死を超える愛
新緑の季節、風薫る季節でもあります。
細川晋輔さんと、小池陽人さんの寺子屋ラジオ、はじめての般若心経第十二回では、お二人が「時」について語り合っています。
昨日ご紹介したキサーゴータミーの話を小池さんが紹介されていました。
小池陽人さんの説明をそのまま記します。
「女性がお子さんを亡くされて、必死の思いでお釈迦さまのところを訪ねてきて、この子をよみがえらせてくださいとすがりつくのです。
するとお釈迦さまは、わかった、それでは家々をまわって芥子の実をもらってきなさいと言いました。
ただこれまで一度も死者を出したことのない家の芥子の実でなくてはいけないよと言いました。
それをもらって私のところに持ってきたら、その芥子の実であなたの息子を生き返らせましょうと言うのです。
お母さんは旅にでるわけですけれども、誰一人死者を出していない家は、もちろん無くて、その旅の道中に自分と同じように子どもを亡くした人と出会ったり、自分よりももっと苦しい人と出会ったりするなかで、死を受容してゆくという話です。
当然お釈迦さまは諸行無常を悟られたお方ですから、その真理をそのまま言えたはずですけど、そのお母さんにそのまま諸行無常なんだと説いても、なかなかそのお母さんは受け入れられない。
だからこそ、その時を授けたんだと思うんです。」
と語っていました。
そのように小池さんが話をすると、細川さんが、
「その話をMr.Childrenの桜井さんが、ライブでこの話をされて、「ぼくはこれで愛についてわかった」っておっしゃったんです。
「愛についてずっと考えていたんだけれども、この話を聞いて金属バットで殴られたときのような衝撃があった」と、ライブのMCのときにおっしゃっていて、「でもぼくは今ここで言葉にはできないから、歌にして愛について伝えるんだ」とおっしゃって次の曲が始まっていったのです。
愛というのは、生きているから愛しているというものではないのではないかと、そのとき思ったのです。
諸行無常でそのお子さん、心臓が動いているから愛して、心臓が止まったから愛がなくなるというものではないのだと思った。
そのお母さんも、みんな一緒だから私もそうなんだというよりも、みなそれぞれ死というものを乗り越えて今を必死に生きていることを知って、お子さんを埋葬したのではないかと思うのです。」
と語っていました。
私は残念ながら、Mr.Childrenについても、桜井さんという方についても全く存じ上げないのですが、まわりの人に聞いてみると、とても有名な方らしいのです。
そんな著名な方が、このキサーゴータミーの話をどのように受け止められたのか、私はとても関心を持ちました。
そこで、どうにか、そのライブのDVDを入手して、聞いて確認してみたのでした。
何か疑問に思うと、とことん追求しないと落ち着かない性格なのであります。
そこで、また新たな学びがありました。
キサーゴータミーの話を桜井さんが紹介して、次のように言われていました。
「お釈迦さまが、「街に行ってケシの花の種をもらってきてください、ただしもらってくる家は、その家の中から一人も死者を出していない、一人も大事な人をなくしていない家族から、その花の種をもらってきてください」そう言うと
親はもう一目散で街に行って走って、走り回って種を探すんです。
でもどの家に行っても、どの家に行っても種は見つからない。
なぜならどこの家も死者を出していて、大事な人を失っているから。
疲れ果てた挙句、母親はそのことにはっと悟って、仏陀のところに戻ってくる。」
ここから桜井さんは次のように言いました。
「すると仏陀はこういうんです。
ここからが愛にまつわるエピソードなんですけど。
生きている子供は生きたまま愛すればいい、
でも死んでしまった子供は死んだまま愛すればいいんじゃないですかって、
仏陀はその母親に言うんですね。
僕はその話を聞いた時に、殴られたみたいなすごい衝撃と、でも同時にものすごく優しく大きなものに包まれたような、そんな感覚を持ちました。
愛について、愛とは何か、僕は哲学家でも宗教家でも何でもないですけど、何かちょっとだけ、ピンとあれひょっとしてと思ってることがあって、
それは愛とは想像力なんじゃないかって、ちょっと思ったりするんです。
でもそれを言葉でうまくはみんなに伝えられないので、でも音楽だったらなんとなくそれが伝わるかなと思えて次の曲をお届けしたいと思います。」
というのであります。
「生きている子供は生きたまま愛すればいい、
でも死んでしまった子供は死んだまま愛すればいいんじゃないですか」
この言葉はどこにあるのか、私も存じ上げません。
『法句経』の註釈には昨日紹介した通り、
「あなたは「私の息子だけが死んだ」と思っていた。
これは有情たちが常恒だという考え方だ。
しかし実に死王は思うところがまだ満たされない全ての有情たちをそのまま、大暴流がまさに運び去るように苦界の海に投げ入れるのだ」
と述べて、法を示しつつ、この偈を誦えられた。
「子や家畜が確実にあるものだと思い、心に執著するその人を、眠った村を大暴流が流し去るように、死神が連れて行く」と。」
というものです。
桜井さんという方が、どのようにして
「生きている子供は生きたまま愛すればいい、
でも死んでしまった子供は死んだまま愛すればいいんじゃないですか」
という言葉をご存じになったのかはわかりませんが、これもまた素晴らしい教えだと思ったのでした。
そのことを、細川さんも
「諸行無常でそのお子さんが、心臓が動いているから愛して、心臓が止まったから愛がなくなるというものではないのだと思った。」
とおっしゃっていたのだと納得ができたのでした。
探究心のおかげで、また新しいことがわかりました。
そして、坂村真民先生の詩を思い起こしました。
三月八日
三人の娘を嫁がせ終わって
わたしたち二人の思い出は
今も賽の川原で遊んでいる
茜のことにおよぶ
きょうは天気がいいので
歩いて四十八番札所の
西林寺にお参りする
茜よ
お前の命日の三月八日は
観音日であるし
十一面観世音菩薩と刻んである
梵鐘を二人で撞いて
お前の冥福を祈る
乳も飲まずに
あの世に行ってしまった
茜よ
お母さんの撞く
この鐘の音を聞いてくれ
そしてわたしたちがくるまで
お地蔵さまと一緒に
遊んでいてくれ
という詩であります。
ここにある茜さんというのは、坂村真民先生夫婦がはじめて授かったお子さんであります。
昭和十六年三月八日にお生まれになりますが、死産でした。
真民先生夫婦は、その子に「茜」という名前を付け、それ以来毎年この「茜ちゃん」の誕生日であり命日である三月八日を大切な日として、過ごしてきたのでした。
目も見えず乳も飲み得ぬ子がひとり
賽の河原にまよふらむか
(随筆集 愛の道しるべより)
という和歌も残されています。
今年の二月に愛媛に行った折に、私もはじめてこの西林寺をおまいりして、その鐘の音を聞いてきたのでした。
生きている、死んでいるというのは、私たちの差別の世界であります。
空の世界には、そんな区別や差別はないのであります。
みんなひとつなのであります。
横田南嶺