身近な宗教
一月十一日にも、「共同体の中の宗教」という題で書かれていました。
先週は、「外は、良寛。」という題で、やはり江戸時代の宗教について書いてくださっていたのでした。
そこでは、「かつての日本人にとって、寺はごく身近にあった。貧困という事情や、将来に不安な要素を持っている子供が僧堂に入るのは珍しいことではなかった。」と書かれていました。
昨年の八月にも、
「とんだ霊宝」と題して、
「江戸時代の庶民は宗教を遊んだ。
両国広小路に「とんだ霊宝」という見せ物が出ると、多くの庶民が押しかけて「よくできてる!」と感心しては帰って行った。」
と書かれていたのでした。
今回も田中先生は、記事のはじめに「江戸時代の方がはるかに、宗教は人の身近にあった。」と書かれています。
がしかしです。
そのあとに田中先生は、
「しかし宗教団体に寄進して生活が立ち行かなくなるような事件が次々と起こる、などということはなかった。」と書いています。
たしかにこのところ宗教の問題が大きく取り上げられています。
先日も異なる宗教にも尊敬をと書きましたが、人を救う宗教とは言えないような教団もあるようであります。
田中先生も「なぜ現代社会では、信仰がまるでギャンブル依存症のような症状を来すのか?」と疑問を呈しています。
そういう宗教団体に問題があるのは当然ですが、それにのめり込んでしまう方も問題なのです。
それはなぜなのかという問いです。
田中先生は、
「一つ思い当たることがある。
それは近代における共同体の崩壊である。
中世の仏教はその広がりの中で、村に「講」を作っていった。」と書かれています。
この「講」というのは、どういうことかというと、『広辞苑』には、
「①仏典を講義する法会。最勝王講・法華八講など。
②仏・菩薩・祖師などの徳を讃嘆する法会。
③神仏を祭り、または参詣する同行者で組織する団体。二十三夜講・伊勢講・稲荷講・大師講の類。
④一種の金融組合または相互扶助組織。」
と書かれています。
中世において村に作られていた「講」というのは、この3番の「神仏を祭り、または参詣する同行者で組織する団体。」のことでしょう。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「本来は仏典を講説する僧衆の集会を意味したが、転じて信仰行事とそれを担う集団をさし、さらに転じて共通の利益のための世俗的な行事とその集団をさすのに用いられる。
7世紀にすでに最勝講会(最勝会(さいしょうえ))、仁王講会(仁王会(にんのうえ))、法華講会(法華会)など仏典講究の集会の例があるが、9世紀に入ると法華経の読誦が流行して法華八講が広まり、法会に<講>の名称を付ける風が一般化した。」
と書かれています。
そしていくつかの「信仰集団としての講」として解説がある中で、
「信仰対象ゆかりの地域内の寺院・仏堂・神祠を活動拠点とする観音講・薬師講・地蔵講・天神講など。
しばしば地域の性別年齢集団に担われ、また死者供養の念仏を唱和するための念仏講や無常講のように、近隣互助の宗教的側面を担当するものもある。」
と書かれているものです。
田中先生も「のちに単なる集まりの場になっていくが、念仏講として残っているところも少なくない。」と書かれています。
円覚寺においても薬師講や、舍利講などが残っているのです。
修行道場の修行僧を支援する方の集まりを育英講と言っています。
そして記事には、
「さらに江戸時代には檀家(だんか)制度が作られ、寺は住民を掌握するとともに葬祭供養を担った。
寺は共同体とともにあったのである。」と指摘されています。
「そうすると、個々人が寺とどう関わっているかは、他の人々の目にも触れることになる」というのです。
「そういう環境では、まず孤独から宗教に熱狂する人は少ない」というのであります。
残念ながら、現代の社会では、このような地域の共同体が失われてきています。
それが寺離れの原因のひとつであれば、お寺だけが頑張っても難しいものであります。
また新たな共同体を作ってゆく必要も出てきます。
しかしながら、考えてみると、仏教においては、仏法僧の三宝を大事にして、それを拠り所として来ました。
その「僧」というのは、お坊さん個人を指すのではなく、「サンガ」といって元来は僧侶と在家信者の共同体だったのです。
男性の出家僧、女性の出家僧と、男性の信者と女性の信者という四つの集まりから成り立っていたのでした。
出家も在家も共に仏教を学ぶという新たなサンガが必要となってきます。
そんな構想をもとに、円覚寺では出家も在家も共に修行する道場を建築し始めているところなのです。
長年かけて構想をねってきて、ようやく工事にとりかかれるところまで参りました。
宗教は怖がって遠ざけるよりも、よく学んで身近にある方がよろしいかと思うのです。
それと、おかしいな、どうもよくないなと感じたら、避ける、あるいは離れるという判断も大切であります。
横田南嶺