禅は何を伝えたか?
ただ一人迦葉尊者だけがにっこりとほほ笑んだのでした。
そこでお釈迦さまは、「私に正法眼蔵、涅槃の妙なる心、実相無相、微妙なる法門がある、文字を立てず、教の外で別に伝えるものだ。それをいま、迦葉に托す」と仰ったのでした。
皆が黙り込でいるなか、ひとり微笑んだ迦葉尊者にたいして、お釈迦さまは仏法の核心を伝えると言ったのです。
この問題を取り上げて、『無門関』を編纂された無門慧開禅師は、
「黄色い顔の瞿曇は、傍若無人で、 良民を賤民に貶め、羊頭を懸げて狗肉を売っている。どれだけすごいことかと思ったら!」
と評しています。
傍若無人は、『史記』にある荊軻と高漸離の故事がもとになっています。
高漸離は「筑」という楽器の名手であり、高漸離はその楽器を鳴らし、荊軻はそれに合わせて歌い、騒ぎわめいた挙句、抱き合って泣き出したりしていたのでした。
その様子が、あたかも傍らに人無きが若しだったので、そこから「傍若無人」という言葉がつかわれるようになったのでした。
『広辞苑』には「人前を憚からずに勝手気ままにふるまうこと」と解説されています。
「良民を賤民に貶める」とは、本来はみな仏であるはずなのに、お釈迦さまが花を拈じたことによって、そのことを分らない人たちを迷いの衆生としてしまったことを言っています。
「羊頭を懸げて狗肉を売る」を『広辞苑』で調べると、
「羊頭狗肉」として載っていて、意味は「(羊の頭を看板に出しながら実際には狗の肉を売ることから)見かけが立派で実質がこれに伴わないこと」とあって、出典はなんと『無門関』になっています。
更に無門禅師は、
「もし全員が笑ったら、正法眼蔵をどう伝えたか。逆に迦葉すらも笑わなかったら、 正法眼蔵をどう伝えたか。
もしも正法眼蔵に伝授が有ると言うのであれば、それは黄色い顔のオヤジが人々をバカにしているのだ。さりとて伝授が無いのであれば、どうして迦葉だけを認めたのだろうか」
と言って、正法眼蔵の受け渡しが有るといっても無いといっても、おかしなことになってしまうと書かれています。
無門禅師の批評を朝比奈宗源老師は、『無門関提唱』の中で、
「無門は例によつて、釈尊のしたことをこきおろし、勝手な批評を下した。
禅宗ではこうしたことを弄すると云う、拈弄する、嘲弄するの意だろうが、もとより己我の意識や、我見我慢をもつてするのではない。
ほめるもそしるもすべて宗旨を明かにせんとする手段だ。」と示されています。
正法眼蔵の伝授があったのか、あったとしたら、それはどのような内容なのかを考察しましょう。
そこについては『臨済録』にある次の言葉が参考になります。
岩波文庫の『臨済録』から、入矢義高先生の現代語訳を参照します。
「問い、「初祖が西からやって来た意図は何ですか。」
師、「もし何かの意図があったとしたら、自分をさえ救うこともできぬ。」
「なんの意図もないのでしたら、どうして二祖は法を得たのですか。」
師、「得たというのは、得なかったということなのだ。」
「得なかったのでしたら、その得なかったということの意味は何でしょうか。」
師は言った、「君たちがあらゆるところへ求めまわる心を捨てきれぬから〔そんな質問をする〕のだ。
だから祖師も言った、『こらっ!立派な男が何をうろたえて、頭があるのにさらに頭を探しまわるのだ』と。
この一言に、君たちが自らの光を内に差し向けて、もう外に求めることをせず、自己の身心はそのまま祖仏と同じであると知って、即座に無事大安楽になることができたら、それが法を得たというものだ。」ということなのです。
得たというのは得なかったということ。
何も得ないということが、真に得たということになるのです。
臨済禅師の仰るように「自らの光を内に差し向けて、もう外に求めることをせず、自己の身心はそのまま祖仏と同じであると知って、即座に無事大安楽になることができたら、それが法を得たというものだ」なのであります。
自己の身心のはたらきがそのまま仏様祖師方のはたらきと同じであると気がついて、外に向かって求める心がおさまって、無事安楽になったのを法を得たと言っているのであります。
朝比奈老師の『無門関提唱』にある、老居士の話がおもしろいのです。
老師の坐禅会に長く通っていた医師の老居士がこんなことを言ったそうなのです。
「私は若い時、大石正巳氏や河野広中氏などの勧めでこの会に入り、大徹老師について修行をはじめたが、禅を学んでこれと云つて得たこともなかつたが、たゞ借金の言訳けが苦にならなくなって、大きに楽になったことを覚えている」というのです。
そういって笑っておられたというのであります。
朝比奈老師は、「勿論これは老居士の諧謔を好む云い方も加わっているが、有るを有るとし無いを無いとする。つくろったり見栄をはったりしない生活が分ったと云うことである。
払うべき借金が払えないのは先方にも迷惑をかけることで自慢にはならないが、そうかと云つて払えないものを徒らに苦にして、神経衰弱になったり頚をくくったりするも」愚かなことだと説かれています。
龐居士が説かれたように、
「日々の仕事はどうということもない
ただ自らにひょいとうまく運ぶだけ
何ひとつ選びもせねば捨てもせぬ
どこで何しょと禍ごと起きぬ」
((入矢義高『龐居士語録』筑摩書房、禅の語録七)
という境涯なのであります。
横田南嶺