現代に必要な戒とは?
お釈迦さまの頃には、はじめ「善来比丘」というだけで良かったのでした。
「来なさい。自分のもとで梵行を修せよ」という一言で具足戒になったのでした。
要は、お釈迦さまのもとで修行しようという気持ちがあれば、それで自ずと心は良い方向へと進んでゆくし、その行動もまた自ずと規制されていったのです。
そうして弟子達が増えてきて、教団が形成されてゆくと、こんどは三帰依が成立してきました。
仏法僧の三宝に帰依することです。
ブッダとその説かれた教えと、教えを信奉する教団に帰依するというものです。
更に、五戒、十戒が説かれて、戒が増えに増えて二百五十もの戒にまでなっていったのでした。
日本に鑑真和上が伝えてくださったのは、『四分律』に基づく二百五十もの戒でありました。
それに対して平安時代になると、伝教大師最澄は、大乗戒を主唱しました。
『梵網経』に基づく十重禁戒と四十八軽戒を説いたのでした。
鎌倉時代の道元禅師は、三帰依と三聚浄戒と、十重禁戒の十六条の戒でいいと説かれまいた。
江戸期の慈雲尊者は、十善戒を広く説かれました。
それから禅門の一心戒というのもございます。
そのような戒の変遷の話をして、修行僧から現代に必要な戒は何かと質問を受けました。
私は、やはり三聚浄戒だと答えたのでした。
三聚浄戒については、岩波書店の『仏教辞典』には、
「菩薩戒(ぼさつかい)の特色を表す概念で、華厳経に初出する。
本来は<戒>には止悪(しあく)・修善(しゅぜん)・利他(りた)の三種の働きがあるとする大乗の立場からの観察・意義づけであったが、後に三種それぞれの徳目を列挙するようになった。
代表的なものに『瑜伽師地論』と菩薩瓔珞本業経がある。
日本では簡便な菩薩瓔珞本業経・梵網経(ぼんもうきょう)系の三種浄戒、すなわち
<摂律儀戒(すべての悪を断ずること)、 <摂善法戒>(すべての善を実行すること)、
<摂衆生戒>(饒益有情戒ともいう。すべての衆生を救済すること)が専ら用いられた。
その特色は摂律儀戒に小乗戒を含まず、十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)をあてるところにある。」
と説かれています。
竹村牧男先生の『心とはなにか 仏教の探求に学ぶ』の中で、「新三聚浄戒の勧め」ということを説かれています。
それは第一の摂善法戒では、十善戒を説かれています。
十善戒を守れば、悪を遮断することができます。
以前高尾山にお参りしたときに、わかりやすく十善戒が掲示されていました。
十善戒
不殺生 あらゆる生命を尊重しよう
不偸盗 他人のものを尊重しよう
不邪淫 お互いを尊敬しあおう
不妄語 正直に話そう
不綺語 よく考えて話をしよう
不悪口 優しいことばを使おう
不両舌 思いやりのあることばを話そう
不慳貪 惜しみなく施しをしよう
不瞋恚 にこやかに暮らそう
不邪見 正しく判断しよう
というものです。
第二摂善法戒では、六波羅蜜を竹村先生は説かれています。
六波羅蜜とは、
布施 ほどこす
持戒 よき習慣
忍辱 耐え忍ぶ
精進 勤め励む
禅定 心を静める
智慧 正しく観る
の六つを常に心がけると、善を行うことになります。
第三摂衆生戒では、四無量心を説かれています。
四無量心とは、
慈 思いやりのこころ 楽しみを与える情け深さ
悲 苦しみを除くあわれみ
喜 人々が楽を得るのをみて喜ぶこと
捨 かたよらぬ事 こころが平等であること
常に平静であること
の四つなのです。
この四つを心がけると、人々の為に尽くすことになるのです。
この三聚浄戒を松原泰道先生は、やさしく
「小さいことでも少しでも悪いことは避け、よいことをし、人にはよくしてあげよう、これがみほとけの教えです」と説いてくださっています。
さて、この四無量心の「捨」というのは難しいのです。
「心の平静、心が平等で苦楽に傾かないこと」なのであり、これが究極なのですが、どう説明したらよいのか苦慮していました。
折から季刊『禅文化』264号が送られてきました。
今号の特集は「禅と観音」で私も巻頭につたない文章を載せてもらっています。
その中に、林昌寺の野田晋明和尚が良い話を書いてくれていました。
野田さんは、
「せっかくお坊さんになったからには、誰かの役に立ちたい。困っている人を助けてあげたい」と考えていたと書かれています。
そして野田さんは、臨床仏教師の研修を受けました。
『禅文化』の文章から引用させてもらいますと、
「臨床仏教師とは、世の中の人々の様々な苦悩に寄り添い、仏教的な視座からその解決に向けた活動を行う仏教者のことです。
「臨床」というと、例えば終末期の病気を抱えた人のベッドサイドに佇み傾聴する、というような医療現場での活動をイメージされる方が多いのですが、実際はその活動の幅はもっと広く貧困問題への取り組みや路上生活者支援、若者支援なども含まれます。」というものです。
その臨床仏教師の資格取得の過程で、野田さんはとある特別養護老人ホーム(通称:特養)に実習に行ったそうなのです。
そこで野田さんは、ほとんどが認知症や何らかの疾患を抱えたご高齢の入居者の方々の傾聴をして、「施設に入って寂しい思いをしているご老人の力になろう」と意気込んでいたそうなのです。
野田さんは「努めて明るくふるまって、話に耳を傾けつつ折にふれて仏教の話も」したそうなのです。
しかし、一週間も経ったころ、とある方から「あんたはつまらんねえ。もう私のところには来なくていいよ。」と言われてしまったそうなのです。
野田さんは「良かれと思って施設に通って話していただけなのに、なぜ?」「何がいけなかったんだろう?」そんな問いがグルグル頭の中に渦巻きました」と書かれています。
指導官の看護師さんから「野田くん、頑張っているのは分かるけど、向き合う相手に「可哀そう、助けてあげなきゃ」という眼差しを向けていないかな? ここにいる人は皆『僧侶の野田様」ではなくて「等身大の野田くん」と同じ目線で話したいんだと思う。人を助けたいなら、まず自分を見直さないとね。」という一言を受けました。
野田さんは「僧侶の私が、弱っている高齢者と話すことで元気にしてあげるのだ」という高慢な思いがあったのだと反省しました。
「相手と自分を区別するような「独りよがりの人助け」は、かえって相手にとって重荷になることがある」と気づくのです。
そこで野田さんは「僧侶であるという気負いや、無理に元気や愛想を振りまくこと、そして「私が助けてあげている」というエゴイスティックな思いをできる限り自覚・払拭して、等身大の自分として特養の皆さんに接するようになり」、更に「自らが仏教の話を語るよりも相手の話に耳を傾け、一緒にうたを歌い食事をとり、ときに散歩に出かけたり」したそうなのです。
するとその「もう来なくていい」と言っていたその老人が、ある日「次はいつ来るんだい?」と聞いてくれたというのです。
その言葉を聞いた野田さんは、「自分を認めてもらえたようで涙が出ました」と書かれていました。
何かをしてあげたいと思う心は、慈悲の心であり尊いものであります。
しかし、そこにかわいそうな人だとかいう差別の心があると、相手には伝わらないものです。
こちらが、そのような区別する心を捨てて、全く平静な心でいることが、一番理想なのであります。それが四無量心の「捨」にあたるのです。
そのために、分別を離れる修行をするのであります。
『禅文化』の野田さんの話を用いて、修行僧たちに四無量心の捨を解説したのでした。
横田南嶺