのには驚いたのです。
帯津先生の方がはるかに有名であることは明らかであります。
しかし、こういう一流の方というのは、こんな謙虚なお心をお持ちでいらっしゃるのであります。
そのあと「まえがき」には次のように書かれています。
「そして、まもなく、致知出版社の会合でごいっしょすることになりました。
しかし広い会場で1000人を超える大集会です。
まだまだ怖気が優先です。
この席では常に少し離れたところに居て、お会いしないことにしました。
しかし、ご老師様のほうが一枚上手でした。
一瞬の虚を突かれて声をかけられてしまったのです。
思わず、「あなたのような偉い方と対談する資格はありませんが、よろしくお願い申し上げます」
と挨拶してしまったのです。
そうしましたら、 対談が急に楽しみになって来ました。」
と書かれています。
この時のことはよく覚えています。
ずっと離れたところに帯津先生がいらっしゃるのを拝見して、すぐに駆け寄ってご挨拶させてもらったのでした。
「私のような者と対談してよろしいのですか」というようなことを仰せになったので、私は「先生、それは私が申し上げたいことです。私のような者と対談してよろしいのでしょうか」と申し上げたのでした。
そんな出会いがあって、都内で何度か対談を重ねたのでした。
私の「あとがき」には、こんなことを書いています。
「帯津先生に初めてお目にかかったのは知出版社の会合でありました。
帯津先生に接して、なんと自然な方だ、大らかな方だと感じました。
対談をしてみてなおのこと、帯津先生は自然体でいて、すべてを包み込むような大らかさがあって、それでいて強い信念を持っていらっしゃると思いました。
初めインターブックスから、帯津先生との対談の企画についてお話をいただいた時には、驚きました。
私にとって帯津先生は仰ぎ見る方であります。
円覚寺では毎年夏期講座を開催していますが、私の記憶では千人を超える方が集まって、円覚寺に入りきれなかったことが二度ありました。
その一回は、帯津先生が講師としてお越しいただいた時でした。
その時には私はまだ円覚寺の管長ではなく、修行道場の指導者という立場でしたので、会場には皆入いりきれないからということで、修行僧たちと共に帯津先生の講演を拝聴せずに、道場に帰っていったことを覚えているのです。
あのとき残念な思いをしたけれども、この度対談のお話をいただいて、帯津先生と何時間もかけて直にお話を聞けて、ご一緒に食事までさせていただいて至福の時を過ごさせていただきました。
私の生涯の中で忘れ得ぬ思い出となることは間違いありません。」
と書いておきました。
出会いというのは不思議なものです。
もう二十年も昔に、帯津先生の講演を聴けなかったと残念に思っていましたが、その分、それをはるかに上回る喜びがあるものです。
帯津先生に巡り会えた、それだけで大きな喜びとなりました。
出版社はインターブックス、私の初めての著書『いろはにほへと』を出してくれたところであります。
インターブックスの松元社長は、円覚寺で学生の頃から坐禅をなされていた方であります。
有り難いご縁であります。
横田南嶺