忍び難きを忍ぶもの
今年も何名かの修行僧が円覚寺に入門する予定であります。
入門といっても、入学式や入社式のようなものはありませんし、試験もありません。
ただ庭詰と旦過詰という一連の儀式を通過しなければなりません。
庭詰というのはどういうものかというと、修行僧が、ある僧堂で修行しようとするとき、きめられた時間内に威儀を正して寺の庫裡の大玄関のところで頭を下げてお願いします。
しかし受け入れられないので、一日から数日の間、玄関の縁に低頭しうずくまって、修行の許可を求めるのです。
この間を庭詰といいます。
旦過詰については、庭詰のあとに旦過寮にとどまって終日坐禅して過ごします。この旦過寮に止住することを旦過詰といいます。
今でも古式ゆかしく、このような伝統が続いているのであります。
僧堂の玄関に頭をさげて、大きな声で「タノミマショウー」と声をかけます。
僧堂の修行僧が「ドーレー」と大きな声で返事をして、どこから何をしに来たのかを問うのであります。
もちろんのこと、修行道場で修行するためなのですが、そのように答えても断られてしまいます。
そこからただ玄関で頭を下げたままお願いし続けるのであります。
容易に入門を許されないのは、恐らく昔中国において、達磨大師のところに教えを乞いにきた神光が簡単に教えを授けてもらえなかった故事に由来していると察します。
達磨大師と神光のことについては、小川隆先生の『中国禅宗史』にある文章を引用させてもらいます。
達磨大師が、インドから中国にお越しになって、梁の武帝と問答してもかなわずに、嵩山の少林寺で面壁坐禅をされていた頃のことです。
以下引用します。
「その頃、神光という名の僧が洛陽のあたりで学問に励んでいた。
道を求めてあまねく群書を読みあさったが、得心がいかない。
少林寺に達磨がいると聞き、朝夕たずねていって道を問うたが、しかし、達磨は面壁したまま何も語ってはくれなかった。
その後、十二月八日の成道会の日に釈尊求道の辛苦のさまを思いかえした神光は、翌九日の大雪の夜、決死の覚悟で達磨のもとを訪れた。
夜通し石段の下に立ち尽くし、やがて雪は膝のうえまで降り積もった。
そこでようやく声をかけた達磨に、神光は涙ながらに道を乞うた。
しかし、達磨はなおも非情に突き放した。
「諸仏の道は行じ難きを行じ、忍び難きを忍ぶもの。賢しらや慢心で得られるものではない」。
すると神光は刀を取り出し、自らの左腕を断ち切ってぐいと差し出した。
達磨はようやくその機根を認め、問いかけた。
「雪の中に立ち、腕を断ち切るのは、いったい何事の為か?」
「わたくしは心が安らかでありません。どうか師よ、この心を安らかにしてください」
「ならば、その心をもってまいれ。安んじてやろう」
「心を探し求めましたが、まったく捉えることができませぬ」
「ふむ、これで、汝のために心を安らかにしおわった」
これを機に神光は悟りを得て達磨の法をつぎ、名を「慧可」と改めたのであった。」というのであります。
かくして修行というのは忍び難きを忍ぶものと説かれるようになっていったのでした。
臂を断つと書いて、断臂というのでありますが、この臂というのは、腕のことをいうのだと小川先生から教わりました。
もっとも、この話は後世になって作られたという説もございます。
同じく小川先生の『中国禅宗史』には、『続高僧伝巻十六』にある僧可伝の現代語訳が記されていますので、引用させてもらいます。
「恵可はあるとき賊に襲われ、腕を切り落とされてしまった。
しかし、法によって心を統御し、苦痛を感ずることがなかった。
彼は傷口を火で焼き、血が止まるとそこを絹布で包み、その後はふだんと変わることなく托鉢して、人には一切告げなかった。
のちに林法師〔おそらく曇林のこと」も盗賊に腕を切り落とされ、夜通し叫び声をあげた。
恵可はそれを手当てしてやり、托鉢で食を得て林に与えた。
恵可の手つきがままならぬのを咎めて林が怒ると、恵可は言った。
「餅は目の前にあるのだ、自分で食うたらよかろう」
林「私は腕が無いのだ。知らぬわけではあるまい!」
恵可「私も腕は無い。何をそう怒ることがある」
そこでようやく子細をたずね、林は始めて恵可の修行の深さを知ったのであった。」というものであります。
達磨大師の前で、腕を断ちきったというよりも、こちらの話の方が、より真実味があるようにも思われます。
事実はどうであったのかは、今や知るよしもありません。
『続高僧伝』の話にしても、賊に腕を斬られて、心を統御して痛みを感じないというのですから、忍び難きを忍ぶ修行であることには変わりありません。
やはり修行は辛抱しなければならないものです。
今の時代は、学校でもあまり叱られたことがないという人が多くなりました。
辛抱する力が不足しているかのようにも思われますが、修行道場ではやはり辛抱してもらわないと何もなりません。
四月になって、修行道場の玄関で頭を下げ続ける新しい修行僧の姿を見ると、こちらも気が引きしまります。
初心を思い起こすからであります。
坂村真民先生の「初々しさ」という詩を思います。
初々しさ
初咲の花の初々しさ
この一番大切なものを失ってしまった
わが心の悲しさ
年々歳々花咲き
年々歳々嘆きを重ね
今年も初咲きの花に見入る
という詩であります。
それから次の詩も思い起こします。
初めの日に
その一
なにも知らなかった日の
あの素直さにかえりたい
一ぱいのお茶にも
手を合わせていただいた日の
あの初めの日にかえりたい
その二
慣れることは恐ろしいことだ
ああ
この禅寺の
一木一草に
こころときめいた日の
あの初めの日にかえりたい
こんな初心を忘れてはならないと新しい修行僧の姿を見て思うのであります。
そして思うのはやはり、いつの時代になろうと、世の中がどう変わろうとも、修行は忍び難きを忍ぶものということです。
横田南嶺