慈悲とは理解
相手のことを理解してあげるというのが大事なことなのであります。
仏教は智慧と慈悲の教えであります。
このことをもっと平たく言うと、知ることと愛することなのです。
相手のことを知って、知ることによって愛情が起こってきます。
これこそが慈悲であります。
ただ禅の教えでは、慈悲というのをどのようにして起こすのかについて、決して教えたりはしません。
ただ無になれというだけなのです。
無になってどうして慈悲が出てくるのかというと、
妙心寺の管長も務められた西片担雪老師は、その著『無門関提唱』の中で、
「…趙州は無と答えた。「何も思わぬは仏の稽古なり」何も思わぬ、つまりは無心なるのは仏様の稽古じゃと。
その仏心とはすべてを包み込む大きな慈悲心。
みなはわけも分からず「無」「無」言うておる。
馬鹿みたいに「無」「無」と言うておるけれどもじゃ、すべてを包み込みすべてを救う大慈悲心。これが無である。」
と明確に説かれています。
無になることは、同時に慈悲の心に満たされることでもあります。
こういうことを直感的に体感するのが禅の修行であります。
しかしながら、禅の修行は、往々にして独りよがりになりがちでもあります。
他者との関わりを絶って孤高になりがちな一面もあります。
長らく厳しい修行をしますので、自分は修行したのだという自意識が強くなってしまう傾向も否めません。
本当に修行を徹底すれば、完全円満なる慈悲の存在になるはずなのですが、実際には、独りよがりの場合が多かったり、他者への理解が乏しい場合が多いものです。
先日修行僧達と共にコネクション・プラクティスというのを学びました。
いつもYouTubeラジオ「そうだ、老師に聞いてみよう」で、聞き役をしてくださっている木村素子さんが、このコネクション・プラクティスを学んで弘めているというので、教わったのであります。
講義でいただいた資料によれば、
「「コネクション・プラクティス」は、「平和の国」 コスタリカの国連平和大学で教鞭をとっていたリタ・マリー・ジョンソンが開発し、 コスタリカの学校教育にも取り入れられている平和な心と温かな関係性を育むスキルです。」というものです。
それは「非暴力コミュニケーション (Non-Violent Communication, NVC)による「共感」と最新の心臓神経学によるハート脳コヒーランスの「洞察」を組み合わせたシンプルで効果的な、心と関係性が整うプラクティスです。」というものであります。
私たちは、普段外界の刺激に対してとっさに反応してしまいます。
恐ろしいものだと感じると、とっさに逃げようとします。
こういう脳のはたらきは、は虫類脳のはたらきで、生きるための防衛本能でもあります。
考えるより先に行動してしまうのです。
「刺激と反応の間には、空間があります。
その空間には、私たちが反応を選択する力があります。
私たちの反応の中に、成長と自由があります。」
とは、ヴィクトール・フランクルの言葉であります。
こんな言葉を紹介してくださり、講義は始まりました。
「判断したり、評価したりするかわりに、観察したこと、感じたこと、大事にしたいニーズが何かを明確にすることに意識を向けると、私たちは人間の慈愛・思いやりの深さを発見ことができる。」
というのであります。
これは、マーシャル・ローゼンバーグの言葉です。
マーシャル・ローゼンバーグという方は、アメリカの心理学者であり、非暴力コミュニケーションを開発された方です。
非暴力コミュニケーションというのはNVCともいって、「コミュニケーションにおいて相手とのつながりを持ち続けながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーションの方法」であります。
私は今回こういう言葉を初めて知ったのですが、かなり今注目されていることなのであります。
コネクション・プラクティスはこの非暴力コミュニケーションとコヒーランスとを組み合わせたものです。
まずは観察から始まります。
ポジティブであれ、ネガティブであれ、その感情が起こるきっかけとなった出来事について判断を加えずに表現します。
次にその時の感情はどんなものかを観察します。
この感情がどんなものであるかについては、あらかじめ五十近い感情が言葉で用意されているのです。
「こわい・恐怖」「絶望している・必死」「喜びに溢れている」「怒っている」「がっかりしている・失望」などであります。
それらの中から選ぶことができます。
そうしてそのような様々な感情が起こるのは、何らかにニーズが満たされているからか、満たされていないから起きるというのです。
そこで何を望んでいるのか、必要としているのかを考察します。
こちらのニーズも五十近い言葉が用意されています。
「受け入れること」「配慮・思いやり」「価値の承認・感謝」などであります。
これらをまず自分について観察します。
自分がどんな感情だったのか、それは何が満たされていないのか、何が満たされているからなのを言葉を選ぶのです。
こうして感情を言語化しようとすると、無意識に反応してしまう脳のはたらきが沈静化して、脳の中でも人が最も発達している前頭葉が活性化するというのです。
すると冷静に判断ができるようになるのです。
それから相手に対しても、どんな感情なのか、何が満たされていないのか、何を必要としているのかを考察します。
そうすることによって、単に敵対していた相手に対して理解が深まり、思いやりの心が育まれるのです。
そこで更にコヒーランスを実践します。
これは心臓呼吸とも言われるもので、長年ストレスの研究をしてきたハートマス研究所が推奨しているメンタルトレーニング法のひとつです。
これは科学的な実験によって効果が検証されていること、簡単であること、短時間で習得できるのです。
今日、企業、病院、学校、スポーツ分野などで幅広く使われているそうなのです。
私も今回初めて知りました。
実践は難しくないのです。
まずはじめに両手を胸に当てて、心臓の鼓動を感じます。
そうして頭にある意識を下におろして心臓に集中します。
そしてまるで心臓が呼吸しているかのようにゆったりと呼吸をします。
心臓に意識を置いたまま、感謝できる対象を思い浮かべるのです。
そんな状態で今何を知る必要があるか洞察するというものなのです。
こういうことをお互いにグループに分かれて、最近あったことなどについて、それぞれどんな感情を抱いたのか、お互いに考察するのです。
そして何が満たされていなかったのかを考え合います。
そのことによってお互いに理解がされて、怒りなどの感情がおさまって、おもいやりの心が育まれるのであります。
まさに知ることによって、愛が生まれるということを実践するものであります。
私たちの坐禅の修行では、丹田という下腹部を中心にして、呼吸したりしますが、心臓というのも興味深いものであります。
古来どの宗教でも、胸のあたりで手を組んだり合わせたり、手を当てているのであります。
感情を波立たせずに調えるには効果的な方法だと思いました。
コスタリカで出来たというコネクション・プラクティスは、感情を静め、お互いを理解することによって慈悲の心を育むものだと学ぶことができました。
修行僧達は、狭い環境の中で過ごしますので、お互いの人間関係では苦労する一面もあります。
そこで、こういうことを学ぶのも大事だと感じたものです。
また将来お寺に入ってからもきっと役に立つと思いました。
横田南嶺