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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.01
今日の言葉

臘八を迎えて

十二月一日であります。

十二月のことを臘月とも申します。

またほかにも極月とか、師走という言い方もございます。

師走の語源には諸説あるようです。

よく知られているのが、師は僧をさして、お坊さんが忙しく走りまわる月だというのであります。

果たしてこれが本当かどうか、よく分かりません。

ただやはり十二月が忙しいのは確かであります。

「看よ看よ臘月尽く」という禅語があります。

これは香林禅師の問答に出てきます。

『虚堂録』から引用しますと

香林因みに僧問う、萬頃の荒田、是れ誰が主と為る。

林云く 看よ看よ臘月盡く。

というものであります。

萬頃の頃というのは、百畝、宋代では約5.7ヘクタールです。

萬頃で、広大な田地を言います。

荒田というのは、誰も耕すことのない荒れた田のことを言います。

誰も耕すこともない荒れた田、誰が主宰となるのかという意味です。

それに対して香林禅師は、

「看よ、看よ、臘月尽く」と答えました。

見ている間に十二月も過ぎてゆくぞということです。

実にそのとおり、見ている間に、過ぎてゆくのです。

だからしっかり修行しなさいというのです。

また「臘月三十日」というと、臨終を意味します。

『禅関策進』のなかに黄檗禅師の示衆として

「あらかじめもし打不徹ならば、臘月三十日到来、汝が熱乱を管取せん」という言葉があります。

死の問題について、あらかじめはっきりさせておかないと、いよいよ臨終の時になってうろたえてしまうことが請け合いだという意味です。

それから、この臘月八日のことを臘八と申します。

臘八は、『広辞苑』にも

仏教語として臘月8日の略、釈尊成道の日とされる12月8日。この日に行われる法会を成道会という。

と書かれています。

ほかにも「臘八接心」も載っていて、これは

「禅寺で、12月1日から8日の朝まで釈尊成道を記念して坐禅すること」と解説されています。

ほかに「臘八粥」というのもあって、こちらは

「(臘月8日に仏前に供えたからいう)温糟粥(うんぞうがゆ)の別称。」というのであります。

こうなりますと、「温糟粥」が気になって調べますと「紅糟粥」という表現もあって、

「釈尊成道の日とされる12月8日の晩、禅宗の寺で用いる、味噌と酒粕を加えて煮た粥。臘八粥。」

と解説されています。

「紅糟」というのは、宋代に於いては「甘酒」のことだという説もあります。

だとすると、今でも臘八の摂心で甘酒をいただくのは、ずいぶん古くからの習慣だと言えます。

こういうことは、近年花園大学の小川太龍先生の研究によって明らかになったことです。

臘八については、近年いろいろと研究が進んできました。

もともとは、臘八長座といって、十二月七日晩から八日まで徹夜で坐禅をすることを言いました。

それが、いつ頃からか、一日から八日の朝まで一週間坐禅をするようになったのでした。

古くは十五世紀後半に記録があり、日本に定着するのは、十七世紀の後半頃だというのであります。

これも花園大学の小川太龍先生が、研究して教えてくださったものです。

こういうことが分かってくると、あの盤珪禅師の仰せになったことがよく理解できます。

盤珪禅師が十二月の一日にお説法なされて、諸方では今日から定座といって、特別に坐禅をするようだけれども、自分のところでは諸方で行っているように今日から定座ということはしないというのです。

それは「格別にあがきつとむる事はござらぬ」と言うのです。

しかも、そのあとに坐禅中に居眠りする僧がいて、それを棒で叩く僧がいると、盤珪禅師は眠った僧を叱ったでのはなく、その僧を叩いた方を叱ったというのです。

心地よく眠っている者をなぜ叩くのかと言ったのです。

眠れば仏心が他のものに変わってしまうというのかというのです。

眠れば仏心で眠り、覚めたら仏心で覚めるだけのことで、仏心が別のものになるということはないというのです。

今の禅の道場から見れば極めて異例のようです。

十二月になると臘八摂心をするのがあたりまえ、眠っている者がいれば警策という棒で叩くのがあたりまえと今では思われています。

しかし、この頃は研究が進んできて、眠る僧を叩くという「警策」という棒も、禅の歴史では古くからあるものではなく、江戸時代に当時の明の国から入ってきたというのです。

ですから、盤珪禅師が説かれることは特別に変わったことではなかったのです。

もともと警策で打つというようなことはなかったのに、最近眠った僧を打つようなことがあって、そのようなことは必要ないと言われて、本来のあり方を示したとも言えましょう。

ともあれ、ただいまは十二月の一日から八日まで一週間を坐禅修行に専念するのであります。

盤珪禅師は、わざわざあがきつとめるようなことは必要ないと仰せになっていますが、みんなでこうして一つの行に打ち込むと、連帯感が芽生えますし、やり終えると達成感もあるものです。

こういう修行によってただいまの臨済宗は成り立っているとも言えます。

私などももう三十数年も行ってきています。

修行の始めのころは、毎年臘八になると、たいへんだと思っていました。

しかし二十年くらいやっていると、有り難いと思うようになってきました。

なんとなれば、世間では「師走」と言われるほど、忙しくはたらきまわるような時に、一週間も坐禅に集中できるというのは実に有り難いことなのです。

そんな気持ちでこれから一週間を坐禅に勤めています。

ただ気をつけないといけないのは、厳しい修行をしたからといって決して自慢してはならないということです。

こんな修行をしたんだと自慢するようになっては、何をしてるのか分かりません。

自我が増長してしまうだけであります。

どこまでも有り難いという謙虚な気持ちで、勤めることが肝要であります。

 
横田南嶺

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