ゆったり心を落ち着けるには
いつも第二日曜日に行うのですが、四月は第二日曜日の午後から講演が入っていたので、月の終わりになってしまいました。
今回の布薩では、礼拝を丁寧に行うことを意識してみました。
全体で、二十七回の礼拝を繰り返しますが、それを呼吸に合わせて行うようにしてみました。
基本的に、体を屈める、下に向くときには息を吐いてゆき、体を起す、起き上がるときに吸っていくのです。
これを一つ一つの動作に合わせて、息を吐いて、腰を折り曲げて、息を吸って起き上がり、息を吐いて頭を床につけ、吸いながら起き上がるというように行ったのでした。
そうしますと、よい効果が得られたようで、何度も参加されている方からもとても体も心も調ったという感想をいただきました。
二十代のお若い方で初めて参加された方もいらっしゃって、心が調ったという感想をいただきました。
戒の言葉を現代語訳で唱えながら、礼拝するので、言葉の意味を深く考えられたという感想もございました。
ホトカミの吉田亮さんと、ホトカミの方もご一緒にご参加してくださっていました。
その次の日は都内でイス坐禅の会でありました。
いつもは平日の六時半から八時半まで行っていますが、四月は私の予定がこんでしまって、平日に行う事ができなかったのでした。
そこで唯一空いていた二十九日のお昼一時半から三時半まで行ったのでした。
貸し会議室なのですが、平日だといろんな会議などがたくさん入って大勢の人が出入りしています。
ところが今回は連休中でもあって、会議などもほとんどなく閑散としていました。
大燈国師というお方は、京の四条五条の往来はげしい橋の上でも坐禅できないといけないと仰っていますが、多くの人が行き交う中でも静かに坐ることができないとならないのですが、やはり人間、静かな方が落ち着くものであります。
イス坐禅の会も昨年から始めてもう十一回になります。
毎回、あれこれと工夫してきました。
紙風船を使ったり、テニスボール、ゴルフボールを使ったり、ひもトレを行ってみたり、体を整える為に学んだことをあれこれとやってきました。
いろいろやってみて、イス坐禅の要領を四つにまとめることができました。
一、首と肩の調整
二、足の裏、足で踏む感覚
三、呼吸筋を調整
四、腰を立てる
この四つなのです。
今や多くの人はデスクワークが多かったり、スマートフォンを見たりで、首が前になり、肩も巻き肩になりがちであります。
このまま坐っても深い呼吸ができません。
そこでまず肩や首をほぐして、安定させるようにします。
それから、足で地面を押して立つ、そのために足の裏を刺激してゆきます。
そうして呼吸をするのは肺ですから肺を、上下、左右、前後ろとそれぞれ広げるように運動をします。
そうして、腰椎五番を立てる体操をして坐ると心地よく坐れるものです。
今回はタオルを使って、肩や首をほぐすようにしてみました。
それから白隠禅師が画に描かれている狐の手を使ったワークも試みてみました。
手の指と肩が連動しているところから、狐の手をして肩甲骨を動かすという体操を行ってみました。
これは肩甲骨がほぐれてよかったというお声をいただいたので、成功でした。
今回も五十分かけて体を調えて、十分坐るということになりました。
そのあと、三十分ほと話をしました。
今回は、臨済録にある
「道流、心法無形、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては論談し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。」という一節を取り上げました。
岩波文庫『臨済録』にある入矢先生の現代語訳では、
「心というものは形がなくて、しかも十方世界を貫いている。眼にはたらけば見、耳にはたらけば聞き、鼻にはたらけばかぎ、口にはたらけば話し、手にはたらけばつかまえ、足にはたらけば歩いたり走ったりするが、もともとこれも一心が六種の感覚器官を通してはたらくのだ。その一心が無であると徹見したならば、いかなる境界にあってもそのまま解脱だ。」となっています。
心というと、体の中におさまっているように思いがちですが、もっと広く大きいものです。
その広い心が仏心です。
朝比奈老師は、「人は佛心のなかに生まれ、佛心のなかに生き、佛心のなかで息をひきとるのだ。
生まれる前も佛心、生きているあいだも佛心、死んだ後も佛心、その尊い佛心とは一秒時も離れない」と仰っています。
その仏心に気がつくために坐禅をします。
「坐禅をするということは、人はそういう尊い心のあることを信じて、心を静かに統一して、心が落着くところに落着けば、自然に雑念妄想は遠のいてしまう。
狭い心もだんだん広くなり、ザワザワしていた心も落着き、暗い心も明るくなり、カサカサしていた心もうるおいが出てくる。」
と朝比奈老師は説かれていますが、そのようにゆったり心を落ち着けるのはいろんな条件を調えないといけません。
まず土台となるのは、戒に基づいた暮らしです。
その上で食事や睡眠を調えて、更に姿勢を調えます。
そんな短い話をして後半の坐禅では白隠禅師の内観の法と軟酥の法を実践しました。
先日平林寺の老師に教わった方法で行ってみました。
これがとてもよかったという感想をいただきました。
やはり昔から伝わっている方法は素晴らしいのです。
初めて参加したという方からは、腰が立つという感覚がよく分かりましたという感想もいただきました。
おちついてしっかり肺を広げて呼吸するイメージができ気持ちよく坐れたという感想もいただきました。
印象的だったのは、イス坐禅の会を終えて片付けをしていると、ある方が私に言ってくれた言葉です。
その方はご職業柄、移動の多い仕事らしく、腰痛などで苦労してたそうですが、イス坐禅の坐り方でとても移動が楽になったと、晴れやかなお顔で報告してくれたのでした。
その通り、長時間の移動でも腰が楽になるのです。
今回は円覚寺で修行して今やお寺の住職になっている方も参加されました。
上半身が柔らかくなると、呼吸が楽になり、重心が下がって心地よく坐れると感じたと感想をいただきました。
熱心な和尚様でいらっしゃいます。
イス坐禅も多くの方に弘めてゆきたいと改めて思いました。
ただ、いただいた感想の中には、布薩にしろ、イス坐禅にしろ、申し込もうと思ってもすぐに満席になるらしく、たいへんだという意見がありました。
これは頭の痛い問題であります。
なんとか工夫をしてみます。
横田南嶺