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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.05.03
今日の言葉

「不生のひじり」盤珪

京都に禅文化研究所というのがあります。

花園大学の中にあります。

私もかれこれ十年ばかり理事を務めています。

その禅文化研究所から季刊『禅文化』というのが発行されています。

一年に四回出されています。

その二六八号ができあがりました。

今回の特集が、

「不生のひじり」盤珪

というのです。

毎号毎号内容は充実しているのですが、今号は特に充実した内容であります。

なんといっても私が敬慕してやまない盤珪禅師の特集なのであります。

目次をみると、

巻頭に「特別対談 現代における盤珪禅の意義」として、神戸市の祥福寺僧堂師家の岩村宗昂老師と私の対談であります。

それから「不生のひじりー盤珪の求道と説法」と題して、花園大学名誉教授の小林円照先生が執筆してくださっています。

そして「盤珪禅と心学」という題で、東洋大学名誉教授の古田公平先生がご執筆。

それから「純粋な日本禅の誕生」として、

「盤珪と公案について」細川晋輔老師、

「女性の仏心と盤珪」花園大学国際禅学研究所の瀧瀬尚純先生が書かれていて、

最後には、我が円覚寺の蓮沼直應先生が、

「鈴木大拙の禅思想と盤珪の不生禅」と題して執筆してくださっています。

もう一冊の本にしても良いくらいの充実の内容なのであります。

巻頭の対談では、盤珪禅師の教えについて、今までは既に白隠禅師に否定された過去の祖師として語られることが多かったのですが、今の時代に於いて、盤珪禅師の教えを見直そうと語りあっています。

岩村老師はとても聡明な老師であり、このような老師によって今の僧堂が指導なされていることには、とても頼もしく感じたものです。

かなり踏み込んだ内容について語り合っています。

小林円照先生は、盤珪禅師のご生涯とそのお説法の特徴をまとめてくださっています。

年譜も参考になるものです。

石門心学と盤珪禅師については私もほとんど知らないところなので、大いに勉強になりました。

盤珪禅師と公案について細川老師の考察も勉強になります。

盤珪禅師が実際にどんな公案を用いて指導されていたのか説かれています。

盤珪禅師は、不生の仏心には男女の別はないと明言された方です。

女性の仏心について瀧瀬先生が詳細に論じてくれています。

それから、現代に盤珪禅師に光を当ててくださったのは、なんといっても鈴木大拙先生です。

蓮沼先生が大拙の思想と盤珪禅師の不生禅について論じてくださっています。

そのほかにも連載の僧堂紹介が、平林寺の松竹寛山老師であります。

松竹老師は、只今禅文化研究所の理事長でもあります。

私も三〇年来のお付き合いをいただいています。

老師が如何に真摯に修行僧の指導に向き合っておられるかがよく分かる記事であります。

それから大乗寺の河野徹山老師が、「大道真源禅師小参」について提唱してくださっています。

連載ですが、今回は妙心寺の日峰禅師のことについて詳しく説いてくださっています。

ほかにも方広寺の安永祖堂老師の「碧巌録提唱」が始まったばかりです。

そして、いつもお世話になっている佐々木奘堂さんの連載もあるのです。

今回は、星野富弘さんの詩と坐禅について書いてくださっています。

全巻、充実の充実であります。

定期購読でなくても一冊だけでも購入できるものですので、ご関心のある方はどうぞ禅文化研究所に申し込んでくだされば幸いであります。

理事を務めているから申し上げるわけでもないのですが、是非ともお薦めなのであります。

表紙には、盤珪禅師の不生の二文字が輝きます。

巻頭にはその解説がございます。

解説は禅文化研究所発行の『盤珪禅師遺芳』から、加藤正俊先生の文章が引用されています。

その引用をそのままここに引用させてもらいます。

正保四年(一六四七)、禅師二十六歳の春、野中の庵にて一朝廓然として大悟された時のことを、ずっと後の元禄三年(一六九〇)、龍門寺の結制の際の法語の中で「おりふしにひょっと一切事は不生でととなふ」ことを悟ったと述べておられるが、しかし当時禅師はまだ「不生」という語は使っておられない。

禅師がいつ「不生」と言い出されたのかは明らかではないが、『玄旨軒眼目』には「前方身どもは久しい間、ここ、かしこにて閉開いたして、今時の衆生の機を観じて、何卒して一言で衆生の機にかなふやうにと存じて、それ故かくの如く思ひつきまして、不生の言を以て人に示しまして、余のことは白さぬ」
と見える。

ここに、ここかしこにての閉関とあることから察すれば、地蔵寺の閉関(寛文五年、一六六五、四十四歳)、ついで奥旨軒の閉関(寛文十年、一六七〇、四十九歳)中に、不生の語は禅師の胸中において自ら純熟して行ったものと思われる。

禅師が記録の上ではっきりと「不生」の語を述べられたのは、貞享四年(一六八七)、六十六歳のとき、光林寺結制中に示された「不生の偈」においてであるが、勿論これより以前、凡そ延宝年間には禅師は既にこの語を説き始めておられるものと思われる。」

と説かれています。

閉関というのは、門を閉ざして専一に坐禅修行することを言います。

不生について、『禅文化』に小林先生は、

「盤珪が、ころりと落ちた痰によって、あるいは梅の香をかいで、「一切のことはこれで調う」と悟った実体験が、「不生」と名付けられたのは、のちのことであろう。

その不生に到達するまでには、さらに長年の精進がなされたのである。

いずれにしても。取捨分別以前すなわち「はからいを超えた」親の産みつけたままの「不生」を盤珪は「仏心」と呼び、この不生の仏心を信じ、みずから決定(確信)し徹底して行けば、こと足りると自覚するに至るのである。

盤珪は次のように鏡のたとえで説明している。

鏡に物をうつせばうつる、のくれば(除けば)のく。

鏡は明らかな物なれば、うつりたるまま(映るまま)、うつりたる物をのけふとも、のけまいともいたさぬが、鏡の明らかな徳(すぐれたはたらき)でござる。

人々の心もその如く、目にさえぎり(眼の対象となる) 耳にさえぎる(聴覚の対象となる)ほどの物を、一念もなくして、おのずから見ること聞くことが明に通ずるが仏心の徳(活き活きとした現れ)としるまでござる。

信心の深きを如来(仏陀)といいまする。
(『説法』後編六六)

このように明徳とは、ほんらい不生のはたらきに他ならないと説明している。」

というのであります。

盤珪禅師のお説法は読んでいるだけで、禅師ご自身が親しく語りかけてくださっているようで、なんとも有り難いものです。

禅文化二六八号『「不生のひじり」盤珪』是非ともお薦めします。

 
横田南嶺
 

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