聖なるものの否定
たとえば、仏とはどのようなものでしょうかと問われて「乾屎橛」と答えたなど、まさにそうでしょう。
雲門禅師の言葉です。
仏とはどのようなものか、仏というと仏教においてはもっとも聖なるものであります。
それが「乾屎橛」というのです。
「乾屎橛」は従来、くそかきべらと訳されたりしていました。
今日では乾いた棒状の糞ということですが、いずれにしても聖なるものからほど遠いものであります。
趙州和尚が、仏殿で一人の僧が礼拝するのを見かけました。
仏殿は仏さまをお祀りしているお堂ですから、僧が仏さまを礼拝していたのです。
仏殿にお祀りしている仏さまというのも、聖なるものであります。
ところが、趙州和尚は、僧が礼拝しているのを見て、なんと棒で打ったのでした。
趙州和尚というお方は、あまり棒で打つようなことをしない禅僧でしたが、なんと珍しく棒で打っています。
僧が、礼拝することはよいことではありませんかと言うと、趙州和尚がそこで、「好事も無きに如かず」と答えたのでした。
どんなに尊いことであろうと、無い方がましだというのです。
趙州和尚には、「仏の一字、吾聞くことを喜ばず」という言葉もあります。
仏というもっとも聖なるものであっても、聞くのも嫌だというのです。
趙州和尚には十二時の歌というのがあります。
これが全く聖なるものなど、どこにも見当たらないような内容です。
たとえば、そのはじめには、
「起き上がってきょうもまたおいぼれてみぐるしいわが身をかこつことだ。
はかまもうわぎも一枚もない、ただ袈裟だけはやや形をなしている。
したおびはよれよれ、ももひきは破れて足を入れる口もない、
頭には四五斗ほどの黒灰色のふけだらけ。
以前には修行して人を済度しようと望んでいた。それが変じてこのうすのろになろうとは、いったいだれが思っただろう。」
というのです。
『碧巌録』には、趙州和尚の言葉として、
泥の仏は川を渡らない、
金でできた仏は、爐を渡らない
木でできた仏は、火を渡らない
というのがあります。
泥の仏さまは水にいれれば壊れてしまいます。
金でできた仏さまも、爐にくべれば溶けてしまいますし、木でできた仏さまは、火にくべたら燃えてしまいます。
丹霞和尚の話を思い出します。
冬の寒い日の事、洛陽の慧林寺に丹霞和尚が立ち寄りました。
丹霞和尚はあまりの寒さに、たき火をして暖を取っていました。
そのたき火にくべているのは、なんと寺の仏像でした。
気がついた慧林寺の僧が、驚いて、「どうして大切な本尊様を焼いたりしたのか」と怒鳴りつけました。
丹霞和尚は、何食わぬ顔で、灰を掘り起こしながら、
「焼いて舎利を取ろうと思ってな」と答えました。
舎利とは、仏さまのご遺骨のことです。
寺の僧は、あきれて言いました、「木の仏を燃しても舎利などあるものか」と。
すると丹霞和尚は、「舎利がないようなら、両脇の菩薩さまも持ち出してくべてしまおう」と言ったというのです。
とてもまねしてもらっては困る話であります。
『碧巌録』には、破竃堕和尚の話がございます。
岩波書店の『現代語訳 碧巌録』から訳文を引用します。
「嵩山の破竈堕和尚は、姓でも字でも呼ばれず、言行は伺い知れぬ。
嵩山に隠居し、ある日弟子たちを率いて山の村落に入ってゆくと、霊験あらたかな廟があった。
建物の中には一つの竈が安置され、遠近の者の祭祀が絶えることはなく、生き物の命を(供え物のために)煮て殺すこと甚だ多かった。
師は廟の中に入ると、杖で竃を三回叩いて言った、「こらっ。お前は元々煉瓦や粘土が合わさってできたものなのに、霊妙なはたらきがどこから生じ、聖なるはたらきがどこから出てきたとて、かように生き物を煮殺すのだ」。
又三回打つと、竈は自ずと傾き崩れ、壊れてしまった。
しばらくして一人の青い服を着て高い冠をかぶった者が急に師の前に現れて、お辞儀をして言った、「私は竈神です。久しく、(自分の作った)業の報いを受けていましたが、今日先生に生も(死も)無い法を説いて頂き、ここを脱却して天上界に生まれました。そこでこうしてお礼を述べにやって来たのです」。
師は言った、「お前が元々もっていた本性であって、わしがむりに言ったものではない」。
神は今一度拝して消えた。
おつきの者が言った、「我々は、長らく和尚に仕えていますが、指示を頂いておりません。竈神はどういったそのものずばりの趣旨を得て、天に生まれたのでしょう」。
師は言った、「わしはただ奴にお前は元々煉瓦・粘土が合わさってできたものなのに、霊妙なはたらきはどこから生じ、聖なるはたらきはどこから出てきたのか、と言っただけだ」。
おつきの僧は誰も答えなかった。師が言った、「わかるか」。僧「わかりません」。師「礼拝しなさい」。僧は礼拝した。
師は言った、「壊れた壊れた、崩れた崩れた」。おつきの僧はにわかに大悟した。」
という話であります。
これは聖なるものといってもいかがわしいものでありますが、村の多くの人たちが、聖なるものと思っていた竃を「元々煉瓦や粘土が合わさってできたもの」に過ぎないといって、たたき壊したのでした。
特別な竃が聖なるものだと思って、そこに生け贄をするよりも、それぞれの生き物がそれぞれ生きている姿こそが、尊い聖なるものなのです。
『碧巌録』には、無著が典座でお粥を炊いていると、文殊が鍋の上に現れたという話があります。
無著は、お粥をまぜているしゃもじで、文殊を打ったのでした。
鍋に浮かぶのは湯気くらいのものです。
一所懸命にお粥を炊いている無著こそが、聖なるものの姿なのです。
禅では聖なるものをあえて否定することによって、聖なるものは日常のいたるところにあふれていると説くのであります。
聖なる仏の世界は、毎日の暮らしにこそあるのです。
日常の何気ない景色も、聖なるものの現れなのです。
禅僧たちのまねは禁物ですが、こんなところに禅の魅力を感じるのであります。
横田南嶺