人は変われる
こちらは円覚寺派の管長として参列いたしました。
新しい管長様は、岐阜県美濃加茂市伊深の正眼寺の山川宗玄老師でいらっしゃいます。
栗山監督との対談の折に、栗山監督が、はじめに川上哲治さんの話をなされました。
川上さんというと、巨人軍の監督として有名な方です。
王貞治さんや長嶋茂雄さんらを率いて読売ジャイアンツの監督として、「V9」(9年連続セ・リーグ優勝・日本一)を達成された方です。
その川上さんが、よく禅寺で坐禅していたことが知られています。
その坐禅に通っていたのが伊深の正眼寺僧堂で、当時の師家であった梶浦逸外老師に参禅されていたのでした。
栗山監督は、そんなことにもとても関心をお持ちでした。
栗山監督が、日本ハムの監督になられたときに、読んでもっとも参考になったというのが川上さんの最後の著書『遺言』だったと仰っていました。
その梶浦老師にもついて修行されて、正眼寺の老師になられた山川老師が、このたび妙心寺の管長に就任なされることをお伝えしました。
そんな山川老師の晋山式にお招きいただくのは光栄なことです。
その日の午後は、八幡市の円福寺僧堂に参りました。
円福寺の政道徳門老師とは懇意にしてもらっていて、私が取り組んでいるイス坐禅にご興味も持ってくださり、どのようにしてやるのかご下問になったことがありましので、今度お寺に参りましょうと約束していたのでした。
そこで妙心寺の儀式を終えて、その午後に参りました。
一時間ほど、いつものイス坐禅の要領をお伝えしました。
イスでどのように坐るか、イスで坐ることが、どうしたら坐禅になるのか、最近研究してきたことをお伝えしたのでした。
更に今年も多くの修行僧が入門してきたとのことだったので、更に一時間ほど股関節をほぐして坐禅をしやすくなるワークを行ってきました。
質疑応答もいれると三時間近くかかりました。
円福寺の僧堂にも政道老師を慕って、多くの修行僧達が集まっています。
みな熱心で、そして何か暖かな雰囲気がしていて、お参りしてもこちらが気持ちよくなります。
それから、政道老師が雲水の一人一人にお声をかけられる様子が、なんとも我が子に声をかけておられるかのごとき、慈愛が感じられました。
今の時代には、いろんな修行僧が入門してきます。
ここ最近の変化は大きなものです。
指導する方も今までのようなやり方では難しい状況が出てきます。
講習が終わった後も政道老師といろいろとお話させてもらいました。
やはり一人一人の修行僧に真摯に向き合っておられる老師のお姿に感銘を受けました。
いろいろ話してお互いに共通して思ったことは、「人は変われる」ということです。
いろんな修行僧がいて、今はたいへんだなと思うことがあっても、どこかで変わることがあるものです。
それを信じて、今難しいからといって指導する側があきらめてはいけないということであります。
これは栗山監督のご著書『信じ切る力』にも書かれています。
対談の折にも紹介した言葉にこんなのがあります。
「たくさんの選手に接してきたわかったことは、人は絶対に変われる、ということです。」
という言葉です。
これは、私が今年出版した『はじめての人に送る般若心経』でも、最も伝えたいことです。
「空」という空しく、寂しい感じがするかも知れませんが、これは固定した変わることのない実体はないということなので、逆をいうと、いかようにも変化しうるということでもあるのです。
今ダメだからといってずっとダメなままで続くとは限りません。
栗山監督の『信じ切る力』にも
「自信をなくしている選手は、今なくしているだけなのです。
もともとは自信を持っていたのです。
だから、それを思い起こさせるようにしていました。」
と書かれています。
失っていた自信をどう取り戻してもらうか、どう気づかせてあげるかが、指導する者の務めだと思っています。
何かをしてあげるといっても素晴らしいものを誰しも本来もって生まれています。
ただ気がついていないだけなのです。
これも『信じ切る力』には、こんな言葉があります。
「僕は、「監督は気づかせ屋さん」という表現をよくしていました。
本人は気づく。
でも、気づかされている感じではない。
実は監督はそう持っていくのだけれど、本人は自分で気づいたと思っている。これが、ベストな形です。」
ということです。
指導するということは、そんな気づかせ方ができるように日日修行するのだと思っています。
それからこんな言葉もありました。
「子どもの頃は、誰しも1000くらい、「これだけは誰にも負けたくない」というものを持っているのだと思います。
ところが、生きていくにつれ、年齢を重ねるにつれ、少しずつ捨てていってしまう。
そして大人になって、すべてを捨ててしまう人がいる。
でも、これだけは絶対に負けたくない、というプライドはとても大切です。
それがあるかどうかで、人生の伸びしろは変わる」ということです。
どんな人にも他の人には決してない素晴らしいものがある、それを信じてあげることがまず第一であります。
信じることは修行の大きな力になりますし、また信じてもらえることも力になるものです。
このことも対談で話したことでした。
『信じ切る力』にも栗山監督は「誰かが本当に自分のことを思ってくれていたり、信じてくれていたりすることが、いかに人に大きなパワーを与えることになるか。
ダメだった僕は、誰かに信じてほしかった。
信じて使ってほしいとずっと思っていました。
だからこそ、信じてもらえたことが、うれしかった。
ホッとしたし、安心したし、頑張れると思いました。」
と書かれています。
信じてくれているのだと気がつくことによっても人は変われるものです。
信じてあげたい、どんな修行僧に接してもそう思っています。
横田南嶺