カツを入れる – 活か喝か? –
第292回の「毎日ことば」であります。
さて、この解説は、この新聞のどこかにあると書かれていますので、探してみました。
解説には、
「活を入れる」が慣用と書かれています。
「慣用は「活を入れる」。気を失った人の息を吹き返させること、転じて人を元気づけることの意味で用いられます。
「喝」は大声。テレビ番組の影響か「喝を入れる」を見かけますが、叱りつける意なら「一喝する」「大喝する」などとするところです。」
と書かれています。
そこで早速『広辞苑』で確かめると、「かつをいれる」は「活を入れる」でありました。
意味は「(柔道などで)気絶した人を蘇生させる術を施す。転じて、刺激を与えて元気づける。気力を起こさせる。」
と書かれていました。
更に、「喝」を『広辞苑』で調べてみると、
「大声を出すこと。大声で叱ること。特に、禅宗で励まし叱るときの叫び声。また、大声でおどすこと。」
と書かれています。
「喝」について、更に調べてみます。
『禅学大辞典』には、
「大きなこえで言うこと・禅宗では種種の意味をもつ。
①叱りつける。大喝一声。
②唱えること。
③師家が学人を導く手段。」
という三つの意味が書かれています。
②の「唱えること」というのは、たとえば「喝参」というのは「参と唱えること。長上の前に出た時に、お目通りに参りましたという意味」「喝散」は「解散と唱えること」なのであります。
③の師家が学人を導く手段として、臨済の四喝ということが説かれています。
ついでに入矢義高先生の『禅語辞典』には、
「大声でどなること。「カ-ツ」と発声することではない。」と説明されています。
一喝が用いられたのがいつの頃からは、はっきりしませんが、古く唐代の禅僧馬祖道一禅師が既に一喝されています。
臨済禅師の師匠のそのまた師匠にあたる方が百丈懐海禅師であり、馬祖禅師は百丈禅師のお師匠さんです。
百丈禅師が修行時代に、馬祖禅師と問答していて、馬祖禅師から大喝一声を下されました。
その折りに、一喝をくらった百丈禅師は、三日間耳が聞こえなくなったというのですから、どれほどの大喝であったのでしょうか、想像を絶するものです。
これは『禅学大辞典』の①の意味で、叱りつけること、大喝一声なのであります。
百丈禅師のお弟子が、黄檗禅師でそのまたお弟子が、臨済禅師なのであります。
臨済禅師の語録である『臨済録』には、この喝が随所に出ています。
たとえば、ある時に僧が臨済禅師に、「仏法の肝要のところをお伺いします」と問うと、臨済禅師はすかさず一喝されました。僧は恭しく礼拝されたという具合です。
またある時には、僧が進み出て教えを乞おうと礼拝するや、やにわに一喝されるというほどなのであります。
また師の臨済禅師ばかりでなく、東西の禅堂の頭に当たるもの同士が、出会い頭に一喝をしたという記述もございます。
この場合は「一喝を下す」と記述されています。
臨済禅師の道場では、「喝」の一声が常に響きわたっていたと思われるのです。
「臨済四喝」というのは、その「喝」を臨済禅師は四つのはたらきがあると示されています。
第一は「金剛王宝剣の一喝」と言います。
金剛とはダイヤモンドです。
金剛の宝剣で一切を断ち切るはたらきがあるというのです。
仏の智慧が一切の煩悩を断ちきることを譬えています。
一切を断ち切るはたらきであります。
第二には、「踞地金毛の獅子の一喝」と言います。
これはあたかも獅子が大地にうずくまって獲物をねらうはたらきを言います。
威厳に満ちていて、何ものをも寄せ付けない様子であります。
第三には「探竿影草の一喝」といって、これには諸説ありますが、入谷先生の『禅語辞典』には「探竿も影草も魚をおびきよせる漁具だといわれる」と解説されています。
相手の力量を試すための一喝と言われます。
そして第四には「一喝の用を作さざる一喝」と言います。
これはもはや一喝のはたらきさえもしないし、一喝の気配も見せないのです。
これはいかにもつまらぬように思われるかもしれませんが、これが最も容易ならぬ一喝でもあります。
臨済禅師がいよいよ御遷化になる時に、臨済禅師が威儀を正して言われました。
「わしが亡くなった後、我が教えを滅ぼしてはならぬ」と。
弟子の三聖が進み出て「どうして我が師の教えを滅ぼしたり致しましょうか」と告げますと、臨済禅師は「もしこの後、だれかがそなたに臨済の教えとはどのようなものであったかと問うたならば、どう答えるか」と問いました。
すると、三聖は一喝しました。
その一喝を聞いて臨済禅師は、「あに図らんや、我が教えはこの盲目の驢馬のところで滅びてしまうとは」と言い終わって端然としてお亡くなりになったのでした。
この臨済禅師の言葉は、決して文字通り失望落胆したと取るべきではないというのが、昔からの解釈であります。
古来これは三聖の力量を大いに認めて褒めた言葉であると言われるのですが、教えを残すだの、伝えるだのというような執着やとらわれさえも断ち切った言葉であるとも受け止めることができます。
一喝の跡さえも残されなかったということだと思います。
私が学生の時に出家させてもらった師匠である小池心叟老師は、実に小柄な老師でありましたが、一喝をなさると、百雷が同時に落ちたような迫力がありました。
常々、私などのような者の一喝は、一口カツだと仰っていました。
そして心叟老師は常々我々弟子に、決してむやみに一喝をするべきではないと戒められました。
一喝をするのであれば、まず自らに一喝をせよと教えられたのでした。
毎日新聞の「かつを入れる」という記事を読んで、一喝についてあれこれと思い起こしたのでした。
横田南嶺