よき友を得ることは道のすべて
河野徹山老師が、妙心寺に歴住開堂なされ、その式典に参列するためであります。
開堂というのは、初めて正式に説法することを言います。
妙心寺の住持となって、法堂に上って説法をなされる儀式なのです。
住持となるといってもそれは形式的なもので、また大乗寺にお戻りになります。
ただ妙心寺の第七百十世という世代に入るのであります。
その開堂をなされた老師方が順番で妙心寺派の管長に就任されるようになっています。
私も、もう二十年ほど前に円覚寺でこの歴住開堂という儀式を務めて、円覚寺の第二百十八世という世代を嗣いだのでした。
それから後に管長に就任したのでした。
今日でいえば管長に就任する、ひとつの資格となっています。
河野老師とはもうかれこれ四十年のご縁をいただいています。
『円覚』平成二十七年の春彼岸号に河野老師のことを書いていますので、引用します。
「私には大学時代から共に坐禅していた友がいます。筑波大学には開学記念館の中に立派な坐禅堂があり、私も在学中サークル活動として坐禅をしていました。私の二年後輩に河野君という好青年がいて、私が卒業後は彼が坐禅会の中心となってくれました。
河野君は縁有って、埼玉県野火止の平林寺で出家して修行されました。私とは在学中も、更に鎌倉の円覚寺に来てからもずっとおつきあいをいただいていました。「無二の道友」であります。
平成二十年にその河野君が、なんと宇和島の大乗寺の僧堂の老師として御住職されることになりました。初めてお寺に入るという儀式の日に、私も鎌倉から随喜致しました
その時、初めて「ここが坂村真民先生の坐禅されたお寺だ」と感慨深く訪ねました。
平成二十二年に私は円覚寺本山の管長に就任し、同じ年に河野徹山老師は正式に寺の住持となる晋山式をあげられました。」
「今や河野老師は四国唯一の僧堂を守り、雲水の指導にあたっておられ、今日の老師方の中でも私の最も尊敬申し上げる方であります。
そんな老師と大学時代からご縁をいただいて、修行時代も折に触れてご教導いただいてきました。よき友に恵まれることの有り難さを思います。」
と書いています。
大乗寺にお入りになってからもう十六年も経ちます。
入寺なされてから、境内の整備に力を尽くされて、ようやく一通り完成して法要をいとなまれました。
やれやれという矢先、なんと西日本豪雨で大きな被害を受けられたのでした。
それでも根気よく復興なされて、このたびの慶事となったのでした。
誰よりも老大師ご自身感慨無量だったと思います。
また私も長年のおつきあいをいただいてきましたので、今回いろいろな事が思いおこされて感慨尽きざるものがありました。
前の日に花園会館で、老大師のお隣で食事をさせていただきました。
四国から大勢の和尚様方がお見えになっていて、お一人お一人に丁寧に挨拶されているお姿にも心打たれました。
もうすっかり四国の地に根を張られたのだと思いました。
老師のことを思うと、いつも思い出すお釈迦様の話があります。
お釈迦さまのお弟子の阿難尊者がある時にお釈迦さまに尋ねしました。
「よき友を持つということは、聖なる修行のすでに半ばを成就せるにひとしいと思いますが、いかがでありましょうか」と。
それに対してお釈迦さまは答えました。
「阿難よ、そうではない。よき友を持つということは、聖なる修行の半ばではなく、そのすべてである」と。
老大師は、私にとってはかけがえのない道の友であります。
開堂の式典は、とてもよいお天気で老大師のお人柄を思いました。
朝八時に、山門からお入りになるところからお迎えさせてもらったのでした。
山門で法語をお唱えしてお入りになります。
それから、仏殿で法語を唱え、妙心寺を守る土地の神様に法語を唱え、そして歴代の祖師に法語を唱えて礼拝されます。
そのあとに視篆という儀式があります。
これは新住持が入寺してその寺の印を受け取って見るという意味があります。
仏殿の中で古式に則って丁寧に行われていました。
私もふと二十年前に行ったことを思いおこしたりしていました。
この式典には、いつもお世話になっている小川隆先生も参列くださいました。
小川先生といつも共に研究しておられる張超先生もご一緒でありました。
張超先生は宋代の清規の研究をなさっておられて、この度の儀式をとても感慨深くご覧になっておられました。
古い書籍に書き残されていることが今も継承されていることに感銘を受けておられたようであります。
形骸化したものと言われば、それまででありますが、こういう古からの伝統を伝えるということも私たちの大事な勤めであります。
また守るべきものをしっかりと守り伝えているからこそ、それを基盤にして自由な活動も出来るものであります。
十時半から、法堂に於いて上堂の儀式が厳かに行われていました。
老大師は禅籍についても実に綿密に研究考証されていますので、丁寧な学識深いものでした。
それでいてお心がこもっていましたで、拝聴していると、四十年来の思い出の数々も相俟って感慨無量でありました。
私如きが、一応管長という肩書きがありますので、河野老師の開堂に、一番筆頭で参列させてもらったのでした。
なんとも有り難いご縁でありました。
横田南嶺