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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.02.03
今日の言葉

おかげさまで

おかげさまという言葉を私どもはよく使います。

一冊の本を作ると、しみじみとおかげさまと思います。

この度の『はじめての人におくる般若心経』を出版するにも実に多くの方のおかげさまでありました。

もちろんのこと、なんといっても一番おかげさまなのは、出版社の方々であります。

春秋社という出版社で、円覚寺では朝比奈宗源老師以来、お世話になっているのであります。

このたびの本でも大学で講義をしたものを文字に起して編集してくださるのであります。

そうして編集してもらったものを、私の方で校正してゆきます。

編集担当の方から、ここはわかりにくいとか、もっと説明を入れて欲しいとか、いろいろの要望をいただいて、加筆したり、訂正したり、または削除したりしてと作業を繰り返してゆきます。

今回は、特別に灰方るみさんという方に、カバーの絵も描いていただきました。

それから、本文中には、ふだんお世話になっている諸先方の言葉も引用させてもらっています。

これもおおきなおかげなのであります。

私の拙い表現では伝えきれないものを、先生方のお言葉を引用して説明させてもらっているのであります。

引用させていただいた先生方には、お礼の気持ちを込めて、本を謹呈させていただくのであります。

まずは毎月麟祥院で華厳の講義をしていただいている竹村牧男先生であります。

竹村先生の『般若心経を読みとく』(角川ソフィア文庫)は、とても素晴らしい本で、この本からは多くのことを学ばせてもらいました。

その本から、

「私たちがあると思っている「もの」、それは五感によってとらえられたものでしょう。

しかし五感という、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚というものを考えたとき、それは外のものを直接ありのままに写し取っているというより、脳がつくり出した映像を見ている等にすぎないのかもしれません。

見たり聞いたりが脳のはたらきのとき、見られたもの、聞かれたものは、脳によってつくり出されたものと考えられます。

そうすると、すべての経験は、ただ脳の作用のみで、すべての経験世界は、実は映像的世界、ヴァーチャル・リアリティなのだということになります。実はそこに本当の存在はない、本体なるものはないということになるでしょう。」

という言葉を引用させてもらっています。

竹村先生が「ヴァーチャル・リアリティ」という言葉をお使いになっていることが新鮮で、お若い方々にも伝わりやすいかと思ったのでした。

この言葉を引用したあとに、

「私たちは皆、バイアスといいますか、自分の都合のいいようにものを見ています。

そして、その見たり聞いたりしているものとは、脳の働きです。

ですから、見られたもの、聞かれたものは、実は脳によって作り出された影を見ているにすぎない、このような見方です。

ある人は「それは『マトリックス』ですね」と言いました。

そのような映画があるそうですね。

それはつまり、すべての経験はただ脳の作用のみである。

すべての経験世界は、実は映像的世界、ヴァーチャル・リアリティなのだ。そこに本当の存在はない。

本体なるものはないのだという考え方です。」

と解説しています。

それから竹村先生の本からはもうひとつ、

「空とは何かあるものにその自体・本体、それ自身としての永遠不滅の存在が無いことを言うのであって、その「何かあるもの」とは、結局、現象ということになってきます。

そのように一切の現象に本体がないこと、空というあり方にあることはつまり普遍的な真理であって、その空というあり方のことを、空性といいます。」(竹村牧男『般若心経を読み解く』角川ソフィア文庫)という言葉も引用しています。

この言葉を用いて、

「ですから、思うようにいかなくても、それは現象にすぎません。思うようにいかない私がずっとあり続けて苦しめられるということは、ないのです。」
と説いているのです。

それから小川隆先生のご著書も掲載させてもらっています。

『禅僧たちの生涯』という春秋社からの本です。

こちらは引用ではなくて、中国で「会昌の破仏」といって西暦八四四年頃、たくさんの寺が壊されてお坊さんたちは還俗をさせられたことがあったのですが、そのような迫害の中でも、禅僧たちはそれにくじけることなく、むしろ積極的に生きていたという話を書いたのですが、小川先生のご著書を参考にさせていただいたと著書名を掲載しているのであります。

そうして「なぜかというと、彼ら禅僧たちは何事にもこだわらないからです。壮麗な寺院の建築にもこだわらないのです。

大寺院・大僧院の奢侈にも一切頼る必要がありません。

立派なお寺を建てて、それを守るなどということに、禅宗のお坊さんはこだわるものを持たないのです。

彼らは実に、仏典にさえ依存する必要はないのです。これが禅宗の、よいか悪いか、よその宗派とは異なる、大きな特徴であろうかと思います。依りどころとする経典を持たないのです。

ただ縁に従って般若心経なり観音経なりを読んでいるというだけであって、それを自分の依りどころとして持つことはしないという教えですから、別段、経典が燃やされてしまっても、廃棄されたとしても、禅宗のお坊さんはそれにこだわることがないわけです。」

と書いています。

また須磨寺の小池陽人さんの本からも引用させてもらいました。

「人と比べて、どうして私はこんなこともできないのだろうと、自分を無価値に感じてしまうことはありませんか。

奈良の薬師寺の高僧・高田好胤先生は「空(くう)」を「偏らない心、こだわらない心、とらわれない心」と説きました。

人と比較して落ち込んでしまうときこそ、その3つの心を持つべき瞬間ではないかと思います。

「自分はこうでなくちゃいけない」と理想に押し潰されそうになったら、立ち止まって考えてみてください。

あなたの本当の価値は、人と比べて決まるものでしょうか。

「空」とは自分の物差しを疑い、自分にとって本当に大事なものを見つける旅でもあるのです。」

という言葉で、「小林弘幸・小池陽人監修『自律神経を整える 般若心経なぞり書き練習帖』扶桑社ムック」からの引用であります。

そして佐々木閑先生の本からも引用させてもらいました。

『法句経』二七九番にある「すべての存在に、自我なるものはない」(諸法無我)と智慧によって見る時、人は苦しみを厭い離れる。これが、人が清らかになる道である。」という言葉を佐々木先生の『ブッダ100の言葉』宝島社から引用しました。

そして佐々木の先生の「無明に支配されている人は、『諸行無常』が理解できず、そのために『自分= 自我』というものに対して誤った認識を持つ。『この世には自分という、不変の実体が存在している』という思い込みである。

そしてその思い込みを土台にして世界観を創作し、自分に都合のいいようにものを見る」という解説も掲載させてもらっています。

このようにお世話になった諸先生方には、出版された本をそれぞれ謹呈させていただきました。

それぞれの先生からは有り難いお言葉を頂戴しました。

実に一冊の本は多くのみなさまのおかげさまで出来ているのであります。

 
横田南嶺

おかげさまで

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