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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.02.03
今日の言葉

朗読発表会

一月末の日曜日に、NPO法人かまくら寺子屋の朗読発表会が円覚寺で開催されました。

これもコロナ禍の影響で三年ぶりの開催となりました。

かまくら寺子屋の活動のひとつに、子どもたちの朗読があります。

円覚寺の山内のお寺をつかって、子どもたちは朗読の練習を続けていて、その発表会が毎年一月に円覚寺本山で開催されています。

私も毎年参加しています。

この朗読発表会に初めて参加した時に、坂村真民先生の詩を朗読して、そこに講師として招かれていた幸田弘子先生からお褒めの言葉を頂戴したのが、私が朗読を始めるきっかけでありました。

幸田先生も毎年、この朗読発表会にお越しくださっていて、いつも素晴らしい朗読を披露してくださっていました。

残念なことに、幸田先生は令和二年十一月にお亡くなりになってしまいました。

今は中里貴子先生が、朗読を披露してくださっています。

発表会では、はじめに皆で般若心経をおとなえします。

子どもたちも般若心経にすっかりなじんでくださっている様子です。

これだけでも有り難いことです。

それから私が、挨拶として十五分のお時間をいただいていましたので、まずはじめに新しい絵本『パンダはどこにいる?』を朗読しました。

十二月に傳宗庵で朗読の稽古をした折にも一度披露したものでした。

これは自分が書いたものですから、お手の物ですし、ほんの数分で読み終えます。

それから新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』を朗読しました。

でんでん虫が、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付いたという話です。

でんでん虫は、友達を訪ね、自分の背中の殻には悲しみが一杯で、もう生きていけないのではないか、と語ります。

友達のでんでん虫は、あなただけではありません、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっているのですと答えます。

でんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて同じことを言うのですが、どの友達からも同じ答えがかえってきたのでした。

そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。

最後には、

「とうとう、はじめのでんでん虫は気がつきました。

「悲しみは、誰でも持っているのだ。

わたしばかりではないのだ。

わたしは、わたしの悲しみをこらえて行かなきゃならない」

そして、このでんでん虫はもう、嘆(なげ)くのをやめたのであります。」

という文章があるのです。

そのあと、朗読の発表が四つございました。

新美南吉の『狐』、宮沢賢治の『よだかの星』、メーテルリンクの『青い鳥』、そして大井三重子の『めもあある美術館』の四作品の朗読がありました。

朗読は、小さなお子様から大人まで、五人から八人で行われています。

子どもが朗読されるのが、素晴らしいのであります。

何度も何度も練習を重ねて皆の前で緊張しながらも大きな声で朗読されていました。

心に響くとは、こういうことを言うのだと思いました。

そしてそのあと、池田雅之先生が小泉八雲の『日本の面影』から鎌倉大仏について書かれたところを朗読してくださいました。

池田先生は、『日本の面影』を訳されたご本人でもいらっしゃいます。

素晴らしい訳文を先生ご自身が読んでくださるのですから贅沢な朗読です。

先生ご自身冒頭で「私のは朗読ではなく、棒読みです」と謙遜されていましたが、素晴らしいものでありました。

そして最後に中里貴子先生が、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を朗読してくださいました。

もうこれぞ朗読と言わんばかりの、朗読の王道を披露してくださいました。

張りのある澄んだお声、はっきりとした聞き取りやすい発音、感情もこもった間の取り方、どれも大いに学ぶところがあります。

深い感動に包まれて『蜘蛛の糸』の朗読が終わったと思ったら、その蜘蛛の糸のあとの話が始まって驚きました。

まず蜘蛛の糸の話のあらましを述べます。

お釈迦様が、ある日極楽の蓮池のほとりを散歩していました。

はるか下には地獄があって、犍陀多(かんだた)という男が苦しんでいました。

犍陀多は生前、多くの凶悪な罪を犯していたのでした。

お釈迦様がご覧になると、そんな犍陀多でも一度だけ良いことをしていたことが分かりました。

それは道ばたの小さな蜘蛛の命を思いやり、踏み殺さずに助けてやったことでした。

お釈迦様は彼を地獄から救い出してやろうと思って、地獄に向かって蜘蛛の糸を垂らしました。

犍陀多が顔を上げると、一筋の糸がするすると垂れてきました。

これで地獄から抜け出せると思って、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸命に上へとのぼりました。

のぼっていた犍陀多は糸の途中にぶらさがって下を見ました。

すると多くの罪人が、蜘蛛の糸にしがみついて上ろうとしています。

このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考えた犍陀多は、「こら、この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下りろ」と大声で叫びました。

すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がぶらさがっているところからぷつりと切れてしまい、彼は罪人たちといっしょに地獄へと、まっさかさまに落ちてしまいました。

この一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池を立ち去ったという話であります。

これで終わるとなんだか悲しい話なのです。

このあと、お釈迦さまは犍陀多のことを、自分ばかりが地獄からぬけだそうとする無慈悲な者と思うだけで、このまま犍陀多をあきらめてしまったら、この私が、最も無慈悲な心を持っていることになると思って、更に何度も何度も蜘蛛の糸を垂らし続けたというのです。

しかし、何度も何度も蜘蛛の糸にすがって登ろうとするのですが、下から地獄の罪人たちがまたあがってきますので、大声を出してしまい、糸が切れてしまいます。

そんなことを何度も繰り返しているうちに、ようやく犍陀多も、自分だけ救われようと思って大声を出すから糸が切れることを学んで、この糸はみんなのものだ、みんなで登ろうと声をかけることにしたというのです。

そうして犍陀多も無事に糸を登って極楽に行けたかと思いきや、なんと犍陀多は今も地獄にいるというのです。

どうしてかというと、地獄には数え切れないほどの罪人がいます。

犍陀多は
「さあ上がれ上がれ」
「決して、おれの糸だと叫ぶなよ」
「迷わず、信じて上るんだよ」と皆のお尻を持ち上げていたのです。

そうして今も地獄で皆を励まして糸に登らせているという話なのでした。

この話は私も初めて聞きましたので、朗読会のあとで中里先生にどこにある話かうかがったところ、知人の和尚から聞いたということでありました。

その和尚様の創作なのだそうですが、とてもいいお話でした。

朗読の感動とともに素晴らしい慈悲の心を学んだのでした。

 
横田南嶺

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