臘八を迎える
いよいよもう十二月となりました。
十二月のことを、師走といったり、極月とか臘月といったりしてます。
その中で臘月という言い方を禅門ではよくいたします。
そこで、「臘八」というと十二月八日のことをいうのであります。
「臘八」は『広辞苑』にも
(ロウハツとも。臘月8日の略)
釈尊成道の日とされる12月8日。
この日に行われる法会を成道会という。」
と解説されています。
この時に合わせて禅寺で修行するのが臘八摂心であります。
『広辞苑』にも「臘八接心」として
「禅寺で、12月1日から8日の朝まで釈尊成道を記念して坐禅すること。」と解説されているのです。
古来「坐禅は安楽の法門なり」と言われています。
たしかに千日回峰行のような命の危険に関わるような修行をするのではありません。
畳の上に坐っているだけなので、安全といえば安全なのです。
そうはいっても、お釈迦様が十二月八日の暁の明星を見て悟りを開かれたことにあやかって、修行道場では十二月一日から八日の明け方まで、坐禅修行に集中するのであります。
一日から八日までを一日と見なして、坐禅堂でひたすら坐禅に励むのであります。
大げさな表現ではありますが、「命取りの摂心」などと言ったりしています。
摂心というのは、心をおさめて修行することです。
臘八摂心にあたって、毎年必ず話をすることがあります。
そのひとつは慈明楚圓(九八六~一〇三九)禅師の逸話です。
楚圓禅師は、汾陽善昭(九四七~一〇二四)禅師のもとで修行していました。
汾陽禅師の名は厳令なる家風で鳴り響いていました。
とくに住していたのは汾州といって、山西省にあって寒さも厳しいのです。
とりわけ寒気厳しいときには、多くの僧は夜の坐禅を休んでいました。
しかし楚圓禅師は、一人夜通し坐って、眠気に襲われると、「古人刻苦光明必ず盛大なり(昔の人も皆激しい苦しみに耐えて大いに光り輝くものを得られた)」と唱えて、錐で自らの股を刺し目を覚まして坐ったという話です。
その結果大いに活躍される大禅僧になられたというのです。
もうひとつは、日本の臨済禅を代表する、江戸期の高僧白隠慧鶴(一六八五~一七六八)禅師の話です。
白隠禅師は、修行時代の一時、自らの進路に迷われたことがありました。
どの道をすすめば良いのか、迷って、神仏に祈りを捧げて一冊の書物を手にしました。
それが『禅関策進』という書物で、開いてみると、この慈明楚圓禅師の逸話が目に入ったのでした。
白隠禅師は、修行というのはこうでなければならぬと自らの肝に銘じました。
そして「古人刻苦、光明必ず盛大なり」という一語を胸に刻んで、日に三度はこの語を唱えては修行に励まれたというのです。
そうして後に歴史に名を残す高僧となられたのであります。
こんな二つの話を私自身も修行時代に老師方から幾たびも聞かされたものです。
今は毎年必ず修行僧達に語っています。
そのたびにまず自分自身が身の震えるような思いをしています。
何の苦労もなく大成した者などはいないのでしょう。
古人もみな刻苦されたのであり、その刻苦した分だけ光るものがあるのです。
一週間の摂心にあたって、いつも森信三先生の言葉も紹介しています。
『森信三一日一語』(致知出版社)に
「人間の真価を計る二つのめやす―。
一つは、その人の全知全能が、一瞬に、かつ一点にどれほどまで集中できるかということ。
もう一つは、睡眠を切りちぢめても精神力によって、どこまそれが乗り越えられるかということ」の一語であります。
山田無文老師は、その著『自己を見つめる』(禅文化研究所)のなかで、
「甘いものを食べすぎると虫歯になるように、甘い教育を受けて育った人間は、精神的に虫ばまれてしまいます。
禅宗で茶礼といってにがいお茶をいただくのも、厳しい修行に耐えるためです。
あのお茶のにがさによって睡気をさまし、精神を養って、禅僧は厳しい修行を積んでいくのです。
慈明和尚は腿に錐を刺して坐禅をされました。
白隠禅師も生命がけで修行なさいました。
むかしの祖師方は自我を殺し、悟りを開くために、みな難行苦行をしてこられたのであります。
「刻苦光明必ず盛大なり」――このことばを思って、甘い教育を受けんよう、ぜいたくな享楽を求めんよう、安易な安楽を願わんよう、厳しく自己を律していただきたいと思います。
苦しんで求め、苦しんで学び、苦しんで行じてこそ、立派な人間性が自覚されるのであります。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」と古人はいわれております。
山中鹿之助という戦国時代の武将は、三日月を拝んで、 「われに七難八苦を与えたまえ」と申しました。
そのように、自ら求めて試練に耐えていかなければ立派な人間にならん。」
と説かれています。
孔子は「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言われました。
朝真実の道を聞くことができたら、その日の晩に死んでもいいという意味です。
もう二十年も前のことになりますが、ある臘八の摂心で、「何もかもなげうって死さえもいとわないほどの価値ある宝が見つかったときにこそ、人はほんとうの意味で生きる」(『心の歌』より)というアントニー・デ・メロのことばを紹介したことがありました。
その時に聞いておられた八十を超えた老僧が、講座のあと、その言葉を紙に書いて欲しいと頼まれたことがありました。
人間いくつになっても発憤する心を忘れてはいけないと思いました。
「刻苦光明必ず盛大なり」ということばや、祖師方、老師方のことばを嚙みしめながら、今年も臘八の摂心に臨むのであります。
横田南嶺