ひとつひとつ – しはじめのしおさめ –
修行していた頃は、臨済宗の修行では、禅問答を行いますので、ひとつの公案が終われば、また次の公案、また次の公案と取り組むうちに、二十年もの歳月が過ぎてしまったのでした。
その禅問答が終わって、これで解放されるのかと思ったところ、今度は修行僧たちの指導をする立場になってまた禅問答を繰り返しているのであります。
そんな中でただ一人だけ、高校時代の同級生で毎年柿を送ってくださる方がいます。
彼は、いつの頃であったか定かではありませんが、勤めていた会社を辞めて柿を作るようになっていました。
毎年秋になると、一年かけて丹精こめて作った柿を送ってくれるのであります。
今年もその柿を送ってくれました。
短い手紙も添えられています。
いつもお礼には、その年に出した本を送ってあげているのであります。
もう何十年も会わぬのに律儀に柿を送ってくれる友を有り難いと思います。
毎年のことながら、その立派な柿を眺めながら、彼は偉いなとしみじみ思いました。
一年掛けて、春夏秋冬、お世話をしてこんな立派な柿を作っているのはたいへんなことです。
いろんな苦労があったろうと思います。
それに比べて、自分はいったい何をしているのだろうかとふと考えていました。
この頃は、こうして毎日短い話を配信していますが、これとてしょせんは、機械の音声で静寂を破っているだけのことではないかと。
気がつけばたくさんの本を出版しましたものの、それとて、しょせんは紙の資源を無駄にしただけのことかもしれません。
修行道場の指導に携わって二十数年、大勢の修行僧をお世話してきましたが、これとて、若い修行僧たちの純粋な心をかえって、汚れさせただけかもしれません。
昔の高名な禅の老師が、お亡くなりになる前に、大きな罪作りをしたと言ったことを思い出しました。
はじめは、ご立派な老師が、いったい何の罪を作ったというのか、よく理解出来ませんでしたが、今となってはしみじみとその気持ちがわかるのであります。
かの西田幾多郎先生は、ご自身のご生涯を顧みて
「回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。
その前半は黒板を前にして坐した。
その後半は黒板を後にして立った。
黒板に向かって一回転をなしたと云へば、 それで私の伝記は尽きるのである。」
と言ったというのはよく知られています。
それにならえば、私なども禅問答を四十数年行って来て、はじめは床の間の柱を背にして坐る老師に向かって、問答に挑んできました。
後半生は、その床柱を背にして坐って禅問答を受けてきました。
自分の今までやったことというのは、床の間の柱の前でぐるっと一回転しただけのことであります。
そんなことを考えていたところに、須磨寺の小池陽人さんが、ユーチューブでミヒャエル・エンデの『モモ』について法話をなさっているのを拝聴することができました。
物語の中に登場する床屋のフージーさんがこんなことを思ったというのです。
「おれの人生はこうしてすぎていくのか。」
フージー氏は考えました。
「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。
おれはいったい生きていてなんになった?
死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。」
というのであります。
『モモ』では、そんなことを考えているフージーさんのもとに、灰色の紳士が現われるのです。
紳士は、時間貯蓄銀行から来たというのです。
時間ドロボーなのです。
灰色の紳士は言いました。
「いいですか、 フージーさん。あなたははさみと、おしゃべりと、せっけんのあわとに、あなたの人生を浪費しておいでだ。
死んでしまえば、まるであなたなんかもともといなかったとでもいうように、みんなにわすれられてしまう。
もしもちゃんとしたくらしをする時間のゆとりがあったら、いまとはぜんぜんちがう人間になっていたでしょうにね。
ようするにあなたがひつようとしているのは、時間だ。そうでしょう?」
そこで無駄を省くように言われるのですが、時間を省いたつもりでも、それは全部時間ドロボーに持ってゆかれて、何も余裕がなくなって、いらいらして怒りっぽくなり、ゆううつそうになったというのです。
それに対して、ベッポという掃除をしているおじいさんの言葉を紹介されていました。
長い道路掃除をするときのことです。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?
つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。
いつもただつぎのことだけをな。」
またひと休みして、考えこみ、それから、
「するとたのしくなってくる。
これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。
こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
そしてまたまた長い休みをとってから、
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。
どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」
というのであります。
この一歩一歩だけを考えて生きるというのは、禅でいう「歩歩是れ道場」に通じます。
佐々木奘堂さんが、『妙好人 物種吉兵衛物語』という本を送ってくださいました。
妙好人と言われた吉兵衛さんの言葉を集めたものです。
吉兵衛さんが晩年のこと、奥様が病気で寝込んでしまうようになってしまい、二百日もの間そばを離れずに介抱されていたという話です。
仲間の者が、長い看病でさぞお疲れでしょうというと、吉兵衛さんは、
「私は疲れということは知らぬワヤ。
この襁褓いっぺんいっぺん為始めのし納めや。
もういっぺんし直しということないノヤ」
と言われたといいます。
おむつを取り替えるのに一回、一回、初めて行い、一回一回それで最後だというのです。
もう一回続けてやるとは思っていないのです。
この一回一回という思いが大事なのです。
フージーさんが
「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。」
という考えは悪くはないのです。
「死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。」というのも真実であります。
しかし、それは決してむなしいことだと私は思わないのです。
私も毎日の配信、毎日の禅問答、そのひとつひとつを決してむなしいとは思わないのです。
それだけの人生だと言われても、それだけの人生に誇りをもっています。
はさみでチョキチョキ切る、その営みのひとつひとつが一回切りの輝きがあるのです。
おしゃべりのひとときひとときが、かけがえのない光なのです。
忘れ去られるかも知れませんが、そのひとときひとときが輝ける人生なのです。
私も毎日の配信、手紙の返事を書く、修行僧と禅問答をする、それだけの営みでありますが、そのひとつひとつが、輝けるものだという喜びがあるのです。
それには吉兵衛さんの言うように、ひとつ、ひとつ、しはじめのしおさめという気持ちを持ちたいものです。
小池さんも「むなしさを感じたら、今ここに意識をもどすことを意識してはいかがでしょうか」と語ってくださっていました。
さて気がついたら、もう十月も今日で終わりであります。
ひとつひとつのことに心こめてまいりましょう。
柿のひとつひとつを眺めながら思ったところです。
横田南嶺