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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.06.27
今日の言葉

心の中に大事なものがあれば

達磨大師という方は不思議な方であります。

仏教の祖師の中でも達磨大師ほど、よく知られた方はいません。

「だるま」といえば、子どもでも知っているのです。

ずいぶん以前のことですが、『だるまさんが』という絵本がはやったことがありました。

私も禅の初祖である達磨大師の本かと思って購入しましたが、全く達磨大師とは関係のない楽しい絵本でありました。

今も手元にありますが、帯には、発売から六年『だるまさんが』一〇〇万部突破と書かれています。

今また選挙になっていますが、あちらこちらにだるまさんの置物が目につくようになります。

『広辞苑』で「だるま」を調べてみると、

一番に「(梵語Bodhidharma 菩提達摩)禅宗の始祖」と書かれています。

ボディ・ダルマの音を写したのが菩提達磨なのであります。

さらに

「南インドのバラモンに生まれ、般若多羅に学ぶ。

中国に渡って梁の武帝との問答を経て、嵩山の少林寺に入り、九年間面壁坐禅したという。

その伝には伝説的要素が多い。

その教えは弟子の慧可に伝えられた。

諡号は円覚大師・達磨大師。達摩だつま。(~530?)」

と書かれています。

『広辞苑』には、禅宗の初祖としての達磨大師のことが第一番に書かれているのです。

そして二番目に

「達磨大師の坐禅した姿に模した張子の玩具。

普通、顔面以外の部分を赤く塗り、底を重くして、倒してもすぐ真直に立つように作る。開運の縁起物とし、願いごとがかなった時に目玉を描き入れるならわしがある。不倒翁。」
と書かれています。

おもちゃになったり、選挙になると飾られるのがこれです。

それから、『広辞苑』にも、「達磨落し」といって、

「数個の同型の木製の輪を重ね、その上に置いた達磨の人形を落とさないように小槌で打って輪をはずす遊び」も説明されています。

そんな子どもの遊びにもなっています。

また、「達磨ストーブ」といって、「達磨②に似て、ずんぐりとした丸型の、投げこみ式石炭ストーブ」というようにも使われているのです。

仏教の祖師として、これほど民間に親しまれている方はいないと思います。

また禅宗というのは、大らかというのか、懐が深いというのか、初祖の名前をおもちゃに使われたり、ストーブにされても何の文句を言わないのであります。

また達磨大師もお怒りになることもなく、親しまれているのであります。

なんとも尊いことであります。

達磨大師がどんな方であったのかは、『二入四行』という書物の冒頭に簡単な伝記があります。

筑摩書房『禅の語録一 達摩の語録』にある柳田聖山先生の訳を引用させてもらいます。

「先生は、わが国の西方にあたる南インドの出身で、大バラモン国王の第三子であった。

透徹した知性をそなえ、何を聞いてもすべて通暁された。

かねてから大乗の真理に一念をこめ、世俗の服を脱いで黒衣の修行者となり、聖なる伝統を承けついで盛んにし、心を限りなく静かな根底にひそめるとともに、あまねく世間のことを見通し、内外の学問をすべてあきらかにされて、その徳望は高く世の人をぬきんでた。

さらに、海外のくにぐににおける仏教の衰えを遺憾とされて、はるかに海山を超え、わが漢魏の地に宣教においでになった。」

と実に簡潔にまとめられています。

香至国の第三王子であったと伝えられていますが、詳細ははっきりしません。

般若多羅尊者について修行して、法を伝えられたのでした。

般若多羅尊者は自分の滅後六十七年したら、中国に行って法を広めるように遺言されました。

そしてその言葉にしたがって達磨大師は、海路三年かけて中国に見えたのでした。

そこで、更に伝記には、

「素直な心のひとびとは、誰もみな帰依したが、形式にとらわれ主義主張にこだわるひとびとは、やがて悪しざまに非難しはじめた。

そのとき、道育と恵可というものがあり、この二人の修行者だけは、なおいまだ若輩ながら、すぐれて高邁な志をもち、先生においしたことを喜び、数年のあいだ弟子としてつかえ、つつましく指導をうけ、よく先生の精神を心に体した。」

と書かれているように、慧可が達摩大師の教えを受け継がれたのでした。

さて達摩大師の語録を調べていると、興味深い教えがありました。

こういう教えは禅の本質を説いていると思います。

どういうことかというと、

「心が若し貴ぶ所(もの)有れば、必ず賤しむ所(もの)有り」というのです。

柳田先生の現代語訳を参照します。

「若し心の中に大事にするものがあると、必ず反対にさげすむものがある。

心に何か肯定するものがあると、必ず反対に否定するものがある。

心がもし一つの物を善いとすると、すべての物が善くないことになる。

心が一つの物だけに親しむと、すべての物が仇となる。

心は物の世界にとどまらず、物と異なった世界にもとどまらない。

心はどこかにとどまることをせず、またどこにも住まらぬということにもとどまらない。

心がもし何かにとどまることがあると、もう紐つきとなるほかはない。」

というのであります。

およそ宗教というと、心の中に信仰というものを大事に抱きます。

そして神なり仏なり、大事な教えなり、真実なりを心の中に抱くのであります。

しかし、それはそれ以外のものをさげすむことになってしまいがちなのです。

自分の信じているもの以外は受け付けなくなってしまいます。

そこから争いが起きることもあり得ます。

禅の本領は何も持たないことです。

何も持たないからこそ、自由であり、どんなものでも許して認めることができるのであります。

達摩大師の言葉は禅の本質を語ってくれています。

 
横田南嶺

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